「文武両道」の精神によせて
創立百周年を機に
翠巒体育会
会長 山口正敏 (卓球部・58期)
本年五月二十日の創立百周年記念式典
をもって、高崎高校創立百周年記念事業
は、来年三月に『百年史』の刊行予定を・
のこして、ほかはすべて成功裡に終了し
ました。古色蒼然とした講堂は同窓会館
「翠巒会館」に、指月庭もまた新しく生
まれ変わり、新たな歴史を刻み始めるこ
とになりました。ここに、翠巒体育会の
皆さまが同窓会の理事、学年幹事、PT
Aの役員などそれぞれの立場から各事業
にご協力されましたことに対して、心よ
り感謝申し上げます。
高崎高校には「文武両道」のすばらし
い伝統があります。その一翼を担ってき
た運動部の歴史を振り返ってみたいと思
います。
明治三十年(一八八七年)に県立尋常
中学校の群馬分校として、高崎市赤坂町
の長松寺に産声を挙げた当校は、翌年に
上和田町の現在の第一中学校のところに
移転しますが、この年に撃剣部と野球部
が始まります。明治三十五年(一八九二
年)には庭球部と剣道部が加わり、同時
に学芸部も発足をして「文武両道」の精
神が奨励されました。
昭和に入ってからは、三年に野球部が
県大会で四連覇、庭球部は五年、六年と
二年続けて全国大会で優勝のほか、八つ
の大会で優勝をするという、すばらしい
活躍ぶりでした。七年に野球部は県大会
で、水泳部は近県大会で、庭球部はダブ
ルスで全関東大会で優勝をしています。
射撃部、機械体操部の活躍もめざましく、
昭和初期の高崎高校は、運動部の輝かし
い時代でありました。当時の時代的背景
がしのばれて、興味深いことです。
大東亜戦争をはさんで、その後、学校
教育は方向転換を余儀なくされますが、
昭和二十一年にラグビー部が誕生し、二
十三年にはバスケット部と共に国体に出
場しています。その後のラグビー部の活
躍はすばらしく、二十八年、三十年に国
体で全国制覇を成し遂げます。また四十
三年には、サッカー部が初めて国体に出
場し、その後もバスケット部や庭球部、
水泳部}陸上部がインターハイや国体に
出場を果たしましたb
そして五十五年にはついに野球部が甲
子園大会に初出場、開校以来八十四年目
の快挙として、卒業生ともども全校が沸
き返りました。その後もサッカー部やバ
スケット部、庭球部、ラグビー部も全国
大会に進出しています。
このようななかで翠巒体育会も四半世
紀を迎えようとしていますが、地域社会
における当会会員の活躍はすばらしいも
のがあります。平成七年、バレーボール
の「翠巒クラブ」は、全日本バレーボー
ル協会の男子選手権大会連続十回出場の
表彰を受けていますし、当会副会長の佐
藤義夫君(五十八期一が高崎市の体育功
労賞を受賞しています。これは体育会に
とっても大変に名誉なことです。
現在、各クラブで記念誌を創ることが
盛んになっています。すでにバスケット
部一ラグビー部、バレー部では制作され
ました。サッカー部は制作中とのことで
すが、そうした過程を通じて、世代を超
えた新たな連携の絆が深められていま
す。
当会としても、次なる四半世紀に向け
て「心のつながり」を基本におきながら、
現役とOB間、またOB同士の交流を盛
んにしていきたいと思います。また、O
Bの地域社会との関わりもいっそう強め
るべく活動をしていきたいと思っていま
す。先輩諸兄のご理解とさらなるご支援
をお願いしたいと思います。
最近の教育を考えるとき、「文武両道」
と言われながらも、受験勉強を中心とし
た「勉強」に重点がおかれているのを否
定できません。しかし高校生活の三年間
に、スポーツを通じて青春の汗をありっ
たけ流し、エネルギーをぶつけ合うこと
は、ひじょうに貴重な経験となるのです。
人間形成にとって計り知れない大きなも
のがあると思います。それを大切にする
ためにも、先輩諸兄の築き上げてきたす
ばらしい活躍と伝統を現役の諸君と共に
継承し、さらなる歴史を創っていきたい
と思っています。