群馬県高崎市観光情報

 

 
洞窟観音




当園は、高崎駅西方約3.2キロ、烏川を隔てた観音山丘陵の金沢山に所在します。

多くの人々が共に楽しめる霊場、楽天地を建設しようと決意した故山田徳蔵翁

によって大正8年着工され、昭和39年、翁が88才の生涯を閉じる迄の50年間たゆ

むことなく工事が進められ完成をみたものです。

動力や土木機械のない時代に、つるはしやスコップなど全て人力で山を抜き、

谷を埋め、池を掘り、石を運び、それはあたかも築城の大仕事にも似た壮大な

ドラマでした。

洞窟内の坑道は、長さ400メートルをこえ、幾多の巨石銘石を配した洞窟内の大

小空間は翁の構想により、彼岸の楽土をイメージし、深山幽谷を写し、大瀑

布、渓流になぞらえ、それぞれを背景に石彫の名工、楽山が生涯かけて彫刻し

た御影石の観音像39体が他の石彫群と共に安置され神秘的な法悦の世界を繰り

ひろげております。

洞窟内及び庭園に散在する石仏、石像、石塔の類は実に100を超す多数にのぼ

り、異色の景観を呈し、信仰の森とも云うべきたたずまいを見せております。

翁の傾注し燃焼させたエネルギーは、今、深く静かに沈潜し、昇華して、訪

れる人に無言のうちに生きることのすばらしさを語りかけているのです。



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徳明園


徳明園は洞窟観音に併設された北関東一の名園として名高く、群馬の銘石、

三波石を主として全国から集められた数多くの石造物や巨岩で構築され、一部

には枯山水をも配した回遊式の庭園です。自生の赤松に、新潟の黒松や、さつ

き等様々な名木を配植して造営された庭ですが、心無き仕業に荒らされる事も

あって長らく公開しておりませんでした。しかし、翁の遺業を受け継いで現在

も引き続き工事は進行中であり、さらにこの庭園内に翁の遺品や、生前ここを

訪れた多くの文人墨客の書画等を展示する山田徳蔵記念館を開設し併せて公開

しております。

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漫画のふるさと山徳まんが記念館  
当時の創始者のコレクションの中に1905年諷刺漫画誌「東京パック」を

創始し近代漫画の新時代を拓いた北沢楽天の作品が含まれていた事が、記念館

創設の動機であった。徳蔵宛、楽天の手紙に「楽天山(洞窟観音の別名)は私

にとりて因縁浅からず。。。」と述べられているが、今日、その縁が時を経て

広く深く漫画の歴史を尋ねるため、ユーモアの世界へのベースキャンプとして

の漫画のふるさと構想に発展し新しい展開をみせようとしている。





第二展示室は漫画収蔵品の展示です

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山田徳蔵(1885〜1964)


新潟県柏崎市四ッ谷に生まれた翁は、先祖が高崎藩主、松平右京亮より米の

御用達を命ぜられた米殻商だったので、雪にとざされる冬は毎年関東に出稼ぎ

に来ていましたが、やがて、高崎市の田町に定住するようになりました。商売

は、高級呉服に背負い販売で始まり、群馬県下一円に得意先を広げ、県内の一

番店として活況をみせておりました。大正時代の最盛期には、中国の青島にも

出店し、東京、新潟にも支店を開設しました。そして内外に公友を広げ、当代

の多くの政財界諸名士ともしだいに親交を深めていきました。この間、信仰心

のあつい翁は、財を私することを潔しとせず、30才余りの若さで観音霊場の自

力建設を発願いたしました。そして深い洞察力と、強じんな意思と、すべての

私財を投じ80歳で大往生を遂げる瞬間まで、半世紀の長きにわたって情熱を傾

け尽くしこの偉業と取り組み、洞窟観音山徳公園として後世への遺産とされた

のです。昭和38年、財団法人洞窟観音山徳公園維持会が設立され、翁の遺徳を

顕彰し、又公園の諸施設の維持管理の任に当たることになり現在も営々と活動

が続けられております。

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北沢楽天(1876〜1955)


時事新報を経て創刊した「東京パック」は当時のニューメディアとして大衆

の支持を得て、5万部という驚異的な発行部数を誇った。漫画という言葉を社会

的に定着させ、漫画の新時代を作り上げた。昭和4年パリで個展を開きレジョ

ン・ドヌ−ル勲章を受ける。

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