{能力判定の現状} 人が人の能力を判定、或いは鑑定するという事は、ある意味で人を差別化し、ラベルを貼り、隔離する事にもつながる行為である。しかしながら、何らかの区別は、日常社会生活を営む上で、あるいは経済活動を行う上で必要な事であり、能力の判定という行為は避けて通ることができないものである。 現行の我が国の民法の規定は、資本主義社会における取引の安全を根底とする法律であり、当事者は当然に十分な意思能力を有する者であるとして捉えられている。人の行為は、民法に則って権利の得喪や契約の有効性などが判断される。我が国においては「意思能力とは自己の行為の結果を判断することができる精神能力をいい、正常な認識力と予期力とを含む」とされており(我妻栄民法総則)、意思無能力者はこの能力の無いものである。意思無能力が無い(時々は回復することはある場合も含めて)と医師等により判定された場合、心神喪失の常況とされ禁治産宣告がなされ、後見人が付せられる。このことによって無能力者自身のなした契約などは無効とする、いわば例外的な扱いをする事によって無能力者自身の財産の保全が予定されている。しかし、結局は資本主義社会における安全な経済活動が確保される事になっている。また後見監督人が選任される例は少なく、後見人の権利乱用があれば容易に無能力者自身の財産を侵害する事にもなりかねないのが現状であろう。 能力鑑定の現状について、「民事法情報NO.120 家庭裁判所における最近の禁治産宣告.準禁治産宣告事件の実情」によれば、鑑定人はほとんどすべてが医師でありその内8割弱が精神科医である。鑑定事項はほぼ定型化されており @事件本人の家族歴、生活歴、既往症及び性格 A事件本人の病歴及び現在の病状 B事件本人の知的能力、事理弁識能力及び社会生活適応能力の有無及びその程度C事件本人が心神喪失の常況にあるときは、その回復の可能性である。調査官の調査は、後見人候補者の適格性の判断が主眼となるため、事件本人が入院しているような場合には、必ずしも事件本人に面接まではしていないのが一般的のようである。 {カナダの能力判定}
この様な扱いのなか、ノーマライゼーションは自己決定権の尊重と本人の保護という命題を与えた。無能力者を例外として簡単に位置づけ、レッテルを張り、隔離するのではなく、どの部分を援助したら社会の一員として生活できるだろうかという考え方になったといえる。このことは、一定限界を下回ると、その人の権利を全面的に喪失させるといった判定方法、医学的見地による判定方法等に疑問が投げかけ、新しい成年後見制度がスタートした。 2.成年後見制度施行後...ケベック州の場合 ケベック州においては、能力の判定は裁判所が行う事となった。医者の鑑定はなされるが、医者の鑑定書も単なる参考意見にすぎず、家族の意見等を総合的に考慮して裁判所が判断する。判定は本人にとってどうすることが最も利益になるか、本人の保護につながるのか、本人の意見を尊重して判定が行われる。具体的な判定基準については調査できなかったが、能力は裁判所が決める法的評価であり、判定は法的判断であり、基準は持たないと思われる。 能力喪失の状況にあわせて三段階の能力判定を行う。そして数年ごとにその能力が見直され判定しなおされている。能力は衰退と回復を繰り返している訳で、衰退した時に保護的要素で後見人がいる場合、少し回復すれば、自己決定権の要素を取り戻す必要があり、きめ細かな判定といえる。 3.成年後見制度施行後...オンタリオ州の場合 オンタリオ州は他の成年後見制度が施行されている国とは異なり、能力判定における裁判所の関与を避ける方向で立法されている。これは、裁判所の関与により、手続的にも費用的にも精神的にも重くなる事を避ける事によって、制度利用の拡大をはかったものと思われる。そのため新たな能力判定システムを構築する必要があり、assessor(以下 判定者という)という資格者をもうけ、public guardian and trustee(法定財産公後見人 以下P・G・Tという)をもうけ、能力判定のガイドラインを明確にした。 オンタリオ州は、次の様な成年者のための後見人を用意し、能力を判定する機関を分けた。 @財産管理や身の回りの世話についての 能力があるうちに、あらかじめその能力喪失後に備えて自分が選任する代理人(後見人) A財産を管理する能力に疑いがある場合、選任される後見人 B財産管理や身の回りの世話についての能力が無くなった後、代わって決定する必要がある場合に選任される後見人 このうち裁判所が判定し選任に関与する場合はBの場合 ある。@Aの場合は判定者と呼ばれる人がその能力を判定する事になる。 @は持続的代理権に基づく代理人であり、自己決定権の尊重の考え方からも、自分が後見人を決める事が出来る@が原則的な選任方法と言えよう。「妻が無能力と判断した時、代理権の効力が生じる」として法律事務所等に代理権証書を預けておけば、妻が法律事務所に電話するだけで、その後本人が選んだ後見人が後見してくれる事になる。もっとも「能力を喪失した時」としてあれば、能力判定が必要になるが裁判所は関与せず、判定者が判定をおこなう。 Aの様に能力に疑いが生じたあと、後見人をつけようとするときは、判定者が能力判定後、行政組織の一部とも言えるP.G.Tが後見人になる。 実際に無能力者と取引等する場面で前2者では不適切と思われる場合、紛争がある場合はBで裁判所が判断する事になる。判定者は判定結果を裁判所に証拠としてだし、証人として審問されることになる。紛争がある場合は、たとえば無能力者が息子と娘を共同後見人に選任しており、何年か後に息子と娘は何に関しても争うような関係になってしまったケースなど、他の者を選任した方が良いと思われる場合である。 {オンタリオ州の能力判定システム} オンタリオ州は「能力判定マニュアル」を持ち、能力判定のガイドラインが定めてある。これは他の国には無いことである。そのこと自体我々が能力判定を考える上で参考になると同時に、裁判所が判定するのであれば、裁判手続きの中で決定されることであり、具体的な決定方法、考え方についてはなかなか知ることができないので、その唯一の資料とも言える。ここでは「能力判定マニュアル」等を参考にオンタリオ州の能力判定方法についてふれたい。 1.判定者及び管理形態 The substitute decisions act(代行決定法 以下S.D.Aという)施行に伴い能力判定を行う新たな資格者として判定者が誕生した。当初は、判定者に業種上の制限は無く、だれでも資格を取得できた。ところが、施行後1年の本年の改正に伴い適格業種が特定され「医者・精神科医・心理学者・治療法士・看護婦・ソーシャルワーカー」で研修訓練に合格し、保険制度に加入した者となった。これらの者はそれぞれのプロフェッショナルグループから選任され、プロフェッショナルグループ自身が管理するようになった。以前は判定者を能力判定事務所が管理していた。日弁連の「欧米6カ国の成年後見制度調査報告書」によればこの能力判定事務所は、1994年暫定的な措置として法務総裁庁(Ministry of Attorney General)の一部門としてトロントに設けられたもので9人のスタッフで、公後見人事務所とは独立して業務をなし、その任務及び役割は能力判定に関する情報提供、判定の申し込みの受け付け、採用、訓練及び任命や判定者及びその作業内容に関する管理、監督等との報告があったが、本年4月からはシステムを効率化するためにP.G.Tの一部となり、スタッフ3名で運営している。現在では判定者の訓練が主な業務内容になったようである。判定者を必要とする人はP.G.Tに備え付けられたリストを探す事になる。 判定者になれる特定業種の中に法律家が入っていないが、日常的に意思能力が充分でない人に身近に接する業種でないからだという説明であった。争いがある場合の様に争点の整理と法的処理が必要である場合は別として、能力判定は結果として、本人の法的地位の変更が伴うものであったとしても、無能力の状態の判断が重要な事との配慮からであろう。 2.判定者への訓練 適格業種は主に心身に関する業種であり、法律と判定の関連づけが判定者への訓練の重要な内容であり、「能力判定マニュアル」により判定の基本原則、手順、方法等、判定ガイドラインの修得が行われる。 訓練は1日で終了し、今年は500人を対象に6週間にわたりトレーニングを行うそうである。日弁連の「欧米6カ国の成年後見制度調査報告書」によれば60人が判定者として訓練を受けているとあるから、現在は多くの人を短期間で訓練するようになったようである。 3、判定費用について 判定費用については、1判定ごとに、判定依頼者が支払い、その額は特に法定されておらず、判定者が決定することになっている。今年3月の改正で政府は料金設定の規制を行う権限を有したが、現在のところ実施されていない。。但し 病院に勤める判定者の場合は、病院から判定費用が支払われるシステムになっているとの事であり、今後判定者が増えることにより、病院の負担になり(多くの者が病院に勤務しており病院から支払われるので)料金が下がることを期待していると説明があった。また費用の点で困っている人は、P.G.Tに援助を求めることが出来るそうである。 4.能力判定過程の全段階で考慮される基本的原則 判定者が判定する場合に考慮しなければならない基本原則には次の様な物がある。 @能力判定によって、後見人が選任され保護される反面、自己決定権がそこなわれることになる事につながり、判定は強制してはいけない。 A裁判所の命令がないかぎり、判定は決して法的に強制されない。能力を評価するには合理的根拠が必要であり、それがないときは、能力有と推定される。 B判定は医学的、精神医学的診断、神経心理学テスト、精神状態検査のみに基づく認識障害を立証することではない。判定される者の行動、選択が合理的に見えるか否かではなく、その選択が、その人の個々の筋道、個人的信念の体系、既知の価値、現実と符合しているかどうかを個々具体的に調査するべきである。 C無能力判定は広範囲についてのものではなく、分割された特定の小領域で個々に評価され、更にその特定の小領域の中でさえも本人の参加は最大限に認められる。例えば、複雑な金銭取引には能力無いが、日常的な金銭上の事柄の管理については能力有り、健康管理全体としては能力無しと判断され本人をサポートする事になっても、本人が栄養摂取については気を使っている場合は、その部分のサポートはする必要が無い。 D問題状況は概して裁判外の処理で良好にされるのだから、法律上の後見は、既存の支援が不適当になる場合、法的な処理が実質的福祉をもたらすなどの最後の手段としてのみ使われるべきである。 さらに、後見人の機会、権限、期間は厳格に限定される。拘束性の少ない代替手段がある場合には、後見人の選任は禁止される。 5.実施手順 判定者が行う手順についても「能力判定マニュアル」に詳細に定められてある。財産管理能力判定の場合要約すると次の様になる。 @はじめに個人情報を取得し、判定の目的を確認する。 A対象者に関する財産の規模・構成の概観、対象者の能力についての評価について関係者から聞き取り調査を行う。 B対象者に次のステップで聞き取り調査を行う。 T.財産状況について対象者の事実理解の調査 例 「あなたは自分の家を持っていると妹さんが言っています。本当ですか。不動産を持っているかと聞いたとき、思いつかなかったのはなぜですか。それを売ればどのくらい値が付くと思いますか」 U.財産管理上の能力が不足している部分を特定する 例「ばかげた買い物を沢山したため、借金が過剰になったことがありますか。収入以上にお金をつかったらどうなりますか。予算をたてるのが役に立つと思いますか」 V.財産管理上の能力が不足している部分での意思決定の仕方 例「生活保護を受けなければならないのが分かっていながら、家族の反対を押し切って慈善事業に寄付したいのか教えてください。なぜこれがあなたにとって重要な選択なのですか」 C能力を衰退させる医学的、精神医学的、社会的、歴史的ないかなる要素にも検討を加える 6.能力について S.D.A法 第6条は、「自己の財産の管理に関する決定をするにあたり、その決定に関連する情報を理解できず、又はその決定をすること若しくはしないことから生ずる合理的予見可能な結果を認識することが出来ない者は財産管理能力をもたない者である」と定めている。また、身上ケア能力についても同法45条により同様の定めをしている。すなわちオンタリオ州は意思能力は自己決定に関連する情報を理解し、その決定から生ずる合理的予見可能な結果の認識する機能と定義しており、身体的な特異性、医学的な特異性、行動もしくは選択又は危険にさらされるかには注目していない。 「能力判定マニュアル」は、能力を次の様に記載しており、下記@及びAがそなわっていれば能力ありと判定することになる。 @意思決定に関連する情報を理解する能力 理解カとは、情報を実際に理解し、記憶に留めおく人の認識能力と位置づけ、言葉、形、身振りで自分自身を表現する能力も含むとし、過去の記憶はあるが、最近の記憶が損なわれたた状況を呈する脳卒中、初期アルツハイマー病は理解力が無いとする。 A決定する又は決定しないことから生ずる総合的結果の識別能力 自分の言葉で決定したことによる結果として起こりうるリスクや難しさを認識し、その認識が筋道がたっていて現実に根ざしたものであるか否か。 {今後の能力判定} 以上、能力判定に大きく3つの形態を見ることが出来る。 @日本の無能力者制度及び成年後見制度施行前のカナダのように、実質的な能力判定は、医師の鑑定書により医学的見地からなされている場合。 A成年後見制度施行後のケベック州の様に、医師が能力鑑定を行うが、それはあくまでも1判定材料にしかすぎず、裁判所が実質的に判定している場合。 B成年後見制度施行後のオンタリオ州の様に、通常は判定者という資格者が能力を判定し、争いがある場合に裁判所が判定する場合。 @について、成年後見制度としての能力判定の方法にふさわしく無い事は言うまでもない。 Aについて、成年後見制度が施行されている諸外国においても、ほとんどがケベック州の様に裁判所が能力判定を行うことなっている。成年後見制度が施行される以前から裁判所が判定していたという経緯と、その判定の重要性によるものであろう。この場合、どのように判定するかについては裁判手続きの中で決定していくわけで、法的に万全を帰した事になる。しかし、場合によってはそこまで厳格な法的手続をとらなくても正当に判定出来る場合も多くある。また、本人のための制度であるとすれば、その利用が手続的に面倒になり、裁判手続というだけで精神的苦痛は伴うであろう。裁判所が能力判定に深く関与するドイツの例で千葉大学の新井誠教授の現地視察報告の中に財源確保、裁判官の重労働等の問題点が指摘されている。 Bの場合、ノーマライゼーションの趣旨を出来るだけ忠実に法律に表現しようとした意気込みが高く評価出来る。しかしながら、そのあまりにも革新的な変革のため、法律自体が、非常に分かりにくいものになっている。また、新たな組織の創設が伴い組織編成上、経費上、多くの困難を伴っている。そのことは、S.D.A成立後施行までに5年の月日を要したこと、施行後わずか1年で改正がなされた事からも伺い知ることが出来る。また、ケベック州の様に一度能力が不足していると判定された者に対して能力を再評価する判定制度までは整備されていなかった。 今後の能力判定のあり方を考えると、成年後見制度に関するものである以上基本的な考え方はBにおくべきであろう。オンタリオ州にみられる「判定マニュアル」の様に、判定基準を明確にし、マニュアル化すれば、判定者自体の確保は比較的容易であろう。しかしながら、判定者が判定を行いうる前提に、選ばれる後見人がP.G.Tといういわば行政組織の一部門である事によって、後見人の妥当性の問題を回避している点も考慮に入れなければならない。さらにP.G.T自体は新たに作られた組織ではなく、public trustee(公的受託者)を再編成したものであり、その様な組織の存在しない我が国に、いきなり導入する事は不可能に近い。現実にも、多くの成年後見制度に関する議論の中では、Aの様に裁判所の組織の充実によって、裁判手続の中で能力判定を行う考え方が主流である。しかし、無能力者を社会の例外として隔離するのではなく、どの部分を援助したら社会の一員として生活できるだろうかという本人保護の考え方に立ってみると、裁判手続きを出来るだけ避けようとするオンタリオ州の姿勢にはうなずけるものがある。結論を急がず、国家機関であ法務局、公証人、専門職能の司法書士会、弁護士会等の利用の可能性のを含めて組織的な部分から見直しを行い、全く異質と言っていいオンタリオ州の制度を検討する事は、今後の日本の成年後見制度を考える上で必要な事であると思われる。また、自己決定権の尊重からすると、能力の再評価は重要な事であり、能力判定の中に盛り込むべきと思われる。 |
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