シンポジウム(4/4)
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シンポジウム開催前の登壇者打ち合わせ

石川(司会者)

ありがとうございました。
こうして見てくると、成年後見制度の改正はいろんな各方面に影響があるんだな、と思います。
松井さん、制度的には違いますけれども、密接関連しているところがありますので福祉の世界にも当然、影響がでてくると思いますが、そこら辺はどうお考えになってらっしゃいますか。
松井

はい、今の安藤さんの逆住宅ローンのお話聞いて、10年ちょっと前ぐらいになるんですが、武蔵野公社が土地とか建物を担保にしてお金を貸してくれるっていう制度を思い出しました。当時は画期的だったんですけれど、それが今後、金融機関でもやられる可能性があるという事ですから、時代が随分動いてきたんだなというふうに思いながら聞いていました。実際介護の世界も来年介護保険という新しい制度が実施されます。そういうときに今の後見の問題なんかとも絡みがでてくるんだろうなと思います。
 ところで、ホームヘルパーの養成講座の教科書に、人間には3つの生活があると書かれています。一つは基本的生活。これは食事をしたり、排泄をしたり、入浴等、生きるために一番基本的な事ですね。もう一つが社会的生活といって人間関係の中、人間社会の中で生きていくための諸々の事ですね。最後に余暇的生活。これはリクリエーションであるとか遊びの部分とかですね。その3つがあって初めて人間の生活であるという言い方をするんです。介護保険はこの3つの言い方の中の基本的生活の部分、食べるとか風呂に入るとかそういう事に焦点が絞られている制度です。
 これに対して、今行われている事は非常に曖昧なんですよ。形としては「何をしちゃいけない」「何をすべきである」というのはあるのですけれども、非常におおざっぱなところがありますから、わりと何でもで出来ちゃう様なところがあるわけです。だから、さっき言ったお金の出し入れなんかも、本当は「いけない」というふうに言われてますけども、必要に応じてやってしまう事もある訳ですよ。で、そういう事は、曖昧さの中で非常に危険な部分もあるし、まずい面もあるけれども、いろんな事が出来ちゃう事でその人の生活が支えられる場合もあるんですね。
 ところが介護保険になってくるとそういう諸々の行為が、基本的生活みたいなところにある程度焦点が絞られてきます。そうすると、いろんな事があんまり出来なくなる可能性があると思います。実際まだ介護保険が施行されていませんから、ホームヘルパーの具体的な動き方など、細かな事まではっきり分かりませんが、そうなる可能性があると私は思ってます。
 そうすると、ホームヘルパーの様な、媒介になる人が必要ですよって言いましたが、ホームヘルパーとか、訪問看護ステーションとかが媒介になれるかって言うと、ちょっと難しいのかなって気もします。じゃあ誰がなるんだという事ですが、私はさっき舞台裏で池田さんと話をしたんですけれども、ソーシャルワーカーという立場の人が、そういうフォローをしていくべきなんでしょうね。
 だけど、これもまた介護保険の中で考えていくと、ソーシャルワーカーも、在宅介護支援センターでの相談員の動き方もなかなか難しくなるかなと思います。何でも屋さんみたいな今の相談員の動き方って言うのは、なかなか難しくなってくるんだろうなと感じます。日本のソーシャルワークはまだまだ非常に歴史が浅くて確立してないのですが、それにも関わらず、制度が変わってしまいますので、ソーシャルワーカー自体も揺れ動いています。何をしたらいいのか、自分たちがいったいどういう立場なのか、不安な部分もあるしイメージが見えないというところもありますね。だから媒介になれるのか不安もありますね。でも、お年寄りがお金を実際細かに使っていく財産管理の部分でだれかの支えを必要としているのは事実なんですよ。実際一人暮らしの人はいっぱいいますし、お子さんがいても東京とか遠くにいると、たまには来るけれども日常的な細かなお金の管理なんかできないんです。そうするとそばにいる人に任せたい事もある訳ですね。お友達がお金の管理をして、隣の人が朝ご飯を炊いて、ホームヘルパーが掃除をしたり、着替えさせたりとか、いろいろな組み合わせの中で何とかその人の生活が成り立つといった事がよくあります。新しい介護保険によって、この様なヘルパーやソーシャルワーカーの動きが制限されるようとしている中で、成年後見みたいな物が本当に制度として定着していくのか不安がありますね。
 成年後見は確かに必要なんですけれど、先ほども言いましたように制度が具体的に利用されるようにならなければ制度として意味がないわけです。具体的に定着させるための努力をする人たちがいなくちゃならないだろうなと思います。さっき清水さんがおっしゃってましたけれど、具体的ないろんな問題点が出てきて「じゃあこれはどうやって解決していくんだろうか」というところが見えてきて制度が動くと本当はいいんです。なんかそうじゃなくて、はじめに制度が作られて「後から考えなさい」って言うような形になっているみたいなんで、ちょっと介護保険と似ているなって思うんです。
 介護保険も細かいところが分からなくて「どうしよう、どうしよう」といっているのに制度は来年から動きます。成年後見もなんか非常に似ているなと思うんですね。ただそういう制度をちゃんと現実に定着させていけば、困っている人たちをサポート出来るような事があると思います。財産分与をしていくとか、さっき言った逆住宅ローンをするかしないかという財産上の判断をする。そういったトータルとして財産を見ていくという行為については、そこまでいっちゃうとソーシャルワーカーとかヘルパーがする事じゃないです。それは後見人という立場の人がいないと、なかなかできない事です。けれども、そういう大きなところと、今日の買い物するお金をどうするかというところをよくふまえて制度を考えていってもらいたいし、運用の仕方をよく考えていってもらいたいなと私は思っています。
 福祉の中でも、実際どういうところでサポートできるのか、時代の流れの中で社会の影響を受けて大きく変わっていきます。成年後見の問題も、自分たちが現場の中で「この制度を定着させるためにどうしたらいいんだろうか」という事をもっともっと考えなくてはならないのかなって思っています。これは一番始め近藤さんが「こういう事って手間暇かかるよ」「金がかかるよ」と言ってましたよね。そこだと思うんです。さっきの寸劇のあけみさんの話にまた戻るんですけれど、あけみさんにお金をあげる。そりゃ幾らあげるか分かりませんよ。でもね「おじいちゃんが本当に満足してお金を渡すんだったら、それはそれで一つの生き方じゃないか」っていう事を代弁してくれる人間がいたっていいわけです。だけど「とんでもないよ」と言っている娘の生活実感からの判断もあるわけで、いろいろな人たちが話をして、一定の納得できる線を出していく事が出来ないと生きた制度にならないというふうに私は思います。
 だからドイツの様に手間暇かけて裁判官が調査に来てくれるなんてすごい事ですよね。日本の介護保険ではお年寄りのところに、何度も何度も調査や相談に行けないんじゃないかと思うのです。おかしいなと思います。人は初めての人にいろいろな事をペラペラしゃべれないですよ。息子が行方不明になっているなんて事が後になって分かるわけで、一回目に行った時なんてそんな事までしゃべってくれません。でもなるべく短い時間の中で、短い回数の中で本人の全体図を捕まえなければならない。そんな事は出来るのかなと思いますね。ましてやお金が絡んできて、その人の生き方まで入ってきたときに、後見人を付けるべきかどうかの判断は、その家に行ってじっくり話をして「何を考えているんだろう」「何を感じてるんだろう」というようなところまで踏み込まないと解らないわけです。手間暇かけないと、そういう制度の対象にするべきかどうかなんて事は簡単には決められないですね。ですから手間暇かけてじっくり考えながら本人が納得する事は何だろうかと考えていければいいなと思うんです。
石川(司会者)

 ありがとうございます。
いつの間にか予定の時間もだいぶ迫ってまいりました。池田さんにもう一度最後のまとめをかねてお願いしたいのですが、よろしくお願いいたします。
池田

 ここで私は一人の池田恵利子っていう主婦に戻りたいと思うんですよ。私は社会福祉士、清水さんでしたら司法書士、安藤さんでしたら銀行員という感じではなくて、自分の問題として自分が年を取ったら、どうだろうということで福祉についてお話しさせていただきたいと思います。
 日本は、あと10年で5人に1人、25年で4人に1人、50年で3人1人が65歳以上の方になると言われています。少子高齢化の中では世界のトップランナーだといわれてる事はみなさん十分ご存じだと思います。釈迦に説法だと思うんですが、今、新しい制度を作る時代の変換点に否応なく私たちは立たされてるわけで、自分の将来を思い描いていろいろ考えていくのが一番いいんじゃないかと思っているんです。ですからいつも私は成年後見だとか介護保険のことも、日本社会福祉士会副会長という肩書きを忘れる方がいいなとと思ったときは、すぱっと忘れて一主婦に戻って考えることにしてるんです。今は自分だったらどうしたらいいんだろうか、どういうのが望ましいのか、そういう感覚が一番頼りになるのかなと思っているんです。
 今コーディネーターの方がおっしゃっていたように、介護保険が来年4月から施行されます。今年の10月からもう要介護認定が行われるということです。隣の松井さんも介護支援専門員(ケアマネージャー)という資格をおとりになられたという事ですので、多分要介護判定などにも関わられるでしょうし、ケアマネージャーとしてのお仕事もなさるんだろうと思うんですね。これはみなさんも聞いたことがおありになるかもしれませんけれども、福祉だけでなくて非常に大きな問題を私たちに投げかけてきてるんですよ。福祉って今までみなさんはどんな風に思ってらしたかな。今日は福祉関係者の方以上に一般市民それから司法書士の方、金融関係の方が多いというふうに伺ってるので、大変私楽しみにしていたんですけれども、一般市民の、例えば主婦連の方ですとか、市民団体に呼ばれますと、福祉ってやっぱりお世話になると言う感覚が拭いきれないというふうにおっしゃるんです。現実に例えば私が今そうですね68歳だとします。実は団塊の世代のしっぽで48歳なんですが、ちょっと20歳ほどさば読みますが、68歳だとします。一人暮らしで一生懸命生活してきたけれど、ちょっとボケがでてきたような自分でも気がする。実はこの間ちょっと本当に小さいんだけど小火を出してしまった。そしたら民生委員さんが飛んできて、多分隣近所の方にも言われたんでしょうけれども、「おばあちゃんそろそろ一人暮らし無理じゃないの」と言われてしまった。よくよく考えてみると確かにこれ以上一人でやっていく自信もないし、何かあってからでは遠くにいる娘にも迷惑かけるかもしれないし、近所にも顔向けできない、やっぱり一人で生活していくのは無理だから施設に入る方がいいのかなという中で私もそうですねお世話になる方がいいかもしれませんと話が進んで、そうすると私の特別養護老人ホームの入所については、私に関係ある方々、行政の方等が集まられて形としては入所判定会議という形で措置制度という中で行政処分という形で決まっていく。そして、ここの市には施設が三つ、ABCとあるんだけれどCに決まりました、という形で決まるのが今までだったんです。そのCという施設に入ると一人あたり幾らですという措置費という形でその施設に私にかかるお金が支払われるのです。じゃあ介護保険だとどこが違うかというと基本的にはその私が使えるはずの措置費にあたるもの、介護保険ですと、お金を使っての利用の仕方、介護のどういう業者さんにお願いしてどういう形で介護を受けてということは私自身に決定権がある。私が決めることができるわけです。それが自己決定権の尊重という言葉にもつながってくる訳です。いいように聞こえます。実際大変その形の方が使いやすい部分が大半だと思います。ただ先ほど松井さんがおっしゃってましたけれども自分で決められる方々ばっかりではない。特に契約って言う形の中では誰もが事業者と対等として自分の責任で自分で決めていかなければいけない。なんかトラブルがあっても基本的には自分で解決して下さいよ、という形になっていくわけですね。その中で自分の決められる判断能力が低下されたとき、ハンディキャップを抱えた方々は今まで以上にそのハンディが大きくなってしまう。その方々をまずどうするのかというのが福祉関係者からのこの成年後見制度への興味の持ち方なんです。そこで私たち福祉関係者は、まず成年後見制度というものがどういうものだろう、ということで勉強しました。その中に松井さんと同じよな在宅介護支援センターのソーシャルワーカーの人がいまして、その人は3ヶ月介護保険制度が取り入れられているドイツへ行って、世話人の方つまり後見人の方と一緒に歩き回って来たようなんですけれども、その中で見えてきたもの、それは文化の違いであったようです。ドイツでは、自分はどうしたい、ああしたい、こういう生活を年を取っても、ボケてもこうあってもしていきたいというのが割合に出しやすい社会だと思います。日本の場合は介護保険を自己選択できますよといいますけれど、例えばさきほど言いましたように、わたしはCという施設に入りなさいよっていうふうに決められました。選べますよって言いますがABCありますといってもABCのそれぞれどういう施設でどういうところかということは、みなさん情報がおありですか、そのような形にはなっているでしょうか。自己決定といっても選択のための条件もまだ整ってない感じがある。そのような中で、でも自己決定。身上配慮義務というのが先ほどの近藤さんのご説明で新しい成年後見制度の中にはっきり明文化されましたとおっしゃってました。すごくそのことの意味は大切だと思います。でもその選択のための条件もまだまだ整ってない。そして基本的にはやはり財産管理ということが中心になる。でも、みなさんどうでしょう。ここもみなさん自分の問題として考えてみて下さい。財産を何のために守るんでしょうか。お子さんが確かにたくさんある方は、少しでも多く残したいということもあると思いますけれども、それだけでもなかったと思うんですよ。やはり「老いてもわたし、ボケても自分」。自分が望むような老後を送っていくためにお金は使いたい。そのための財産管理ということを考えられたと思うんです。成年後見制度は、確かに今までよりは使いやすい形になっていると思いますが、今後自分が望むような福祉サービスを受けてゆけることができるよう、ボケてもその意思決定を支援してくれるような形になってるかどうか疑問です。先ほど近藤さんは大変よい面をおっしゃって下さったと思うんですが、私は怒られるかもしれませんが福祉側から見て問題点も上げたいと思うんです。第一に生活保護を受けていたり、財産をほとんど持っていない、その日暮らしとは言わないまでも、年金暮らしであるという方々が使える制度になっているかということ。もう一つは福祉目的、身上配慮するというのを目的に使えるかというところでもちょっと無理がある。それで先ほど松井さんがおっしゃっていた少し簡易な後見制度、福祉版の後見制度ということで、何日か前の朝日新聞の社説にも取り上げられておりましたけれども、地域福祉権利擁護事業といって、日々の少額のお金の出し入れ等を支援をしてもらう形での制度設計が厚生省を中心に考えられています。もちろんこちらには軽微な法律行為という一応の歯止めといいますか、たががかかっています。金銭管理についても日常的金銭管理という形での歯止めがかかっています。ですから代弁制度というのは2つ、法務省の後見制度ともう一つは厚生省で行われる地域福祉権利擁護事業というものとができます。地域福祉権利擁護事業は基本的には、まだご自分でよく説明していただいてわかりやすい書式だったら契約を自分でできる方が対象になります。後見制度との関係もお互いに保管し合う形が望ましいという形で制度設計されています。地域福祉権利擁護事業はおおかた福祉関係者が中心になって行うのでしょう。ホームヘルパーさんや民生委員さんが生活支援員としてなさるだろうと思っています。私は生活の身近だということでは大変よい事だと思います。しかし、今個人の権利、個人の立場、個人の意思という物を代弁するということを、ここでもう一度しっかりとらえていかないといけない、新しい時代は新しい制度、新しい理念とをしっかり押さえていかないといけないんじゃないかと思っています。最初に申し上げました福祉関係者が危ないよ、という自戒を込めてです。私が一番その人のことをよく分かってるんだわ、私が守って行くんだわ、これが一番本人にとっていいと思ってるんだわ、という思いこみがないですか。その方に言っても説明してもわからないと最初から決めつけていたりしませんか。自己決定、自己責任の時代になっていくと責任も費用もある意味でこれまでのように持ってあげられないんです。これからの福祉関係者はそこのところをよく分からないといけないと思うんです。これから本当にボケても私でいられるような時代を作っていくためにはまず支援に関わる人がそこのところの理念をはっきり分からなければいけないと思っています。介護保険制度のもとではトータルな生活の中で医療や看護や介護に関わる部分にしか関わりづらくなるんです。今まで福祉関係者はもっと大きな意味で社会生活や松井さんもおっしゃっていたように余暇的な生活の部分も関わってきたんですが、このままでは今後はそうはいかないと思われます。そういった意味で、後見人に今度はそこも期待をせざるを得ないようなところがあります。でも一人でできるでしょうか、しっかりその理念を一人で自分自身を律していけるでしょうか。ここでも私は専門家だからという前に、司法書士さんも社会福祉士も、福祉関係者一人一人それから弁護士さんも、銀行の方々金融関係の方々も、本人の権利をきちんと意識しながら連携していく事が最も求められるんじゃないかと思っています。一人に期待されてもとても大変じゃないかと思っています。私も是非この後見制度を使いたいと思ってます。みなさんもご自分が使うとしたらという思いで、一緒にこの制度についても考えて、提言して変えていける部分があれば変えてくべきではないかと思っています。私はまとめることはできないですが、私はそんな風に考えていますのでお話しさせていただきました。
石川(司会者)

ありがとうございます。
 一人一人が連携してこの制度を作っていこう。みなさんで作っていこうという今の池田さんのお言葉を最後にこのシンポジウムを終わらせていただきます。長い間本当にありがとうございました。
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