ぐんまの文化財見学ツアー

第3回 沼田街道 秘仏を巡る旅

2006.11.12

■1 三光院十一面観音像 沼田市柳町「三光院」
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まずははらごしらへ 沼田市HPへ ↓■吉祥寺のヒメコマツ
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■2 木像釈迦如来坐像画像は写っておりません)
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 川場村のページへ
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川場村歴史民族資料館(旧川場尋常高等小学校校舎)で ●●雨さん(横手由男画伯)の絵

■3 石像不動明王立像
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渋川市赤城町「不動寺」
■渋川市HPへ
■三光院十一面観音像(いただいた説明文コピー)です。
 沼田台地の北端に「暗雲山三光院智徳寺」があります。この「三光院」は、沼田最古の寺であり、今から六七六年前コニ二四年(正中元年)創建されました。三光院は、最初沼田氏の守護寺として井上上町荘田城の近くにあったものを寺久保の中段に熊之坊寺を移し、その後現在の地に建てられました。
 さて、三光院の寺宝は、何と言っても観音堂にある「十一面観世音菩薩」です。群馬県の重要文化財に指定されその価値は県民の知るところとなりそのレプリカが群馬県の博物館に常設されているくらいです。
 では、なぜこのように素晴らしい観世音菩薩が我が三光院にあるのでしょうか。それに沼田の歴史と深い関係があるからです。
 時は、小流域時代の半ば応永十三年八月(一四〇六年)には、各地に争乱「上野白旗一揆」のきざしが見え、群馬郡国府の住人村上出羽守が軍勢何千騎という多勢を率いて上野・下川田・上川田・名胡桃城の沼田氏を攻めました。その後沼田氏八代景朝が、その仕返しとして利根の優れた勇士を引連れて国府の村上出羽守の城に攻撃し、要害十三箇所を攻略し、また国府一面を焼払い帰りに由緒ある寺院から「十一面観世音菩薩」を戦利品として持ち帰ったとされています。
 その後「十一面観世音菩薩」は発知の「天照寺」に安置し後に一一四年後一五二〇年(永正十七年)十一代奉輝か幕岩城を築いた翌年、一度泥棒にあいました。賊は寺久保川のほとりを観音様を背負ってうろうろしているところを三木武兵衛という武士に取り押さえられ無事戻ったと言う話です。そんなに立派な観音様では城の鬼門除けとして「三光院」に観音堂を作り安置しましょうときまり現在の所に収まりました。
 先年、解体修理して、明らかにされたことは、鎌倉時代の文永七年こ二七〇年九月ヱハ目)今から七三一年前の当時有名な大仏師「法橋快覚」の作であることが判明しました。
 この観世音菩薩は長い苦難の中を平和と平等と人々の多くの願いをかなえながら実と見守ってきました
素晴らしい十一面観世音菩薩様であります。
 一説には、「子はらみ観音」「子育て観音」「身ごもり観音」等と一時は呼ばれたことがあるそうです。それは観音様の下腹部がふっくらしているからです。お参りした人にはそれだけのご利益を音から与えてくれる有り難い観音様であると言われています。このことは立証されています。今後も皆さんでしっかりお守りして行きたいと思います。
(群馬県重要文化財)
三光院
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