モ ラ | ||
モラを売るおみやげ屋さん ポルトベロで |
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モラと民族衣装とケイタイ | ||
モラの少女(バルボア像の露店で) | ||
モラの無人露店(ミラフローレス閘門の近くで) | ||
パナマの航空図 | ||
1 サンカルロス | 2 エル バレ | 3 パナマ市 |
5 ミラフローレス閘門 | 6 ガトゥン閘門 | 7 コロン |
地図のレッドソーンは日食の金環帯 | ||
1 観測地付近で | ||
朝起きて海岸に目をやるとペリカンが群れをなして沿岸で餌をとっている。 ひとしきり経つと、まるで雁が飛ぶかのように連なり沿岸や時には頭上近くを回遊して いた。そのさまはとても力強く印象的だった。 |
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San Carlosの Bay View Resortとその周辺の動植物 | ||
パナマは食事はおいしい。魚はやはり揚げ物だけど、特にスープは日本人好みの味 | ||
2 El Valleとその周辺で | ||
エル・ヴァレは周囲6kmほどのカルデラ状の噴火跡で、日本ではほとんど紹介され ていないようだが自然生物の宝庫のようで、バードウオッチングも盛ん。 近くのPOZOS TERMALESでは火山灰の泥を利用したマッド・セラピーをしていた。 |
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エル・ヴァレの帰りのバスの中、現地ガイドが実のなっている木を指さしバスを止めさせ 車外に出る。地面に落ちていた赤いピーマンのような形の木の実をいくつか拾ってきて 食べて見せた。この辺では果物はあまり売っていないらしく、マンゴウとかバナナとか 自然という果樹園で実をつけているものや、熟して落ちたものを拾うことが多いとか。 ちなみにこれは「マラニョン」の木だった。カシューの実がついているのが特徴。 少し行くと、路上に人盛りがしているのが見えた。流通関係のトラックが横転したらしく、 大量の日常物資が投げ出されていた。大勢の住民が物資を物色して勝手に持ち出し ていた。 |
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サンカルロスへ戻る途中の町の表情 | ||
3 Panama cityで | ||
バルボア(太平洋の名付け親)の碑の前からパナマ湾を望む | ||
パナマ・ビエホ(旧市街)の廃墟 |
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スペインによって造られたパナマ市の旧市街であるが、1671年に英国の海賊 ヘンリー・モーガンによって襲撃され殺戮・破壊された。修復作業も行われていた。 |
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カスコ・ビエホ付近の商店街の雰囲気。 | ||
パナマ・ビエホから数キロ離れた市街地にはいった。町並みを見ながらパナマの平均 所得はどのくらいかと質問した人がいたが、ガイド曰く、平均でものを見ることは、 日本のような中間層の多い国情の場合で妥当でも、当地のように貧富の差が激しく 中間層のいない国情では質問そのものが無意味だといって答えなかった。 考える枠組や尺度がどこへ行っても画一的では現実を生きたものとして把握できない ということか。普段気にしない気になる言葉だった。 |
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サンホセ教会の聖堂と付近家並み(右上はカテドラル) | ||
独立広場でカーニバルの練習風景か | ||
4-6 運河周辺で | ||
日本人の観光客はほとんど来ないというガトゥン閘門には日本語のパンフがカラー版を含め複数あった。ここは閘門式といい、いわゆる水のエレベーターを利用している。閘門内へ両側から船舶を牽引・誘導するのは三菱製の電気機関車で1台うん千万とか。閘門の水槽のサイズは幅33.53m、長さ304.8mで、運河通過可能な船舶の最大規模は幅32.3m(なんと片側60cmしかゆとりがない)、喫水12m、全長294.1.で、それをパナマ・サイズというらしい。ちなみに扉の大きさはミラフローレンス閘門入口が一番大きく、高さ25m、重さ730tということです。 太平洋と大西洋の水位差はともかくとして、内陸の登り降りをするため、この地帯に降る多量の雨水を利用している。閉じられた閘門の水位を一段ずつ上げ下げして、船を前進させている。1回ごとの移動が終わるたび使った水は再利用しない。排水路から湖をとおり海に流れていくことになる。3年間雨が降らなくても注入する水は大丈夫と言っていた。閘門の作動1回に使う水は2億リットル弱です。 |
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たまたま「北野」という日本(郵船)のコンテナ貨物船がやってきた。この「北野」という船名は北野天満宮にちなんだ命名で由緒がある船らしい。ミラフローレンス閘門で水位を下げてアメリカ橋をくぐり太平洋に向かうところ。 | ||
こちらは湖で運河の通過の順番を待つ船舶とアメリカ橋の下で散歩する女性。 | ||
たまたま踏切でパナマ運河鉄道の列車が通る。 | ||
ちょっとした光景 | ||
レセップス時代のフランス人関係者の墓地と路上に衣料品メーカーの看板 | ||
いよいよガトゥン閘門へ。これから水位を上げる。 | ||
水位を上げてガトゥン湖に向かうコンテナ船。手前のチェンバーとの水位の違いが わかる。左は三菱製の機関車これを何台使うかで料金が・・・・ |
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7 COLON |
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午前中10時頃、コロンに着いた。ちょっと危なそうな雰囲気の町に見えた。今は 関税の掛からない世界でも有数なフリーマーケットの港だと聞いた。さらにパナマ 運河鉄道の(コロン〜パナマシティー間)起点で、アメリカ東海岸からの物資がこの 鉄道で太平洋側へ運ばれたり、運河の建設のために使用された。 この町は以前アスピンウオール(パナマ運河鉄道の建設者の1人)という名称で よばれ、1890年にコロンブスのスペイン名であるコロンに改名されたという。 コロンブスは4回目の航海の1502年にきている。コロンブス像には新世界の不滅の 発見者と書かれていたようだ。 |
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バスからの町並み | ||
少年たち | ||
振り向いた母子 | ||
語らい | ||
父子と恋人 | ||
住宅事情 | ||
ガラガラの遊園地 | ||
7-8 PORTBELOへ向かう | ||
ポルトベロへ向かうバスの中から野外バスケと草野球(小さな子供はいない) | ||
バスを待つ人と買い物帰りの親子 | ||
ここの食事はおいしかった。また、行ってみたい。 | ||
8 PORTBELOで | ||
ペルトベロ、スペイン人がペルーから奪った金銀財宝をスペインへ運ぶターミナル 港だった。当時世界の1/3以上の金がここの税関を通過した。当時の要塞跡や武器 などを集めた資料館などがあるが、ここも海賊ヘンリー・モーガンに攻められている。 モラなどを売る小規模の売店やごく小さな出店がいくつかあった。遺跡のそばには 住民の住宅があり経済的な貧困が手に取れた。モラはものによるが売店では一 10〜20$で売られていた。 |
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ここで黒いキリストの衣装が展示されている展示室がガラス越しに見ることができた。 金糸の刺繍がある紫色のガウンのようだった。ここは1598年ポルトベロ病院として建 てられ教会も背中合わせに建設されたが1744年ウイリアム・キングヒルズに攻撃破壊 された。1801年に再建され今は黒いキリスト博物館になっている。ガイドはメキシコに 住んでいる人だったが、その説明では中米やメキシコのキリスト教はもともとの先住民の 宗教と混交しているので、それを理解していないとそのキリスト教の風習はよく理解でき ないといっていた。当時のスペインから伝わったものと先住民の宗教・文化などを理解し ないと見えてこない。 |
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ガイドがヘンリーモーガンの文字を指さす | ||
資料館の見学後、何人かで散策していてトイレに行きたいたい人がいたので、入口で トイレがどにあるか聞いたが当惑したようでなかなか教えてくれない、そればかりか誰かを 捜し始めた。言葉が通じないのかと思っていたら、なんとトイレの鍵番がいないので使用 できないということだった。 騒ぎをよそにすぐ前の海岸では男の子3人が立ち小便をしていた。 |
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パナマからアトランタへ(番外編) | ||
パナマを離陸しアトランタへ | ||
キューバ・サパタ半島海岸線 | ||
キューバ・マタンサス湾 | ||
フロリダ海峡・キーウエスト | ||
フロリダ・フォートマイアース(右下のY字橋がエジソン・ブリッジ) | ||
エジソン・ブリッジの上流の景観 | ||
フロリダの地上絵? 土地の境界がつくる幾何学的模様が相貌的知覚というか何かおもしろそうな形状に見えた。 |
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アトランタ〜アラスカ(最終編) | ||
この時期アトランタは花粉が多く道路の角や池の周りの黄色い花粉が吹きだまりになって いた。しかしマスクをしている人は見あたらなかったし、特に目や鼻に刺激もなかった。 自然史博物館で世界最大の恐竜の化石とコカコーラ博物館を見て帰国、帰りはアラスカ 経由で夕方近くのアラスカの山脈を上空から見ることができたが、残念ながら山名などは 分からなかった。 |
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南米パタゴニアで発見されたアルゼンティノサウルス。体長37m、重さ100tの植物食 恐竜で今まで発見された中では最大の恐竜といわれている。(写真は一部) |
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コカコーラ博物館でサンタクロースがコーラを飲むなどのコマーシャル。 | ||
博物館横にあった中央長老教会の児童発達センターの建物 | ||
アラスカ上空で、山名は不明。 | ||
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