高崎市文化協会統合記念誌 地の絆 2008年1月発行 |
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歴史の見直しで魅力ある地域づくり |
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今年5月、倉渕町で開かれた小栗まつりで、東善寺では幕末に小栗忠順ら遣米使節が乗り継いで地球一周をした3隻目の米国軍艦ナイアガラ号(4,800トン)の除幕式が行われた。この模型船は東善寺住職村上泰賢和尚が正確な史実を知ってほしいとの思いから募金をつのり、ポーハタン号(2,400トン)・ロアノーク号(3,400トン)に続き9年がかりで宮城県大崎市(旧古川市)の岡崎英幸さんに制作を依頼していたもの。明治以後の学校で遣米使節の護衛船としてサンフランシスコを往復しただけの咸臨丸(292トン)を教え、真打であるべき遣米使節の業績を教えていないのはおかしいという考えからです。庫裡では遣米使節団がホワイトハウスを訪れ、報道されている様子が当時の新聞で展示された。 6月になって、村上住職が岡崎さんに感謝状を贈るので宮城県へ同行しました。途中、仙台で遣米使節に随行し『航米日録』を残した仙台藩士玉蟲左太夫の墓をお参りした。翌日、宮城県慶長使節船ミージアムを見学した。そこには伊達政宗の命を受け建造され、今から約400年前仙台藩士支倉常長ら慶長使節を乗せ、初の太平洋横断で日本―メキシコを往復した木造帆船サン・ファン・バウティスタ号(500トン)の復元船が海に浮かんでいた。黒船というと鉄と思えますが実際は木造船で黒いタールを塗っていた。船全体で使う木材は2,239立方メートル。約50坪の住宅64棟分に相当するという。大型黒船建造に使用された木材は相当な量で、多くの巨木の伐採がおこなわれたことが想像され、やはり百聞は一見にしかずと言うことが実感された。 小栗様は明治維新・幕府崩壊で家族と共に江戸から倉渕に引き移り、65日間権田村で過ごし、罪なくして水沼河原で殺害された。今も倉渕には人々が「小栗様」と呼んで語り継ぐ物語がいくつもある。 地域に埋もれた歴史をもう一度見直し、史実を正しく理解して新しい動きを生み出すことが、地域社会の文化活動にとって大切だと思う。そして魅力ある地域めざし、具体的に行動し、広範囲に交流と連携を深め、自ら参加し楽しみ、次の世代に伝えてゆきたい。 来年4月には小栗様の住まいがあった東京千代田区駿河台で、明治大学博物館を会場に東京で初の「小栗上野介展」が開催される予定です。 |
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NPO法人源流 理事 M-Toyohara | |||||||||||
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