シンポジウム開催前の登壇者打ち合わせ |
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石川(司会者) | |
はいありがとうございます。 もうちょっとお金の問題に触れたいと思います。今度は利用する側ですね。銀行さんを利用する側の話に移りたいと思います。松井さんにお伺いしたいと思うんですけれども、松井さんは日頃お年寄りの、金銭の管理問題について、ご苦労されていると思うんですが、特に日常の金銭の管理ということには非常にご苦労されていると思うんですが、その辺のことについて易しく事例を交えてお話しいただければと思うんですが… |
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松井 | |
はい、人の問題のところで発言時間の関係で言い足りなかったことがありますので、ちょっと補足をさせていただいてから、お金の問題に入りたいと思います。 さっきの劇で、おじいちゃんが騙されているかもしれない、だけどあけみの笑い顔を見るとそれが一番うれしいんだって言っていましたよね。距離がある人間が見ているとそれも一つの生き方かな、自分で貯めた金じゃないか、よしんば騙されたとしても、自分がそこで満足しているんだということであれば、それを一概にダメだと言えないのではないかと思います。ですけれど、家族にしてみればとんでもない話だというふうになるわけです。その葛藤の問題ですね。池田さんもおっしゃっていましたけれど、生活保護を受けている人は何で毛皮買っちゃいけないんだ、そういうことも関連してくると、人が人の代理をできるのかというところが非常に問題になってくると思うのです。 さっき自己決定だ、自分のことは自分で決める、そこを支えるシステムがこれなんだっておっしゃってましたけれども、そういうところで法律の制度が下手に動くと、制度がその人を逆に殺してしまう危険もあるわけですね。だから私はさっきつなぎになる人が必要だっていったんです。それは後見人という意味でなくて、もちろん後見人もそういう役割を担うけれども、お年寄りの日々の生活を知っていてお年寄りの思いとか考えとかその辺のところを理解している人が、後見人と本人とをつなぐという意味での媒介になることが私は必要ではないかな、という意味で言ったんです。そういう人がいないと制度が制度として硬直していくことがあり得ると思うのです。そういう点で人の問題っていうのは非常に難しさをはらんでいる。 だからといって、じゃあ、難しいことがいっぱいあるから、制度としては必要ないとはいえない。それは、細かい日常生活の中での金銭の問題が様々あるからです。 例えば、ホームヘルパーが、ちょっとお金がないんだよ無くなっちゃったんだよ、だから生活費でいくらおろしておくれ、と言われたりすることがあります。そういうときには極力お金には関わるなというのが原則ですけれども、それでも今ないことがわかれば、じゃあ1万か2万おろしてこようか、といっておろしてくる。けれどもそれが、お風呂場をちょっと改築するんでそのときのお金だから50万おろしてくれ、ということになるとヘルパーはすごく迷うわけです。一緒に行こうって言っても、行って帰ってくると疲れちゃうし腰が痛くなるんだよ、だから行って来てよ、ということになると、どうしたらいいんだろうかとすごく迷うわけです。そういうときは例えば民生委員さんに一緒に行っていただくとか、いわば証人を頼んで、お金をおろしてくることもあります。ですが、いつもいつも民生委員さんがつきあってくれるとは限らない訳です。 50万とか100万という単位になるのはまれですが、こまかい1万2万のお金を頻繁におろしたり入れたりすることはたびたびあるわけですね。さっきもちょっとお話がでましたが、お年寄の判断力が落ちてきている一方でお金に対して執着するということがありますが、以外と日々のお金の管理というのはいい加減なことがあるわけです。例えばヘルパーが洗濯をして洗濯物を干しているときに、あれっと思ってポッケに手を入れると1万円札が2つぐらいに折ってくしゃくしゃになって入ってたというケースもあります。本人は忘れている訳です。そういうお金の管理もしてるわけです。 そうすると細かいところのそういうお金の管理をちゃんとしてくれる人がいないとやっぱり生活の中では不自由をきたすことがいっぱいあるのです。さっきのお話の中で補助人、任意後見人という人たちはそういう細かなところも手助けしてくれるような説明がありましたけれども、実際のところ、そういう人たちが日常的な介護みたいな部分に入ってきてやってくれるかというと、なかなか大変だと思います。一人の生活を背負うということですからね。毎日毎日のことの積み重ねですから。そうするとヘルパーとか訪問看護ステーションとか、お宅に行ってそこでお世話をする人たちがある程度そこをサポートすることがどうしても必要になってくるわけです。現実の問題からすると、財産をトータルで見て管理していく後見人、補佐人等がいたとしても、もう少し日常的な細かいお金の動きを管理したり、手助けしてあげたりする人も必要になってくる訳です。 そうなると、ヘルパーさんと後見人の関係はどういうふうにしていくのか、その辺の問題もでてきます。後見人がいつもいつも細かなお金を入れたり出したりしてくれるか、毎日毎日やってくれるか、疑問があります。やはり、ヘルパー等が代行することも必要だろうな、と思いますね。さらに銀行の法律的な対処としては、補佐人でもない後見人でもない人が来てお金を出し入れすると、それが分かった場合には、ダメと言わざるを得なくなるという問題もでてくると思います。 現実の問題としては事細かな生活そのものをサポートする人と制度としての法律の中での代理人や補佐人等との関係の問題も煮詰めていかないとだめだと思います。さっき具体的に利用されるようにならなければ制度としてはあまり意味がないというお話がありましたが、そういうところがほんとに煮詰められていかないと制度としてそう簡単には利用されていかないんじゃないかと、私は思います。以上です。 |
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石川(司会者) | |
ありがとうございます。松井さんのお話は、制度のポジションという問題に移ってきたと思いますが、このポジションということから言えば確かに、成年後見制度は全体の権利擁護システムの中の一部分です。成年後見制度は、実は財産管理を中心に組み立てられた制度です。ですから何でもかんでもできる訳ではありません。このことは一つきちんと押さえておいて欲しいことだと思います。 次に、成年後見制度の将来に対する提言、予測、提案というところに移っていきます。 今回の民法の改正は、法的な枠組みを決めただけで具体的な運用はまだまだ未知数なところがいっぱいあります。これから、どうやって運用していくかという問題を検討していく作業が待っているわけです。松井さんがおっしゃったように権利擁護システム全体を考えてそれぞれの位置づけをしてそれで運用を考えていく、みんなが知恵を出しあって初めて成年後見制度というものができあがっていく、ということがあるわけです。そうした意味で、清水さんにお尋ねしますが、清水さん個人あるいは群馬司法書士会で、この成年後見制度について具体的な提案がございましたらお願いいたします。 |
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清水 | |
はい、実は、画期的なアイディアが今日の資料に載せておきました。資料の16ページをご覧下さい。成年後見ノートと題されたものなんですけれど、よろしいですか。この表題がちょっと曲がっていますけれどこれはミスコピーじゃないんです。デザインですからね。(笑)当然ですよね。ただ、この資料を作る段階で、他の司法書士にミスコピーといわれたものですから念のためにちょっと付け加えときます。 これは私の苦節4年の全成年後見制度に費やした人生と、群馬司法書士会の成年後見委員会の力を結集してできたアイディアノートなんです。なんでもないノートのように思いますか。思いますよね。でも、これは成年後見制度を考えたことのある人ならば見た瞬間これはすごいと多分言ってくれるはずなんです。池田さんどうでしょうか。 |
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池田 | |
おっしゃる通りです。すごいと思います。というのは、本人が何を望んでいるのかはやっぱり形で見ないと分からないんですよ。ボケても、安心できるよう事前に「私はこういう考え方をもっている。」「こういう価値観を持っている。」というのが伝わるような努力をしなければいけないんだと思います。このノートの形にしておくと、それがある程度伝わる、という確信をもちました。 |
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清水 | |
ありがとうございました。 そんなわけでこれはすごいんです。何がすごいかと言いますと、いま池田さんからご発言がありましたが、本人をサポートしようとする時に本人の気持ちがこのノートで分かるという事です。普通はサポートする段階になりますと、本人はボケているわけですから、憶測で本人のためになると思われることをする以外方法はない訳です。任意後見契約の話を先程申しましたが、契約は公正証書という形でしなければならないのです。公証人役場…前橋では昔の煥乎堂の隣の公証人役場へ行って公正証書を書くということになります。ですから、書ける内容は、ある程度限定されるのだろうと思います。また人の気持ちはよく変わるわけですから、その度毎に、例えば沼田の人も中之条の人も前橋の公証人役場まで出向いて行かなくっちゃいけない。そんなことは結構大変なんじゃないかなと思います。せっかくすばらしい任意後見制度が出来たのに、自分の気持ちを勝手に類推してもらってやってもらうのでは、あまりといえばあまりですよね。そこでこのノートが登場するのです。今日会場にも若い方もいらっしゃってますけれど、これを若い人も使ってもらいたいわけです。判断能力がなくなるケースとしましては、交通事故によることもあるわけです。若くてもアルツハイマーのような病気によってボケてしまうこともあるわけですね。ですから若い人もこのようなノートを付けておく必要があると私は思います。私は「二十歳の献血・二十歳のノート」というキャッチフレーズでこの成年後見ノートのキャンペーンをやろうかなと、冗談ですけれど思ってます。 内容を少しだけ紹介しておきます。ノートの16ページをもう一度開いてもらえますか。表題の下に「生活環境類推道具」というのがあります。自分の趣味嗜好を類推してもらうための道具をあげてあります。日記などを見てもらえば詳しく分かるでしょうから、そういうことを参照にしてもらいたい場合はチェックを入れます。そして、置いてある場所も書いておけば、任意後見人がどうしようかなと思った時に机の引出しの三番目を開いてみれば出てくるわけです。「生活環境類推道具」の下に「自己規制、自制事項」があります。酒のところにチェックを入れまして75歳以降一日一合以下というようなところにチェックを入れれば「ダメだよ」って言ってくれるわけですね。あと「定期行為」というのがその右にあります。歯ブラシの先が少し丸くなったら替えてもらいたい人もいると思いますけど、そういうことを思えばここにチェックを入れます。次のページを開いてみて下さい。中ほどに「生活に関する具体的な位置づけ」というのがあります。ここでは、もしもの時にアドバイスを受けて欲しい人、逆にアドバイスは無視してもらいたい人がいる場合は、そういう人たちをここに書く。こんな具合です。そのほか具体的な財産管理の仕方などを後の方に綴っておいてあります。このようにチェック項目をチェックして、不足しているところは書き足して保管しておくわけです。将来みなさんの手足になってサポートしてくれる人がこのノートを見ながら、みなさんに一番良いと思われる事を判断してくれるはずです。ここで提示した成年後見ノートはほんの5ページ程度の物です。でも森羅万象のチェックリストにしなければならない訳です。本来ならば100ページとか1000ページ位あってもおかしくないチェックリストなわけですよね。この辺はみなさんのお力をお借りして今後完成していければ良いなと思っております。みなさんのご意見ご希望をお寄せいただければありがたいと思っています。またこのノートはあくまでも今能力が十分あって将来に備えるためのノートですので、既にもう能力がある程度減退している方のためのノートを、成年後見ノート2というような形で作って行かなくちゃならないかなと思っております。以上です。 |
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石川(司会者) | |
はい、ありがとうございます。 二十歳になったら作る成年後見ノート、いいですね。 さて、安藤さんにお尋ねしますが、老いてもボケても自分らしくいるためにはやはり経済的な裏付けが無くてはいけないと思うんです。先ほどもお話ししましたが成年後見制度というのは財産管理を中心とした制度でもある訳です。そこで、成年後見制度が変わることによって金融機関さんの社会的役割も当然変わってくると思うのですが、どう変わるか、ということが重要な点ですが、安藤さんはどうお考えでしょうか。それともう一つ、お年寄りとか障害者の方の資産をどうやって活かしていくか、運用していくのかという問題についても、お願いいたします。 |
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安藤 | |
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