2000年秋、ある銀行で不動産取引が行われようとしている。 同年4月から施行された新しい成年後見制度は、果たして権利擁護システムとして機能しているだろうか・・そこで待ちうけるハプニングとは・・・ |
5年前に妻に先立たれ、現在一人暮らし。楽しみは週に何度かのスナック通い。 最近、記憶力や状況認識にちょっとおかしなところが現われ出した。 稲田の実の娘。結婚して実家の近所に住んでいる。一人暮らしの父親のことを常 に気に掛け心配している孝行娘。 稲田と顔見知りの不動産業者。稲田と松岡との不動産取引を成立させようと一生 懸命努力する。 今回初めて土地を買うサラリーマン。取引の場では緊張気味。 稲田と西村行きつけのスナックに勤める女性。何かと稲田の世話を焼いてくれて いる。 開業3年目の司法書士。西村から稲田と松岡の不動産売買の立会を依頼される。 稲田と松岡の不動産取引が行われる銀行の職員。 |
平日の銀行。舞台には銀行の応接室のセット。 まだ誰もいない。 稲田五郎とあけみが銀行にやってきた様子。(声のみ) |
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あけみ | おじいちゃん。足下気を付けてね。 |
稲 田 | だいじょうぶだよ。(銀行員に向かって)ちょっとおねえちゃん。稲田だけんど、土地を売るんで来たんだけど、どこ行きゃあいんだんべ。 |
銀行員 | いらしゃいませ。まだ、どなたもおみえになっていませんので、こちらの応接室でお待ち下さい。。 |
稲 田 | あいよ |
あけみ | (稲田の耳元でささやくような感じで)じゃあ、私は、隣の喫茶店で待ってるわね。終わったら、一緒にお昼ご飯食べにいきましょうよ。お金おとさないように気を付けてよ。大丈夫よね。 |
稲 田 | まーず、心配すらっといいよっ。じゃあ、あとでなっ |
稲田おじいちゃんが、外のあけみに手を振りながらよろよろと応接室に入ってくる。部屋を見渡し、椅子に座る。 | |
稲 田 あー、どっこいしょと。少しの間の後、仲介業者西村と買主松岡が入ってくる。 西 村 (歩きながら)どうもぉ。稲田さん待ったかい? わりぃね。(椅子に座る) 稲 田 今来たとこさ 松 岡 こんにちは。(挨拶して、椅子に腰掛けようとする) 稲 田 いやぁ・・・。お宅は、えぇと、どちらさん? 西村・松岡、一瞬驚いて五郎を見る。 西 村 (ハッキリと発音すること)稲田さん。何言ってるんだい?(笑いながら。しっかりしてくれよぉという感じで) 買主の松岡さんだよ! 俺の会社で何回か会ったんべ・・・。 松 岡 えぇ。稲 田そうかい。まーず、年取ると忘れっぽくなってねぇ。 西 村 何が年だい。(意味深そうに)今、「スナック」のあけみちゃんに行き会ったよ。どうせここまで送ってもらったんだんべ。まったく隅におけねぇんだから。 (松岡に向って) 西村のよいしょにご機嫌の稲田老人 松 岡 そうなんですか。(適当に相づちを打つ) 稲 田 まーず。それだけが、楽しみなんサ。 西 村 あ、赤城さんも来た、来た。 司法書士赤城一郎が急ぎ足で大股で入ってくる。 赤 城 すいません。遅くなりまして。ちょっとばたばたしちゃって・・・。 松岡立ち上がる 西 村 あぁ、赤城さん、紹介するよ。こちらが、売主の稲田さん。 赤 城 (名刺を渡しながら)どうも、はじめまして。司法書士の赤城です。 西 村 こちらが買主の松岡さん。 赤 城 (名刺を渡しながら)赤城です。よろしくお願いします。 松 岡 よろしくお願いします。 赤城・松岡椅子に座る 赤 城 (鞄から書類を取り出し)じゃぁ、早速始めましょうか。 五郎ぼーっとしているが、西村につつかれてのんびりした動作で封筒の中を探す。 銀行員がお茶をもって入ってくる。奥から、まず、松岡にお茶を出す。 五郎は銀行員に気付くと、じっーと目で追う。銀行員は松岡に続き、赤城、西村にお茶をだす。 松岡はセカンドバッグの中から住民票を取り出して赤城に渡す。 松 岡 (赤城に渡す)私の方は、住民票だけでいいんですよね。 赤 城 (受け取りながら)そうですね。 銀行員が最後に五郎の前にお茶を出すと・・・。 銀行員 いらっしゃいませ。 稲 田 (銀行員を見上げて)あ、どうも。 銀行員・松岡・赤城・西村 (一斉に)えっ? 稲 田 だから、日替定食! 一同、驚いて動作をとめ、五郎の方を見る。少しの間。 西 村 稲田さん。また冗談言ってぇ!(慌ててごまかそうとする。)ここは、銀行だよぉ。定食屋じゃねぇんだから。 赤 城 えぇ・・・(心配そう)。 稲 田 俺かい? 7じゅう・・・。(考え込む) 赤 城 (助け船を出すように)大正何年生まれでしたっけ? 稲 田 (すらすらと)大正9年1月1日。 赤 城 じゃぁ・・・79歳ですね。ご家族は? 稲 田 ばぁさんが死んでからずっと一人なんサ。娘は近くにいるけどさぁ。 赤 城 一人暮らしですか。(世間話風に) 稲 田 娘は一緒に住もうなんて言うんだけんど、一人の方が気 楽でいいんさぁ。娘なんて、まーず、うるせぇだけで・ ・・。 赤 城 そうですか・・・。(探るように、聞き難そうに)ところで、稲田さんは、裁判所で何か手続されてます? 今日みたいな大事な取引の時なんかに、稲田さんの代わりにやってくれたり、一緒に考えてくれたりするような・・・。「補助人」ていうんですけど、選任されてませんかねぇ。 稲 田 そんなんわかんねぇなぁ。 西 村 赤城さんが言ってるンは、あれだろ、司法書士会が去年の春に社会福祉総合センターでやった、あの・・・成年 後見とかってやつ。 赤 城 そうですか・・・。(なんとなく腑に落ちない様子。しばらく考え込む) 西 村 あぁ。パン屋がここだよ。だから・・・(地図上を探す) 稲 田 あぁ。そうだいねぇ。ここだよ。 赤 城 わかりました(少し考え込む)。じゃぁ、最後にこちらの書類に署名捺印して下さい。それで、書類はすべて整いますので。 稲 田 俺が書くんかい?(ペンを持とうともせず、不満そうに) 赤 城 ええ、お願いします。 稲 田 ここかい?(手が震える。ゆっくりと時間をかけて署名する) 西 村 (立ち上がりながら)じゃぁ、いいね、赤城さん。 赤 城 えぇ。 西村、応接のドアの所まで歩いていき、営業室の方に声をかける。 西 村 書類揃ったから、お金の用意してくれる。 銀行員 はい。 西 村 (歩いて戻りながら稲田に声を掛ける) 稲 田 あぁ。この土地売った金は、あけみにもくれてやるんさ。 西 村 えぇ?! このご時世にずいぶん気前がいいねぇ。 息を切らせながら娘ふみえがドアを開けて入ってくる。皆、一斉にふみえの方を見る。ふみえは稲田のところに駆け寄り、 ふみえ (大きな声で)あぁ、いた!おじいちゃん、こんなところで何やってんの。 稲 田 (一瞬誰か分からないが、娘だと気づくと) ふみえ 「どうした?」じゃないでしょうが。 赤 城 (西村に向かって小声で)どなたですか? 西 村 (まずいやつに見つかったという感じで) ふみえ (怒ったように)西村さん、一体ここで、何やってるんですか。 西 村 いやぁ、稲田さんがパン屋のうらンとこの土地売りてぇっつんで、買主探してやったんさ。 稲 田 あぁ。そうだいねぇ。 ふみえ なに、私に黙って勝手にそんなことしてんのよ。 ふみえの勢いに赤城、松岡は状況を把握できず声もでない様子。 赤 城 (ふみえに向かって)あの、司法書士の赤城です。ちょっと、落ち着いて下さい。事情がよく分からないんです けど・・・。 ふみえ 隣の奥さんから、おじいちゃんがハデーな女の人と銀行に入って行ったって聞いて、慌てて飛んできたんですよ。 まさか、土地を売ろうとしてるなんて・・・。 ふみえ (きっぱりと)西村さん、私は、おじいちゃんの補助人になってるんですよ。それも、おじいちゃんに頼まれて。 赤 城 (手で西村を制して、無視して、ふみえに向かって)ちょっと待って下さい。あなたは、稲田さんの補助人なんですか? 稲田さんは、さっきそういう人はいないって言ってましたけど。 ふみえ ちゃんと、裁判所で手続きしました。書類も持ってきてます。(バッグの中から、審判書を取り出す。赤城の所まで歩いて行き、審判書を渡す。) 赤 城 (立ちあがり審判書を受け取る。自分の席に戻りながら)えぇと、家庭裁判所の審判書ですね。(書類を読む) ふみえ えぇ、そうです。 稲 田 あぁ・・・。そうだったいねぇ。 松 岡 (不安そうに赤城の耳元で)赤城さん。どういう事なんですか? 何か問題があるんですか? 赤 城 えぇ。軽い痴呆などがある人は、家庭裁判所に補助人の選任を申立てることができます。補助人の権限は、それぞれのケースで違いますが、ふみえさんは、不動産売却に関する「同意権」と「取消権」を持っています。つまり、稲田さんが補助人であるふみえさんの同意なく、不動産の売買契約を結んだ場合には、稲田さんとふみえさんはその契約を取り消すことが出来るんです。 松 岡 (不安そうに赤城の耳元で)もう手付も払ったんですけど・・・。どうなるんでしょうか。 赤 城 (ふみえに向かって)ふみえさん、どうしますか? ふみえ もちろん、取り消しますよ。どうせ、どこかの女の人に騙されてるんだから・・・。あの土地は、おじいちゃんの今後の生活のための大事な財産なんです。病気になっったりねたきりになったりしたら、お金だってかかるでしょう・・・。 西 村 ちょっと、落ち着きなよ、ふみえさん。別に稲田さんは誰にも騙されたりしちゃいねぇよ。 ふみえ (諭すように、いったい何のために使うのというニュアンス)土地売ってどうするのぉ。 稲 田 あけみにくれてやるんさぁ。離婚しちゃって、子供育てんのに一生懸命なんさぁ。 ふみえ お母さんが生きてたらなんて言うと思う? 情けない! 稲 田 あけみは、俺にもうーんと良くしてくれてるんさぁ。病院の送り迎えしてくれたりさぁ。 ふみえ そんなこと、あたしに頼めばいいでしょ。 西 村 (にやにやしながら)そりゃ、あけみちゃんが連れてってくれた方がいいやなぁ、稲田さん。(いやらしく笑う) うなずく稲田老人。 ふみえ (西村をにらみながらビシッと)西村さんは、黙っててください。 びくっとして肩をすくめる西村 ふみえ おじいちゃん、バブルの頃は、どんなに頼まれたって、土地は売らなかったのに。どうしちゃったの。今になっ て・・・。 稲 田 もう先もねぇから、好きなことに使うんサ。 西 村 自分の財産を、好きなように使うっていうのは、当たり前のことじゃねぇんかい。それがホントの「自己決定」 ってもんじゃねんかい、赤城さん。(得意そうに) ふみえ 自己決定・・・。 西 村 今回は、前に騒がれてた事件とは全然違うよ。稲田さんは、自分から、土地を売りたいって言い出したんだから。 それで、好きな子に何買ってやろうが、飲み歩こうが稲田さんの勝手だろうが。 ふみえ それはそうだけど、おじいちゃんの今後の生活も心配だから・・・。 稲 田 そんなことは、心配すらっといいよぉ。 西 村 人それぞれ、楽しみってもんは違うんだよ。ふみえさん から見たら、「無駄」に見えるようなことでも、稲田さんにとっては、大きな楽しみってこともあるだろう。 ふみえ (考え込む) 西 村 なんでもかんでも、取消せばいいってもんじゃないと思 うよ。補助人なんてもんがついたおかげで、自分の財産 を好きなように使うことができねぇなんて、おかしな話 だいねぇ。 稲 田 あけみは、うーんと嬉しそうな顔してたのになぁ・・・。 ふみえ ・・・わかりました。じゃぁ、おじいちゃん、こうしま しょう。 一同ホッとする様子。 西 村 あぁ、良かったよ。ふみえさんが分かってくれて。 稲 田 うーん・・・わかったよぉ。 西 村 じゃぁ、赤城さん、そういうことだから頼むよ。 赤 城 それでは、ふみえさんも今回の売買に同意されるんですね。(確認するように) ふみえ えぇ、おじいちゃんの財産だし、おじいちゃんの意思を尊重してあげなくちゃいけないでしょう。だから、今回 は、同意します。 赤 城 それでは、今後取消の問題が出てこないように、ふみえさんも補助人として、こちらの書類に署名捺印して下さ い。(書類をさしだす) ふみえ わかりました。ここですね。(署名する) 暗 転 西 村 あぁ、話がまとまって良かったよ。 赤 城 そうですねぇ。手間がかかったり、面倒になったりする場面も多くなるでしょうね。でも、そういった非効率的な部分を受け入れていくのが、本当の「成熟した社会」なんでしょうね。 稲 田 まーず、今日はくたびれた。でも、土地が売れて良かったぃ。死んだばあさんには悪ぃけど、今は、あけみの喜ぶ顔見るンが一番嬉しいんさねぇ・・・。 BGM次第に大きくなり、暗くなる |
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