山下工美氏は、中学まで前橋に住み、その後アメリカの高等学校に進学。そしてワシントン州コーニッシュ芸術大学を卒業後、イギリスのグラスゴー美術大学大学院を卒業。大学生活中、個展、グループ展、公募展など意欲的な創作活動をしており、昨年の『キリン・アート・アワード』では優秀賞に選ばれました。4月にはアメリカのロズウェルで芸術家滞在プログラムに参加するため日本を離れると聞き、急きょ展覧会をして頂くこととなりました。

 彼女の作るものには必ず「人」が登場している。

 現代社会において、人と人との直接的な接触(コンタクト)が少なくなっている。個人の意識は常に変化していくが、規格化されたモノ(利便性を追求した能率的なモノ)で表現されることが多い。それは、テレビや情報誌、新聞などのメディアを真実の情報として認識し、その情報に基づいて理解している。個人をシンボル化したものの一つに名刺がある。しかしそこに人格は存在せず、もしそれが表現されていたとしても不変なものではない。写真や活字は作ったその時、その場限りの産物であり不変なものではない。旅行雑誌を見ても、地域の全て(景色や習俗)が記されている訳では無く、常に変化してゆく。公認されたものの情報を通して、記述されたところまでしか対象を理解しない、或いは「しようとしない」社会が認知され、蔓延しているのではないだろうか。新聞やテレビ、ラジオ、情報誌などに隠された裏側には、もっとリアルな人対人の世界がある。マスメディアによる一方通行の情報が全てではなく、人それぞれの感覚によるそれぞれの認識があり、自身の感覚全てで対象を理解することができるはずだ。そして規格化された情報の裏側にあるものの存在を知ることが、現代社会において欠けている部分なのではないかと思う。

 不変的なものと常に変わりゆくもの。山下工美氏の作品は、同一次元上に、現在と過去、虚構と現実、不変と変化をテーマとして創作し、今まで制作したものの代表的な表現に「人の影」があるが、それはモノ越しに映る「存在」のリアリティーなのではないだろうか。

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