’99.8
モスクの表面 絨毯の紋様

                    

イランの国旗


 
   皆既(イスファハーン)
 今回は運良く3回連続のパーフェクトだった。前日夕方、イスファハンに着いたときは気温が高いだけでなくやたらと雲が多く、インターネットの水蒸気画像が正確なのにはびっくりした。しかし、夏時間でもあり太陽高度があるので雲ので始める前に皆既が終わることを信じて本番に向かう。
 本番はロシア(−30℃)とは正反対に炎天下51℃の中での組立作業であった。熱さのため組立の時に合わせた望遠鏡のフォーカスは皆既の時は全く狂い、携帯したナビゲータも故障し緯度・経度が測定できなかった。経験した中では明るい日食だった。特に内部コロナが明るく、一瞬金環食と勘違いした人もいたくらいっだった。

  ゾロアスター教のシンボル
  イランは正式にはイランイスラム共和国という。紀元7世紀にイスラム教が誕生するが、それ以前は紀元前7世紀の起こったゾロアスター教が国教だった。2神教で善神がアフラ・マズダ、悪神がアーリマンという。この善神の名前が意外と日本の企業と関係がある。マズダはMAZDAと書く。古くは東芝の「マツダランプ」、自動車メーカのマツダなどがある。
 ゾロアスター教の思想はキリスト教などに引き継がれ、特にキリスト教の「最後の審判」はその影響を受けたという。もちろんイスラム教も同様であるし、仏教にもそういう思想がある。
  コーランを読むと旧約聖書やキリストの福音書の話が出てくる。コーランにはこの3つの教徒(ユダヤ、キリスト、イスラム)は聖典の民といい、またイスラム教が最後の預言者によって広められたユダヤ教・キリスト教の改訂版と位置されている。神との契約を守ることで天国に行けるという、セム・ハム語族独等の思想が語られている。
オアンネス
 




  さらに昔、紀元前3,000〜4,000年頃地球最古といわれる、シュメール文明が花開いた頃の記録を、アレキサンドロス大王の時代に(前4世紀)バビロンに在住して古文書を研究したベロサス(僧侶)によると、オアンネスという生物がペルシャ湾からきて人々と話を交わしたという。
 古文書によるとこの生き物は、胴は魚のようで魚の下にもう一つ人間の頭をもち、魚の尻尾に人間の足がついていたという。そして、人々に「文字や科学その他あらゆる種類の技芸を授けた」とあった。
 興味のある方は(ジョン・テイラー著 渡辺正訳 ブラック・ホール p37 講談社)から抜粋。
 写真はメルセポリスで撮影                                                                                                                                                             
 東階段のレリーフ
 


  ペルセポリスはユネスコの世界遺産にもなっているが、今から2,500年ほど前,アケメネス朝ペルシャのダレイオスT世によって建設された。しかし、アレキサンドロス大王の遠征により前331年破壊された。
 余りにも有名なこの広大な遺跡の東階段には、ペルシャ王への献上品を手にした多くの使者の列がレリーフとして描かれている。その中にライオンの母子を献上するアッシリア人使者があった。母ライオンと子どもライオンが2頭で,母ライオンは心配そうに2頭の子どもライオンを振り返えっては見ているのが印象的であった。

                                                                                                                                                 
  ハージュ橋に集う
 イランは現在はイスラム教の宗教国家でその教えが、一般の国民にもしっかり根ざしていることは肌で感じられた。 
 皆既の夜、たまたまペルセウス座の流星群が極大に近いということで夜の夜中バスで町はずれの峠まで出かけたが、幹線にぽつんぽつんとわずかな露天が出てはいるが、おびただしい数の家族連れが道ばたや軒下で敷物を敷いて涼んでいる光景が目に入ってきた。まるで、何かこれから始まるのを待っているかのようだった。まさか流星群の観望ではなかっただろうが。
 今の日本人の方が特別なのかもしれないが、この家族連れに象徴される親子、親戚、思春期以降の同性の結びつきには驚いた。社会制度の中で異性との関係が強く抑制されているからだろうか。兵役を終えなければ一人前の男として認められない。むろん結婚はできない。

 
少年たち
 女は13歳を過ぎると家庭外ではチャードルで身を覆い、顔以外は見せてはいけない。(写真の右側の少女は腕が出ているので、まだ小学生だどうか)
 極端にいって夫婦以外の男女が街を歩くことは許されないなど極端なことが多い。
 他にもトイレの習慣の違いも知らなかった。イランではトイレを待つ時間が長い。男子トイレはどこも個室になっていていわゆる男性用の小便器はない。日本でいういわゆる和式で段差もない。有名なイスファハーンのエマール寺院でトイレを借りたとき、現地ガイドさんの話を聞いてびっくりした。
  まず、イランでは立ったままおしっこをしてはいけない。前もお尻もメッカの方に向けてはいけない(これは建物が構造的にそうなっている)。
 ブルーベリーをくれた少女
 



  日本人だとしゃがむとお尻をまくると思うが、イランでは男子はお尻を出さないで、ファスナーだけ開けてそこからするという。用が済んだら瓶の水を流してきれいにして、水道から瓶に水を補給する。そして、手をゆすいで、メッカに向かい感謝のお祈りをして出てくる。確かに時間がかかります。
  生まれて1年半もすればトイレット・トレーニングが始まる。今になって聞く由もないが、こんなに早い段階から子どもの養育が異なる。世界は狭いようで広い。一つ一つの民族で、依って立つ生活手段、宗教、経済、自然・社会環境、教育や価値観さえも異なり、長い歴史に支えられている。私にとってどうでもいいことが、彼らにとってはそうではないし、また逆も言える。





 まだ新しい募金箱
  イスファハーンで私たちが宿泊したコウサルホテルの前を流れるザーヤンデ川にスイー・オ・セ橋がかかっている。橋の向こうの入り口には小銃をもった警備隊が5〜6人橋の両側に分かれて警備にあったっていた。左右の橋柱には左にDOWN WITH ISRAEL右にDOWN WITH USAと英語で書かれオレンジ色に塗って強調されていた。「打倒イスラエル!」、「打倒アメリカ!」というところか、他には全く落とし書きはない。丁度、通勤時間帯でその前をアメリカブランドのジーンズの上にチャードルをつけて歩く若い女性が目立った。
 食事もアルコールは飲めないが、飲み物はというとミネラル・ウオーター、偽ビールときてコーラ、ファンタオレンジとなるところが不思議だ。
 日本にはほとんどないもので、町中には募金箱が多く見受けられた。コーランにも出てくるが「自由喜捨」いわゆる施しの勧めである。 
アーリー・ガープ宮殿入り口の女性像

  最後に、イラン日食小紀行では、一般的にあまり紹介されていないものを選んで少々紹介させてもらいました。有名なモスクや遺跡の写真はほとんどがガイドブックにのっているので取り上げませんでした。
 今回はイラン国営の直行便に乗ったので、途中ゴビ砂漠や天山山脈の眺めは雄大で、機会があれば是非行ってみたいものです。イスラムの世界に行ってみて何か初めてカルチャーショックを感じた気がしました。


  次の皆既日食は、2001.6.21アフリカ南部をマダカスカルト島へ横断します。21世紀最初の皆既日食です。皆既時間は約4分と少し長めの日食になります。

  日本では2009.7.22でインドに始まり中国を経て南西諸島を通過します。

  もし初めて観に行かれる方があれば、双眼鏡を持っていってください。きっとすばらしく観ることができるでしょう。