山日記(1) 

 
数年前に友人から誘われて登り始めた山の記録を「山ある記」として、
ある同人誌に掲載したものを載せました。
高い山、険しい山、綺麗な山、女性的な山、それこそ様々な表現で語られ続けています。
いろんな山の愛し方の内、これも一つだと思ってご一読下さい。
読まれた感想などをメールして戴ければ幸いです。


#1:荒船山  #2:両神山  #3:尾瀬   #4:利尻富士   #5:黒斑山  
#6:早池峰山  #7:浅間隠し山   #8:苗場山  


「山ある記」#5黒斑山     1998年82号掲載

 今、たっぷりのお湯に入り、しびれる様な暖かさを感じている。
ついさっきまでは、もう山歩きは止めようかなと思っていた。朝、
集合場所に集まったときは、それ程心配するような天候とは思
えなかったのであるが、目的地である「黒斑山(くろふやま)」の
登り口へ向かう車の中で、フロントガラスにぽつぽつと水滴が
当たり始めた頃から、少しずつ怪しくなってきたのである。

 浅間山の外輪山である黒斑山は、標高が二千四百十四mあ
り、群馬県側からは殆ど見えないが長野県側からはその勇姿
がはっきりと見える。近場にはスキー場が沢山あり、冬にはス
キー客で賑わうが今の時期は、山登りの人以外には殆ど人が
居ない。

 登山口で傘も含めてしっかりと支度を済ませると、入山記録に
署名を済ませ、いよいよ出発である。小さな落葉松と熊笹の茂っ
ている小道を登り始めた。出発は十時十五分、なだらかな登りを
進むと、ダテカンバや白山シャクナゲが寒い冬と雪を迎える支度
をしている。シャクナゲの芽の先には花を咲かせる芽と枝を伸ば
す芽がキチンと分けられて固い殻を被っているようである。

 歩き始めてかれこれ一時間半程度登ったところに「トウミの頭」
と呼ばれる高い部分がある。恐らく「遠くまで見通せる」所から命
名されたのであろう。雄大な浅間山と外輪山の切り立った景色が
しばし時間を忘れさせてくれた。

 この頃から、雨がかなり強く降ってきた。トウミの頭から一旦急さ
かを下り、再度ガレ場を登り切ると雨と霧の中に頂上の避雷針が
見えた。本来この場所は危険区域で立入禁止になっていた所で
あるが、最近解禁になったので、所々に拡声器の様なものが置い
て有り、万が一の時には避難命令が発令されるようだ。

 正午少し過ぎに頂上に到着、大きな木の下に雨宿りをしながら、
暖かいインスタントラーメンを食べ、冷たいワインで登頂祝いを行っ
た後、あまり長居せず下山となった。それでも当初の予定通り、午
後二時半には登山口に辿り着き、無事下山記録を認められた。

 最初しびれていた感触も冷え切った身体の隅々まで暖かさが行
き渡り、至福の時間が訪れた。雨が降っても、たまには、こんな山
行もいいのかなと思った。
 

早池峰山へ

山ある記」#4利尻富士   1997年81号掲載

 「はい今月分」と言いながら財布から一万円札を渡す。我々は丁度
一年程前に「来年は百名山の一番北にある利尻富士に登ろう」と言う
誰かの発案で毎月山登り貯金を始めたのだった。どうもこのグループ
はちょっとした思いつきが直ぐ実現するらしい、何とも楽しい集団で
ある。

 羽田発札幌経由稚内行きの飛行機で北海道に渡り、そこから更に
フェリーで利尻島に向かう。快晴である。稚内からおおよそ一時間半
で利尻島に到着するが、遠くから利尻富士の雄々しい姿が見えてきた。
船上から見る利尻富士は何とも美しく、我々の登頂を歓迎しているよ
うであった。
 その日は「ホテルニュー利尻」で一泊し、翌朝早く鴛泊(おしどま
り)コースの登り口に宿の車で送って貰い、三合目の登山口を出発し
たのは、未だ薄暗い四時丁度であった。
 利尻富士は、標高千七百二十一mであるが、登山口は既に二百m位
の地点なので、実際には千五百mくらいを登れば良いはずである。

 最初はなだらかな登りであった、四合目、五合目、六合目の標識を
過ぎる頃から、一緒に登り始めた七名も少しづつ前後の間隔が広がり
始め、休む時間が長くなってきた。我々の背丈よりも高かった木々も
徐々に低くなり、さわやかな風が心地よくなってきた。天候は生憎の
曇り空であるが、時々遠くに礼文島が見えた。高山植物の宝庫である
という利尻富士であるが、残念ながら七合目、八合目まではあまり目
立つほどではなかった。九合目の標識に辿り着くと、「ここからが正
念場」の表示と共に、急な登りになり、足元も細かい砂利のようなガ
レ場になってきた。しかし、ここからが本当の利尻富士の素晴らしさ
なのであろう、「利尻ヒナゲシ」「ヨツバシオガマ」「チシマギキョ
ウ」「ゴゼンタチバナ」「ミヤマアズマ菊」「色丹はこべ」などが咲
き誇り、平地では見られない素晴らしい色合いが堪能できた。頂上に
到着したのは、十時丁度、登りに六時間掛かったことになる。

 登頂記念の儀式は、写真撮影、冷たいワインの乾杯、昼食と一通り
済ませた。残念ながら、視界はあまり良くなくガスが掛かって殆ど見
えなかった。三十分ほどの休憩時間で昼食を取り、ザックを身軽にす
ると後は一直線に戻らねばならない。流石に長時間の登りを味わった
後だけに下りはかなりこたえた、所々で小休止を取りながら出発点に
戻ったのは、午後四時である。往復十二時間の長ーい山歩きであった。
翌日から、一週間ほどの足の痛さは、積み立てと逆に少しずつ消えて
いった。

黒斑山へ

「山ある記」#3尾瀬       1997年80号掲載

 私は会社にも自宅にもネズミを飼っている。そう、あのパソコンに
ついている「マウス」と呼ばれるあれである。あれは右手の中にすっ
ぽりと入り、パソコンの画面に表示されている矢印を適当な位置まで
移動させ、人差し指と中指で「カチカチ」と押すのである。勿論私の
仕事場がパソコンを大量に使う職場と言うこともあるが私の周りでは、
実に数多くの「カチカチ」が聞こえている。思えば二十年ほど前の事
務所で聞こえていた音は、どんな音だったのだろう。エアコンのモー
ターの音、コピー機の音、紙を中心とした音が主体だったような気が
する。

 今回は、私にとって二十年振りに登った初冬の「尾瀬」を紹介して
みよう。尾瀬への登り口は大清水口、富士見峠口、鳩待口と幾つか有
るが、今回はその中でも一番人気のある「鳩待口」からである。事務
所の中が変わったように、山の様相も随分変わったのではないかと思
いながら登山口に到着した。鳩待口へは峠の頂上まで車で行きそこか
ら平らな所をだらだらと歩いて行く(むしろ下り込んで行くと言った
方が正解かも知れない)と尾瀬湿原へ辿り着けるので、初心者にとっ
ては有り難いコースである。今年(平成8年)は入山者が、六十五万
人と戦後最高を数えたそうである。昔はなかったと思うが、入り口に
「靴底の泥落とし(外部から種子を持ち込まない用心だそうである)」
と「人数カウントのための赤外線センサー」があった。入り口から至
仏山を左に見ながら山鼻までは、緩い傾斜が続く。所々に大木を半分
に割り、歩行者用の通路が造られているが、これも自然を守る工夫だ
そうである。真っ赤なまゆみの実、どうだと言わんばかりの水楢の大
木、霧氷のように見えるダテカンバの遠景などを観賞しながら尾瀬ケ
原にたどり着くと、「東電小屋」と「竜宮小屋」方面への分岐点に到
着した。

 流石に初冬と言うこともあって、夏の盛りのような人ではな
かったが板張りの通路を何十人とすれ違ったのは、尾瀬の人気を表し
ていた。今は、薄い茶色になってしまった高山植物が一面に広がり、
これから訪れる冬将軍に備え大切な物を奥深くしまっている様に見受
けられた。何回かの休憩と冷たい水の中にいる魚に歓声を上げたりし
ながら竜宮小屋へ歩を進める。他の季節にはない「枯れた風景」を堪
能させて貰い、昼食を済ませる。鳩待口への帰路、二十年もの間尾瀬
の自然を守り続けてくれた人達に感謝するとともに、益々便利になる
山登りと自然との調和に複雑な思いを禁じ得なかった。

 あと何年か後に再び尾瀬を訪ねたいと思うが、何時までも変わらぬ
自然を残しておくためには、あまり素晴らしさを伝えたくない山行で
あった。

利尻富士へ

「山ある記」#2両神山   1996年79号掲載  

百二十六、百二十七、百二十八段、、、今朝も何とか八階まで辿り着
いたようである。階段を登ろうと思ったのは、事務所が三階から八階
へ移転したことをきっかけに足腰の訓練を思いついたからである。

 今回は、初夏の「両神山」を紹介してみよう。「りょうかみやま」
と読み、標高1,723mの奥秩父にある山である。丁度十年ほど前に日航
機が墜落した群馬県上野村の近くに位置する。山の名前の由来には、
いくつかの説があり「イザナミ、イザナギの二神を祭って有るので両
神山」という説、「日本武尊が東征の折りに、この山を八日の間見な
がら旅を続けたので八日見山」という説等がある。

 今回の同行者は、
私を含め総勢七名である。七時半、集合場所へ集まった我々は一台の
RV車に乗り込み出発した。梅雨の最中の山行ということで、多少の
雨は覚悟していたが、晴男・晴女が大勢揃ったためか日差しの強さが
気になる好天であった。高崎市から、埼玉県吉田町を抜け登山口であ
る「白井差」に到着したのは十時を少しすぎていた。

 いよいよ出発である。「入山記録簿」に氏名、住所などを記入し歩き
始める。最初は、なだらかな山道が続き、廻りの木々の緑、萌葱色の雑
木林の中に見える「マタタビの木」の葉の白さに驚いたり、様々な新緑
の色に感嘆していた。十五分も歩くと、急に道が険しくなり「水楢」や
「橡(とちのき)」か「ほうのき」のような太い幹を逞しく伸ばし、鬱
蒼と茂った林に入ってきた。道幅も狭くなり、少し湿った岩だらけの道
をゆっくりと進まねばならなくなった。山頂まで、二時間強とガイドブ
ックに記して有ったが、この急で険しい山道がこのまま続くとすれば大
変な山を選んでしまったことになるかも知れない。この山は「深田久也
氏の日本百名山」に紹介されており、山頂からの眺めは絶品と聞いてい
る。楽しみが大きい分、苦しみも止むを得まいと思いながら、だんだん
口数が少なくなり、息だけがハアハアと妙に耳に付いてきた。「一位ガ
タワ」という、目印を過ぎると、雑木に加え「ヤシオツツジ」や「馬酔
木」が群生している。

これだけ切り立った岩石に、よくもこれだけの巨木が沢山育った物と感
心するばかりである。予定の時間から一時間強遅れて山頂に到着である。
残念ながら、山頂から見渡せる山並みは霞に包まれてうっすらと見える
程度であったが、あの苦しい岩場と急坂を登りきったという満足感は充
分味わえた。早速記念パーティである。氷を入れた水筒にワインを注ぎ
込みシェイクすること数分、各々のコップに分配された冷たいワインで
乾杯!「うまい!」最高の気分である。  充分な食事と休憩をとった後、
軽くなった背中と新しい想い出を胸に登山口へ戻り、「入山記録簿」に
「無事下山」と記録できた。

尾瀬へ

「山ある記」#1荒船山       1996年78号掲載

 荒船山(一四二三m)は、群馬県と長野県の県境に位置しているが、
その遠景に特徴がある。高い位置にある平原が突然端を切り取られた様
な断崖になっていて、丁度山の中にタンカーの先端が現れた感じである。
登山口は、国道二五四号線で群馬県から長野県へ抜ける内山峠にある。

 車に分乗した仲間七名は登山口へ到着し、雪道を歩ける支度を始めた。
雪の沢山積もっている登山口を出発したのは、かれこれ八時半頃であろ
うか。登山口は雪で真っ白に成っており、初心者の私をびくつかせるに
は充分すぎる程である。雪を踏みしめて一歩一歩登り始める。もう随分
大勢の人達が登ったとみえて大小様々な足跡が沢山の歩幅で示されてい
る。細い道筋は山の陰を回り込み、急な坂道を登るかと思えば、なだら
かな道を進み、どこまでも続いている。山陰の道は雪が凍り付き我々の
歩行を拒絶するかの様に靴底に当たる。最初元気の良かった仲間も時間
が経つにつれ口数が少なくなり、ハアハアと呼吸の音だけが妙に耳につ
いてくる。

 何故、こんな苦しい山行に参加したのか後悔が広がってくる。確か同
期の連中と飲んでいる時に「この年になってゴルフと酒だけでは情けな
いではないか」という様な話がきっかけだったと記憶しているが、酒の
勢いで全員が賛同し、場所や日時を約束したのである。

 それでも何とか雪の中を歩き続け、頂上らしきところに辿り着いた。
登り詰めた場所は、遠くで見るほど平らではなく結構起伏がある。平坦
な雪道を進むと、突然視界が開け素晴らしい山並みが飛び込んできた。

 神津牧場、佐久高原、真っ白な浅間山は、暫しの感動物語である。足
元の雪原を横切って行くと岸壁の始まりとおぼしき境界が見える。いく
つかの足跡が近くまで続いているが、私にはとても覗き込む勇気はなか
った。その向こう側から「危ないぞ」と叫んでいるような強風がひっき
りなしに吹き上げてくる。その風は近場に生えている櫟や松の枝々をな
びかせ、勝ち誇っているように見える。しなやかに風の吹くままになび
いている枝々、それぞれの捌き方は違うものの、新芽を守っている木々
の強さが頼もしく感じられた。

 寒さの中で取る昼食は、暖かさが何よりのご馳走である。暫しの談笑
の後、二時間ほど掛けて登った道を引き返して行くと、肩で息をしなが
ら地面だけを見ていた登りとは違い、気付かなかった木々の息吹が感ぜ
られる。日向に生えている木々の先端には、赤い芽が固く張り付いてい
る。少しずつ春の準備をしているのだなー。

 登山口へ辿り着くと、近くの温泉まで出向き、たっぷり湯に浸かりな
がら、今日一日の出来事を語り合えるとは真に幸せそのものである。

 こんな楽しみは、足の動く限り是非とも続けたいものである。

両神山へ

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