シンポジウム(3/4)

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シンポジウム開催前の登壇者打ち合わせ

石川(司会者)

はいありがとうございます。
もうちょっとお金の問題に触れたいと思います。今度は利用する側ですね。銀行さんを利用する側の話に移りたいと思います。松井さんにお伺いしたいと思うんですけれども、松井さんは日頃お年寄りの、金銭の管理問題について、ご苦労されていると思うんですが、特に日常の金銭の管理ということには非常にご苦労されていると思うんですが、その辺のことについて易しく事例を交えてお話しいただければと思うんですが…
松井

 はい、人の問題のところで発言時間の関係で言い足りなかったことがありますので、ちょっと補足をさせていただいてから、お金の問題に入りたいと思います。
さっきの劇で、おじいちゃんが騙されているかもしれない、だけどあけみの笑い顔を見るとそれが一番うれしいんだって言っていましたよね。距離がある人間が見ているとそれも一つの生き方かな、自分で貯めた金じゃないか、よしんば騙されたとしても、自分がそこで満足しているんだということであれば、それを一概にダメだと言えないのではないかと思います。ですけれど、家族にしてみればとんでもない話だというふうになるわけです。その葛藤の問題ですね。池田さんもおっしゃっていましたけれど、生活保護を受けている人は何で毛皮買っちゃいけないんだ、そういうことも関連してくると、人が人の代理をできるのかというところが非常に問題になってくると思うのです。
さっき自己決定だ、自分のことは自分で決める、そこを支えるシステムがこれなんだっておっしゃってましたけれども、そういうところで法律の制度が下手に動くと、制度がその人を逆に殺してしまう危険もあるわけですね。だから私はさっきつなぎになる人が必要だっていったんです。それは後見人という意味でなくて、もちろん後見人もそういう役割を担うけれども、お年寄りの日々の生活を知っていてお年寄りの思いとか考えとかその辺のところを理解している人が、後見人と本人とをつなぐという意味での媒介になることが私は必要ではないかな、という意味で言ったんです。そういう人がいないと制度が制度として硬直していくことがあり得ると思うのです。そういう点で人の問題っていうのは非常に難しさをはらんでいる。
だからといって、じゃあ、難しいことがいっぱいあるから、制度としては必要ないとはいえない。それは、細かい日常生活の中での金銭の問題が様々あるからです。
例えば、ホームヘルパーが、ちょっとお金がないんだよ無くなっちゃったんだよ、だから生活費でいくらおろしておくれ、と言われたりすることがあります。そういうときには極力お金には関わるなというのが原則ですけれども、それでも今ないことがわかれば、じゃあ1万か2万おろしてこようか、といっておろしてくる。けれどもそれが、お風呂場をちょっと改築するんでそのときのお金だから50万おろしてくれ、ということになるとヘルパーはすごく迷うわけです。一緒に行こうって言っても、行って帰ってくると疲れちゃうし腰が痛くなるんだよ、だから行って来てよ、ということになると、どうしたらいいんだろうかとすごく迷うわけです。そういうときは例えば民生委員さんに一緒に行っていただくとか、いわば証人を頼んで、お金をおろしてくることもあります。ですが、いつもいつも民生委員さんがつきあってくれるとは限らない訳です。
50万とか100万という単位になるのはまれですが、こまかい1万2万のお金を頻繁におろしたり入れたりすることはたびたびあるわけですね。さっきもちょっとお話がでましたが、お年寄の判断力が落ちてきている一方でお金に対して執着するということがありますが、以外と日々のお金の管理というのはいい加減なことがあるわけです。例えばヘルパーが洗濯をして洗濯物を干しているときに、あれっと思ってポッケに手を入れると1万円札が2つぐらいに折ってくしゃくしゃになって入ってたというケースもあります。本人は忘れている訳です。そういうお金の管理もしてるわけです。
そうすると細かいところのそういうお金の管理をちゃんとしてくれる人がいないとやっぱり生活の中では不自由をきたすことがいっぱいあるのです。さっきのお話の中で補助人、任意後見人という人たちはそういう細かなところも手助けしてくれるような説明がありましたけれども、実際のところ、そういう人たちが日常的な介護みたいな部分に入ってきてやってくれるかというと、なかなか大変だと思います。一人の生活を背負うということですからね。毎日毎日のことの積み重ねですから。そうするとヘルパーとか訪問看護ステーションとか、お宅に行ってそこでお世話をする人たちがある程度そこをサポートすることがどうしても必要になってくるわけです。現実の問題からすると、財産をトータルで見て管理していく後見人、補佐人等がいたとしても、もう少し日常的な細かいお金の動きを管理したり、手助けしてあげたりする人も必要になってくる訳です。
そうなると、ヘルパーさんと後見人の関係はどういうふうにしていくのか、その辺の問題もでてきます。後見人がいつもいつも細かなお金を入れたり出したりしてくれるか、毎日毎日やってくれるか、疑問があります。やはり、ヘルパー等が代行することも必要だろうな、と思いますね。さらに銀行の法律的な対処としては、補佐人でもない後見人でもない人が来てお金を出し入れすると、それが分かった場合には、ダメと言わざるを得なくなるという問題もでてくると思います。
 現実の問題としては事細かな生活そのものをサポートする人と制度としての法律の中での代理人や補佐人等との関係の問題も煮詰めていかないとだめだと思います。さっき具体的に利用されるようにならなければ制度としてはあまり意味がないというお話がありましたが、そういうところがほんとに煮詰められていかないと制度としてそう簡単には利用されていかないんじゃないかと、私は思います。以上です。
石川(司会者)
ありがとうございます。松井さんのお話は、制度のポジションという問題に移ってきたと思いますが、このポジションということから言えば確かに、成年後見制度は全体の権利擁護システムの中の一部分です。成年後見制度は、実は財産管理を中心に組み立てられた制度です。ですから何でもかんでもできる訳ではありません。このことは一つきちんと押さえておいて欲しいことだと思います。
次に、成年後見制度の将来に対する提言、予測、提案というところに移っていきます。 
今回の民法の改正は、法的な枠組みを決めただけで具体的な運用はまだまだ未知数なところがいっぱいあります。これから、どうやって運用していくかという問題を検討していく作業が待っているわけです。松井さんがおっしゃったように権利擁護システム全体を考えてそれぞれの位置づけをしてそれで運用を考えていく、みんなが知恵を出しあって初めて成年後見制度というものができあがっていく、ということがあるわけです。そうした意味で、清水さんにお尋ねしますが、清水さん個人あるいは群馬司法書士会で、この成年後見制度について具体的な提案がございましたらお願いいたします。
清水

はい、実は、画期的なアイディアが今日の資料に載せておきました。資料の16ページをご覧下さい。成年後見ノートと題されたものなんですけれど、よろしいですか。この表題がちょっと曲がっていますけれどこれはミスコピーじゃないんです。デザインですからね。(笑)当然ですよね。ただ、この資料を作る段階で、他の司法書士にミスコピーといわれたものですから念のためにちょっと付け加えときます。
 これは私の苦節4年の全成年後見制度に費やした人生と、群馬司法書士会の成年後見委員会の力を結集してできたアイディアノートなんです。なんでもないノートのように思いますか。思いますよね。でも、これは成年後見制度を考えたことのある人ならば見た瞬間これはすごいと多分言ってくれるはずなんです。池田さんどうでしょうか。
池田

おっしゃる通りです。すごいと思います。というのは、本人が何を望んでいるのかはやっぱり形で見ないと分からないんですよ。ボケても、安心できるよう事前に「私はこういう考え方をもっている。」「こういう価値観を持っている。」というのが伝わるような努力をしなければいけないんだと思います。このノートの形にしておくと、それがある程度伝わる、という確信をもちました。
清水

ありがとうございました。
そんなわけでこれはすごいんです。何がすごいかと言いますと、いま池田さんからご発言がありましたが、本人をサポートしようとする時に本人の気持ちがこのノートで分かるという事です。普通はサポートする段階になりますと、本人はボケているわけですから、憶測で本人のためになると思われることをする以外方法はない訳です。任意後見契約の話を先程申しましたが、契約は公正証書という形でしなければならないのです。公証人役場…前橋では昔の煥乎堂の隣の公証人役場へ行って公正証書を書くということになります。ですから、書ける内容は、ある程度限定されるのだろうと思います。また人の気持ちはよく変わるわけですから、その度毎に、例えば沼田の人も中之条の人も前橋の公証人役場まで出向いて行かなくっちゃいけない。そんなことは結構大変なんじゃないかなと思います。せっかくすばらしい任意後見制度が出来たのに、自分の気持ちを勝手に類推してもらってやってもらうのでは、あまりといえばあまりですよね。そこでこのノートが登場するのです。今日会場にも若い方もいらっしゃってますけれど、これを若い人も使ってもらいたいわけです。判断能力がなくなるケースとしましては、交通事故によることもあるわけです。若くてもアルツハイマーのような病気によってボケてしまうこともあるわけですね。ですから若い人もこのようなノートを付けておく必要があると私は思います。私は「二十歳の献血・二十歳のノート」というキャッチフレーズでこの成年後見ノートのキャンペーンをやろうかなと、冗談ですけれど思ってます。
 内容を少しだけ紹介しておきます。ノートの16ページをもう一度開いてもらえますか。表題の下に「生活環境類推道具」というのがあります。自分の趣味嗜好を類推してもらうための道具をあげてあります。日記などを見てもらえば詳しく分かるでしょうから、そういうことを参照にしてもらいたい場合はチェックを入れます。そして、置いてある場所も書いておけば、任意後見人がどうしようかなと思った時に机の引出しの三番目を開いてみれば出てくるわけです。「生活環境類推道具」の下に「自己規制、自制事項」があります。酒のところにチェックを入れまして75歳以降一日一合以下というようなところにチェックを入れれば「ダメだよ」って言ってくれるわけですね。あと「定期行為」というのがその右にあります。歯ブラシの先が少し丸くなったら替えてもらいたい人もいると思いますけど、そういうことを思えばここにチェックを入れます。次のページを開いてみて下さい。中ほどに「生活に関する具体的な位置づけ」というのがあります。ここでは、もしもの時にアドバイスを受けて欲しい人、逆にアドバイスは無視してもらいたい人がいる場合は、そういう人たちをここに書く。こんな具合です。そのほか具体的な財産管理の仕方などを後の方に綴っておいてあります。このようにチェック項目をチェックして、不足しているところは書き足して保管しておくわけです。将来みなさんの手足になってサポートしてくれる人がこのノートを見ながら、みなさんに一番良いと思われる事を判断してくれるはずです。ここで提示した成年後見ノートはほんの5ページ程度の物です。でも森羅万象のチェックリストにしなければならない訳です。本来ならば100ページとか1000ページ位あってもおかしくないチェックリストなわけですよね。この辺はみなさんのお力をお借りして今後完成していければ良いなと思っております。みなさんのご意見ご希望をお寄せいただければありがたいと思っています。またこのノートはあくまでも今能力が十分あって将来に備えるためのノートですので、既にもう能力がある程度減退している方のためのノートを、成年後見ノート2というような形で作って行かなくちゃならないかなと思っております。以上です。
石川(司会者)

はい、ありがとうございます。
二十歳になったら作る成年後見ノート、いいですね。
 さて、安藤さんにお尋ねしますが、老いてもボケても自分らしくいるためにはやはり経済的な裏付けが無くてはいけないと思うんです。先ほどもお話ししましたが成年後見制度というのは財産管理を中心とした制度でもある訳です。そこで、成年後見制度が変わることによって金融機関さんの社会的役割も当然変わってくると思うのですが、どう変わるか、ということが重要な点ですが、安藤さんはどうお考えでしょうか。それともう一つ、お年寄りとか障害者の方の資産をどうやって活かしていくか、運用していくのかという問題についても、お願いいたします。
安藤


 はい、非常に難しいご質問ですけれども、最初に資産管理や有効活用についご参考になるかどうか分かりませんが、お話しさせて頂きます。
 高齢者の実態として、フローベースでは生活に心配はあるけれども、ストックベースでは資産価格の上昇等を背景に心配無いという方も多いかと思います。そうしますと、ご高齢者にとっては、資産を生前あるいは老後にどのように活用するか、豊かな生活のためにどう利用するか、例えば、高齢者の生活に便利な住宅に買い替える、作り替える、豊かな老後を過ごすために資産を流動化することは大きな問題かと思います。これは、社会的なニーズにも合致しておりこのストックのフロー化において金融機関の融資取引の果たす役割は大きいのかなと思います。
 最近雑誌等でも取り上げられるようになってきましたけれども、「リバース・モゲージ」というのがございます。これは、一言で言いますと「所得は少ないが、住宅・不動産はあるといったような高齢者の方が、それらを担保に融資を受けて、つまり年金方式で生活資金を借り入れて、亡くなった後、その不動産を処分して返済をする」という制度です。直訳をすると「逆住宅ローン」になります。普通の住宅ローンは月々住宅取得のためにご返済するのですが、それと逆の形ですね。このメリットとしては、「自宅で余生を送りながら、現金収入が得られる。」あるいは「人に頼らないで、自分の資産で生活していけるという満足感が得られる」等があります。高齢化が急速に進展する中で、現役世代の負担増、年金制度の危機等の問題を、リバース・モゲージは、高齢者自身の手で解決する手法として注目を浴びていて、アメリカではそれなりの実績を上げていると聞いています。
 日本では、まだあまりなじみがないと思うのですけれども、信託銀行などでは10年ぐらい前から一部似たようなスキーム使って取り扱っているようです。しかし、いくつか阻害要因がございまして、まだ民間ビジネスベースでは難しいという現状です。阻害要因の一つは、余命…つまり「どのくらい生きるのか」というところが読み切れない。つまり貸し手の金融機関からすると、予想以上に長生きをされた場合には、想定額以上の多額の融資を余儀なくされる。これは期間を区切ってしまうと解消できる話なんですけれども、じゃあその期間を超えて長生きをされた場合すぐに融資をうち切ったり担保権の実行ができるかという事です。そんな事をしますと、「高齢者を食い物にした」といったような社会的な批判を浴びることになり、取り扱いが難しい。もう一つは、当然不動産担保ということですから、担保割れのリスクを抱えているという事でございます。このリスクを吸収した融資額を設定すると利用者にとっては、なんの魅力もない商品になってしまう。不動産を担保に入れたのに、毎月数千円しか借りられない、そんな話では全く意味がないわけです。この様にリスクと企業側利潤の調整が非常に難しくて、商品化がなかなか難しい訳です。この様ないくつかの阻害要因によって、リバース・モゲージは、まだまだ、民間ビジネスベースでの利用は難しい情況にあります。
 もう一つフランスに、「リアジェ」という制度がありますが、これは、個人投資家と利用者が一対一で、「一定額を終身融資し、利用者が亡くなった場合には、その不動産を譲渡する」という契約をするものです。これは投資ですから、予想以上に長生きされても、これはリスクでしょうがないんですが、その代わり早く亡くなれば少額投資で不動産が取得できるというものなのです。日本型とかアメリカ型のリバース・モゲージと大きく違う点は、貸し手側が金融機関でなくて一般投資家である点、担保割れ等のリスク、調整って言うんでしょうか、思った以上に価格が下がった場合でもそういう精算手続きがなされないという点。こういった点が違っている訳です。ただこうしたものが日本の風土になじむのか、こうした投資家があらわれるのか、そもそも契約が法律的に有効なのかといった問題は残りますが、考え方としては参考になるかもしれません。
 本題の金融機関の社会的役割についてですが、非常に難しい問題です。抽象的にいえば、これまで以上に金融機関に課せられている社会的使命を達成するという事かと思います。公共性、社会性、と権利擁護の視点に立った、安全・円滑な金融取引きをさらに促進し、そのための方策・創造を行うことかと思います。例えば、本当に高齢者のためになるようなしかも利用しやすい金融商品を開発したり、あるいは「きめ細かいサービスの提供」「財産管理手法の提供」を行う事です。例え連名の預金ですとか、家族が引き出せる特約付き預金の検討をするとか、そういったものも検討する必要もあるかと思います。あるいは、今回の法改正の理念でもありますノーマライゼーションの理念を理解した社会的な活動を行う事なのかと思っています。具体的には、先ほど申し上げた、リバース・モゲージ等の信託業務の拡充ですとか、任意後見制度の利用促進を図る事、あるいは、社会福祉協議会あるいは社会福祉公社などとの連携を強化してサービスの創造を実現する、もう一点は、私ども行員一人一人にこのノーマライゼーションの趣旨を教育し徹底を行う事です。そういたしませんと、新制度の意味がないわけです。この辺の強化によりまして、社会一体となった福祉推進といいますか、新制度の趣旨が生かされてくるような気がいたします。 
 最後になりますが、新制度の早期定着、利用促進、あるいは不動産取引の安定化といったものにつきまして、あるいは成年後見人制度の受け皿の面においても司法書士の皆様方ですとか社会福祉士の皆様方の果たす役割は非常に大きいと思いますので、引き続きご尽力をお願いしたいと思います。

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