シンポジウム(2/4)

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石川(司会者)
はいありがとうございます。本人のことを中心に考えて後見人をやっていくというお話だったと思うんですけども後見人の重要性って言うのが分かったような気がします。池田さんのお話は後見人の適格性の問題でしたけれども清水さん、後見人の適格性も大切ですがどう選ばれるかという問題も非常に重要だと思うんですが、その辺いかがでしょう。
清水
私は昨年秋に、今のご発言の池田さん達の社会福祉士会のグループとドイツ視察にいってまいりました。非常に驚いたのですが、「後見人を選んでくれ」と後見人選任の申し立てが裁判所にありますと、必ず裁判官が本人の家を訪問しちゃうんですね。裁判官自身が訪問するんですよ。本人を審問に行くのですから、法廷で着る黒い服を持って行くのでしょうかね。本人の家で黒い服に着替えて審問するかどうかは聞いてこなかったのですけれども。どうですか皆さん。皆さんの家に裁判官が来るとしたら。どうですか。かえって迷惑ですか。お茶も出さなくちゃいけないし、玉露にしようか、コーヒーにしようか迷わなくちゃいけないし、来ない方がいいとも言えますかね。
 そんなことはどうでも良くて、問題は何故行くのかということです。裁判官にその辺聞きましたらこんな事言ってました。「ベットのそばの焼けこげの跡とか、台所が乱れている様子、本人の生活状況を見なければ、本当にその人が後見人を必要としているかどうか、分からないでしょう」と。確かにその通りですよね。これに、だめ押しの発言が続きまして、「裁判所に誰かに付き添われてきたとしても、緊張しているし、本当の事は分からないでしょう」とおっしゃいました。つくづくごもっともでございます。
 私は、アメリカも視察しちゃったんですが、本人の家を訪れるのは、ドイツだけではなくて、アメリカでもそういうことが行われていました。こちらは裁判官ではないのですが、一定の訓練を受けたボランティアの人たちが、本人の家を訪問して調査しています。ソーシャルワーカーと呼ばれる人とか、教育分野の研究者とか、いろいろな分野の専門家の方が、意図的に選ばれているようです。後見人を必要としているその本人はもちろん、後見人になる予定の人、その人達を取り巻く周りの環境の人たちも調査いたします。必ず一対一で調査するのです。その人のなじみの環境で調査が行われます。「警戒心や不安を排除して本心を聞き出すのが目的だから当然だろう」とサンフランシスコで金髪のソーシャルワーカーの女性調査官が胸を張って話してくれました。
 日本の場合、後見人を選任段階でどのようになっているのでしょうか。今度の新しい制度は「利害関係人等いっさいの事情を考慮しなければならない」としています。でも、外国のように本人を実際に訪問したり、手間暇かけて、調査が行われるかどうかは、疑問なところがあります。ドイツやアメリカは、手間暇かけてこの選任段階を慎重にしています。理由は本人が置かれている環境を知って、本人の本心を知らなければ、本当に本人にふさ
わしい後見人は選ばれない事を解っているからなんです。本人の能力が衰えているところにつけ込まれて、申し立てがなされる可能性もあるわけですから、調査に手間暇がかけられるのです。そして、そんなことを当たり前だと思える環境がそこにはあるんだと思います。
 日本がそういうことになるかどうかは疑問があると言いましたけれど、工夫次第では日本でもそういうことは出来ると思います。でもいかにしても時間が足らないように私は感じます。先月の15日にこの民法改正法案が国会に提出されてただいま審議中です。だいたい5月頃には、可決されて法律になると思いますが、それが施行されるのが来年の4月。一年しかないのです。これが非常に大きな問題点だと思います。
 私はカナダへも行ったのですが、カナダでは5年間の準備期間があったわけです。この期間を使って、成年後見制度を運用する環境を整えていきました。日本も当然この成年後見制度の環境をこれから整えて行くのでしょうけれど、一年ではあまりにも短すぎるのではないでしょうか。
石川(司会者)
はいありがとうございます。後見人を選ぶときに日本では、事前の調査があまりされていないようですけれども、今のお話を聞くとここら辺がポイントかなと思いますね。さて今ご本人と後見人の関係いうとのを見てきましたけれども、いったん選ばれますと、この本人の関係と後見人の関係というのがもっと緊密になってきます。先ほど劇で稲田老人と娘さんがおりましたけれども、あの関係になるわけですね、娘さんは稲田老人が土地を売りたいと言っているのを取り消しました。稲田老人が土地を売りたいという事は、これは自己決定したわけですね。自分で決めたわけです。それを尊重すれば土地を売るという事になります。でも稲田老人のことを本当に思っていたならば、土地の取引を取り消してその財産を確保すると言う道ももちろんあるわけです。ただ非常にバランスが難しくなるわけです。成年後見人と言うのは、自己決定を尊重するからと言って、その人の言いなりになっていては職務が全うできません。成年後見制度いうのはそういうものだと思います。ですからこの微妙なバランスが非常に難しいんですけれども、この辺は池田さんはどうお考えになっていらっしゃいますか。
池田
先ほどは、後見人について代弁人としての役割を強調しすぎてしまったのかもしれません。ご指摘の通りそこが大変難しいと思っています。ただ、やはり後見人である限り、生命の危険と、それよって以後の生活に決定的な悪い影響を及ぼすと考えられていること以外は、基本的には本人の自己決定、本人がこうしたいと言うことを代弁していく事に重点を置くべきではないかと思っています。
 こういう話をドイツに行ったとき聞きました。みなさんも一緒に考えていただければと思います。日本でいえば生活保護世帯、日々の暮らしにも十分でない程度のお金しか持ってないお年寄りが、それをちびちびちびちび貯めて少し小金がたまってた。それを一ヶ月分のお金が入る日に全部一緒に持ってきて、近くのお店に飾ってあった、その人には身分不相応と思えるような毛皮の襟巻きがほしいと言った。どうしても欲しいと言っている。こうした場合、ケースワーカーは、相談を受ければ、一ヶ月分の生活費全部をそれで使ってしまうということであれば、「絶対だめ」としか言わざるを得ないですよね。それでは後見人はどうすべきかという話がでたんです。で、こういう話がでました。後見人はまず、どうしてそのお年寄りがそれほどにそれを欲しいのかを理解してるだろうか。「一生のうちで一度でもいいからああいうのを身につけてみたかった、これが最後のチャンスかもしれない、たとえしばらくご飯が食べられなくてもあれが欲しいんだ。」という思いが何かの形で後見人に理解されていたら、多分後見人としては本人の立場に立って、「一週間食べれない、じゃあその間どうするの。」それでもどうしても欲しければ「じゃあ少しまけてもらえないかな。」とか、そういった形で動かざるを得ないだろうと思います。それが後見人の役目だから、と裁判官の方は言っておりました。ケースワーカーは当然後見人とは違った立場で、「それはまずい、これはそういう使い方をされては困るお金だ。」と言うかもしれません。それに対してそれでも、「この人はこれをどうしても欲しいと言っている。だからお店に行って掛け合ってきたい。」というのが代弁人である後見人の役目だ、というふうにも言っておりました。それで実際は丁々発止あって、結局は買えないかもしれない。でも後見人がいなかったら本人の「買いたい」という気持ちも表に出すこともできないかもしれない。そういった本人の立場を代弁するのが後見人であると、いうふうにも裁判官は言っていました。ですから、その後見人になる人の質といいますか、理念、考え方というのが資質も含めて問題になるんだろうと思っています。
石川(司会者)
ありがとうございます。
清水さん池田さんのお話を聞くと、やはり、人の問題というのが一番重要なポイントになってくると思いますが、この制度自体いろいろな問題を抱えてまして解決しなければならない点が随分あるんだなと感じます。しかしこの制度の目的というのは使いやすい制度にこれからしていこうというふうに考えて改正されるわけですから、その趣旨に添った、運用がされていかなければ改正する意味がないわけですね。そういう意味でご本人の意思を十分に生かせる制度といえば、先ほど第一部でもご説明がありましたけれども、任意後見制度が、非常にいいんじゃないかというふうに私は思っています。その辺清水さんはどうとらえていらっしゃいますか。
清水
皆さんは自分がボケた後、どうしたら良いかということを考えたことがある方がいらっしゃいますでしょうか。お持ちの財産を子供に譲ろうと考えている方もいらっしゃると思いますけれど、遺言を書くとか贈与をするとかは別にしても、死を一つの基準として物事をとらえている様に思います。今度任意後見制度という新しい法律が出来る予定ですが、これが定められますと、ボケた時というもう一つの新しい基準ができると思います。でも任意後見制度ができたとしても、私たち自身がこれまで通りの生き方の姿勢を変えていかなければ、相変わらず自分たちの心にあるのは死という基準しか残ってないと思います。今持っている財産をどう運用して死を迎えたいのか。このために任意後見制度をどう使おうとするのか。そういう私たちの努力がこれからは必要になってくるのではないかと思います。元気なときは自分の考え方で生きているわけですよね。そのことをそのまま老後やボケた後につなげるための仕組みが任意後見制度と思います。ボケた後にそういうことをつなげたいという気持ちが自分の中になければ、せっかく制度ができてもボケたときという基準は私たちの基準にはならないわけです。
 皆さんには信じている人とか親しい友達、あるいは好きな人がいますよね。そういう人たちに例えは、この私でもいいんですけれども、みなさんが私にこう頼むんです。ボケても毎日お酒は一合飲ませろ。これは任意後見制度ができますと、こういう頼み方はできるわけです。それも「日本酒に限るよ」こういう事も言えるわけですね。さらに「週に一回は八海山にしろ」と。私は八海山が好きなんですけど、こんな契約がこれからできるようになる訳なんですね。いいですよね。私は毎日みなさんのお宅に夜、昼でもいいんですけれども、お酒を持っておじゃまするわけです。年を取ると一人暮らしになる可能性というのがかなり高くなってくると一般的にいわれてますけれど、私のようなものでも毎日一回必ず来てくれる人がいるだけで、うれしいですよね。そうでもないですか。でも頼まれた私は非常に大変でございまして、毎日行かなくちゃいけない。そのとき多分私はまだ司法書士やってるでしょうから結構忙しい訳なんです。どうせボケてるのだから「一日ぐらいは休むか」と休むと大変なことになる訳です。家庭裁判所に、選任された任意後見監督人という怖い人が私を監督しているわけです。「だめじゃないか」と怒られるわけですね。…目が覚めました?…そうですか、このようにみなさんが元気なうちであれば、みなさんが気に入った人を選んで、ボケた後の事を頼んでおけるわけです。そしてそれを実現できるようにするように、監督する人まで家庭裁判所が付けてくれる訳です。これが任意後見という今度できる制度です。先ほど私は来年の4月から新しい法律になると言いましたけれど、この任意後見の契約は今年の10月から出来るようになってしまいます。池田さんのところの社会福祉士会でも準備を進めてますし、司法書士会も社団法人成年後見センターという法人を作って、受け皿を作り、我々の資質を磨いていくための準備をしています。以上です。
石川(司会者)
ありがとうございます。清水さん私は越の寒梅の方がいいんですけれども、そういう場合もよろしいんですね。
清水
大丈夫です。
石川(司会者)
そうですか、これから話題を変えましてお金の問題に入っていきたいと思います。安藤さんお待たせいたしました。実際にこの制度が動き出すと、否応なくこの社会全体を巻き込んでいきます。経済取引にも非常に大きな影響がでてきます。経済取引の基礎になっているというとお金です。お金といえば銀行。銀行といえば安藤さんです。そこで、お尋ねしたいと思いますけれども、現時点における金融取引の現状についてちょっとお教え願いたいんですが、
安藤

はい分かりました。まず現行の禁治産・準禁治産という制度は先ほどの近藤さんの報告にもありましたが、ほとんど利用されていないのが実状ではないかと感じます。こうした実態は、本来の制度趣旨からは乖離していて残念な気がするわけです。具体的な金融取引場面での問題点ですが、意思能力に疑義があるというか懸念がある、こういう方々とのお取り引き場面では、取引の安全性という観点から慎重にならざるを得ない、ということかと思います。そのために結局お取り引きができなかったり、時間がかかってしまったり、あるいは非常に煩雑な手続きをお願いしたりという場面が生じてしまう訳です。また、ご本人が痴呆かどうか、意思能力があるのかないのかという判断が、非常に困難です。明らかにおかしいなと感じた場合にも金融機関から禁治産宣告受けなさいと強制するわけにいきませんので、対応に苦慮してしまう。また逆に、先ほどの寸劇にもありましたが、本当にご本人のためになるのか疑念を持つような申し入れケースもありますが、法律上の権限がある方からの申し出ですとお断りする事ができない事もあり、本人の権利を守るとう観点からは擬問を持ちつつ対応する、というような場面もございます。具体的には、例えば預金取引で言いますと、預金をお預かりするときはそれほど問題がありませんが、払い戻しの場面は安易に払い戻しに応じますと、銀行が免責約款等で保護される事は難しく、無効とか取り消しされますと全額戻ってくるかどうか分からない、ということがございます。もちろんキャッシュカードによる支払いですとかあるいは通帳・印鑑の持参人に対する払い戻し等、銀行がいわゆる善意・無過失であれば保護されることもありますが。そうすると高額の預金払い戻しといったような場合には、禁治産等法定手続終了まで払い戻しを謝絶したり、あるいは、応ずる場合でも、ご家族の方々から、損害担保の念書をいただいて、ご要望に応じるといった個別対応を余儀なくされているのかと思います。実際のトラブル例としましては、他の金融機関にお預けになられたのに、私どもに預けたとか、普通預金から定期預金に作り替えられたのに、現金もらってないとか、あるいは年金の受取口座などをご自分で解約されていながら、銀行が勝手にやったとか、いわれて、非常に困るケースというのがあるわけです。まれには訴訟にまでなってしまうケースもございます。次に融資取引についていえば、預金以上に本人の意思能力や借入意思の確認に注意が必要で慎重に取り扱いをしませんと、融資金が返ってこないということで大変苦労するわけです。取引に応じるような場合には、各金融機関取り扱いはまちまちだとは思いますが、例えばお医者さんですとか身元のしっかりした立会人に、本人は正常な判断能力を有している証明をしてもらう、公正証書で契約書を作成する、あるいは推定相続人の立ち会いを求めて、後日その取引成立に異議を述べないといったような確認をいただいて対応する、代理人がいる場合には代理人との取引で対応する、というようなことでございます。とりとめのない話をしてまいりましたけれども、いずれにしてもノーマライゼーションの理念は理解していても、お客様が銀行に求めているのは「取引の安全性」と考え、この側面を重視して、反対の側面、「権利擁護」ということには、ややから希薄なのかなと…
石川(司会者)

はい分かりました。
要するにガードは堅いということだと思いますが、新制度になった場合、金融機関さんの取り扱は、若干違ってくると思いますが、その辺もちょっとお話いただけますでしょうか。
安藤

はい。全部検討が終わっているわけではございません、不明な点もございますので、あくまでも想像の域を出ませんけれども、プラス面を考えますと、新制度の利用者増加は期待はできますので、これまで以上に取引の安全性を確保できるようになると思われます。また成年後見人と取り引きができれば、意思能力があるのかないのかという難しい判定からは解放されるわけですから、よりスムーズな、円滑な取引ができるようになる。さらに、法人も後見人になれるということですから金融機関としてのビジネスチャンスもでてくるのではないでしょうか。あるいは任意後見制度導入により取引開始後の判断能力の低下時に備えた事前の対応も可能になるのではないでしょうか。その外、一定額までの預金払い戻し等は、取り消し権の対象かはずれるとも考えられますので、多少リスクが軽減されるのかなと思っています。逆にデメリットっていうんでしょうかマイナス面で言いますと、ご報告にもありましたように、制度類型が多様化し、しかもこれが各人別、個々人別に全部違うということですから、この辺の管理を全部していかなくてはならないということになるのではないかと思います。もう一つ、ご報告にはありませんでしたが居住用の不動産を処分する場合、売ったりとか担保を付けたりする場合には裁判所の許可が必要になりましたので、居住用不動産かどうかの判定で悩むのではないかなということ、もう一点、金融機関は登録機関から証明書がとれませんので、事前調査が出来ず、予防策がたてづらいと言うことが難点かという気がします。具体的にどういう手続きになるか想像しますと、例えば預金の払い戻しであれば、その払い戻しの伝票、請求書に成年後見開始の有無確認欄をもうけるとか、成年後見が開始している場合にはその内容が確認できるようなシステムを作っておかないといけない。あるいは預金取引約款等での手当も考えなければいけないという気がします。別の切り口で言いますと、新制度で解決出来るものとして、金融資産等の有効活用が図られるようになると思います。ご本人の自助努力、例えば病気や不時の出費に備えるとい貯蓄目的からすれば、実際に寝込んでしまって本人は来られない、といったような場合でも新制度を利用していただければスムーズに払い戻しができるでしょうし、あるいは資産等の管理の面で、第三者からの侵害を防ぐという狭い意味だけではなく、自宅を担保に生活費を借りたり、福祉のサービスを受けたり、あるいは住宅を高齢者向きに改造したり、こういった広い意味での積極活用も可能となる、あるいは先ほど申し上げました資産の保全・管理が強化された、つまり居住用資産の処分には裁判所の許可が必要ということですから、本人の判断能力が低下したとき、自ら浪費するということや、あるいは詐欺的取引から財産を守れる、また任意後見の利用で、しかも自分の意思で管理可能となるなという気がいたします。解決できないものとしては、どんなに良い制度ができても利用・活用れなければ絵に描いた餅になってしまうと、「意思能力のないものとの取引は無効」という原則は残りますので、新制度を利用されない方々との取引場面では従来と変わらないと、もう一つは、我々一人一人がどのように認識を変えられるか変わるのか、変わらなければ新制度の趣旨は生きない、ということだと思います。

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