焼きまんじゅうの忠治茶屋の由来 |
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西野目宇右衛門は、上州田部井村(現在の群馬県伊勢崎市田部井町)の庄屋で、村民からの人望も厚い人だった。長岡忠次郎(国定忠治)の盟友でもあったことから、病気で役人の目から逃れようとする忠治を自邸の離れでかくまった。広大な屋敷は竹やぶで覆われ、隠れ家としては、最適だったようだ。 |
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忠治茶屋本舗の外観 | しばらくの間、妾のお町と忠治の平穏な日々が続いたが、嘉永3年(1850年)8月24日未明、ついに国定忠治は宇右衛門屋敷の納屋で、八州役人、中山誠一郎の指揮する捕手たちに捕縛された。 その後、国定忠治は、自ら破った大戸の関所ではりつけとなり、西野目宇右衛門は、江戸小塚原において、忠治をかくまった罪で打ち首となった。嘉永3年12月21日、国定忠治41歳、宇右衛門54歳の冬であった。 忠治茶屋は毎月21日(日・火・祝日は翌日)に忠治の没日を記念して特売をしている。 |
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忠治茶屋本舗の店内(床は土間) | |||||||||
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