修行法の作法

霊的修行法には、作法がつきものです。

その作法ひとつひとつに意味があります。しかし、伝統的な修行法というものは、長い年月のうちに変わってしまう可能性があります。

創始者がいかに偉大で実力があっても、その後継者たる弟子が未熟であったり、また作法の意味すら知らずに、勝手に変えてしまうことも考えられます。

例えば、印の組み方や拍手など、自分なりに「こうやった方がかっこいいなー」なんて変えてしまったとすると、もう価値がありません。

そのあと弟子がついても、作法の間違えに気がつくわけもありません。その後、秘伝と呼ばれ伝統的に引き継がれているかのようでも、力はもうなくなってしまっている可能性もあるのです。

元は確実に成果のあった修行法でも、時の流れともに変わってしまうことが多いといえます。

霊魂は、作法ひとつひとつの幽体または、幽体から発するオーラの動きを見ています。「二拍手の後には必ず印を組むから、その時に力をかけよう」などと準備しているのです。

それなのに違う作法を行えば、結局、空振りに終わってしまいます。

また、祝詞と呼ばれるものがあります。よく神主さんが結婚式や儀式などで唱えるものです。これは言葉を発します。

物質的な音というものは霊魂には伝わりません。しかし言葉、音を発すると同時に霊的、幽的なものが出ます。それが霊魂に伝わるのです。

同じ祝詞を唱えるにしても、人により力の差が出てしまうことがあります。

それは、人の想い、想念というのは霊的な力を持つからです。

聞く人には、いかにもりゅうちょうで「うまい!」と言われる祝詞でも、それがただ自分に酔っているだけなら何の力もありません。

それとは逆に、ゆっくりとして言葉のひとつひとつを確実に発して、聞く人には「何だか素人っぽい」と思われる方が力があったりするのです。

そこには言葉ひとつひとつに想いが込められ、それが力となって、霊魂に届き響くからです。

作法も、言葉を発するにしても確実に力を持つのは、やはりその想念が常に高い存在に向いていることが重要です。

最近では「霊的なものなど一切認めていない」という神主さんもいらっしゃるようで、そういった方の祓いは単なる形式的なもので何の力もないといえましょう。

 

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