第2章 思想・学問形成
 
 水戸彰考館総裁杉山忠亮の『高山正之伝』によると、彦九郎は13歳のころ『太平記』を読み、後醍醐天皇の南朝が王制を打ち立てることができなかったことに強く憤ったと記されています。

 彦九郎の学問・教育の道は、祖母りん、祖父貞正をはじめとした家族親族の理解の中で形成されていきます。18歳になると置手紙を残し、京に上り学者を志しています。京では漢学者の
岡白駒河野恕斎父子に学んだと伝えられています。

 伊勢崎では、
村士玉水浦野神村らと交友する中で、山崎闇斎の崎門学派に傾倒していきました。江戸では学派にとらわれない多くの学者と交流し、嚶鳴館の細井平洲、蘭学者の前野良沢、曾輔堂の菅野綸斎などと幅の広い交友を深めています。

 彦九郎は自ら「儒生」と名乗り、国学を重視して多くの和歌を残すなど、その多才な才能を発揮しています。
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