消防団日記(2000年度) 


 
これは、私が地元の「消防団第一分団」に入団してからの日記です。
今年で6年目に突入です。意外と知られていない消防の内容を日記風に綴りました。
一年を通じて、イベント、行事、火災出動等々、奮戦記を楽しんで下さい。

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2000.4.2  いきなり出動 2000.9.3 防災訓練
2000.4.12 ポンプ操法訓練開始 2000.9.22 特別火防(秋)
2000.4.14 タイヤ交換 2000.10.6 訓練中間慰労
2000.4.16〜17 研修旅行 2000.10.15 秋季点検と・・・
2000.4.23 またもや放火 2000.11.12 毎戸査察
2000.5.7 区長からの要請 2000.12.1 忘年会です
2000.5.12 訓練も中盤 2000.12.6 突然の依頼
2000.5.22 事故です 2000.12.26 歳末夜警
2000.6.2 選抜メンバーは、やる気 2001.1.4 朝火事です
2000.6.10 特別火防 2001.1.7 寒〜い出初め式
2000.6.18 第二出場 2001.1.14 どんど焼き
2000.7.2 夜回りの効果 2001.1.20 大雪
2000.7.5 パンツまで・・・ 2001.1.21 慰安旅行
2000.7.16 ポンプ操法大会本番 2001.2.18 ボーリング大会
2000.7.30 箕郷祭 2001.3.3 春の火災予防運動、そして・・
2000.8.15 祭の付録 2001.3.25 梅マラソン
2000.8.16 団員の葬儀



2000.4.2(日)いきなり出動
 
2000.4.12(水)  ポンプ操法訓練開始
いよいよ新年度の行事が始まりました。
今年は、2年に一度行われる「広域ポンプ操法大会」が7月16日に開催されます。
箕郷町からは第一分団、第二分団、第三分団が交替で出場します。
今回の代表は、我々第一分団です。
選ばれた5名が厳しい指導を受け、試合に臨みます。
一昨日4月10日から訓練開始だったのですが、生憎の雨で今日が初日と成りました。

桜の花も満開の箕郷小学校校庭に集まり、箕郷分署の方から指導を受けます。
選手が訓練に励んでいる側で、我々の役目は応援とホースの巻きとり等の支援を行います。
今回は初日と言うことも有って、特別に手伝うことは有りませんでした。
只見学しているのも寒さでこたえました。

10時少し前に終わりましたが、これから毎週、月・水・金の3日間、夜8時から10時まで
訓練が継続されます。
応援とお手伝いは、交替で出来ますが、選手の皆さんは毎回出席で訓練をせねば
ならず本当にご苦労様です。
怪我や病気に気を付けて頑張ってもらいたいものです。

今年の新旧入れ替えは、1名のみです。
集合したときに紹介されました。
「萩原さん」と言う方です。早くなじんで欲しいものです。

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2000.4.14(金)タイヤ交換
今日は東京へ出張だったため、訓練時刻には間に合わなかった。
冬用のタイヤを夏用のタイヤに履き替えるとのことだったので、以前の分団長だった方の
経営しているガソリンスタンドへ行ってみると、既に殆ど終わっていた。
履き替えたスパイクタイヤを軽トラックに積んで、詰め所に同行し所定の位置に格納した。
取りあえず今回は訓練で使用していない「タンク車」のみ行った。
次回には、ポンプ車を交換する。一回の交換でタイヤ本数が6本である。

その後、訓練場所に行ってみると教官からかなり厳しい指導を受けていた。
それこそ、気を付けの姿勢になるときの両手の降ろしかた、全員が一斉に
動作出来るまで何回も何回も繰り返しやらされていた。
未だ今日で2回目だが、10時頃の動作では全員がかなり揃ってキビキビと
見ていて気持ちよい感じであった。
まだまだ訓練は続くが代表の5人には頑張って欲しい。

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2000.4.16(日)〜17(月) 研修旅行
毎年恒例の第一分団研修旅行が有りました。
今年の宿泊場所は「能登半島・和倉温泉」です。
16日の朝6時半に箕郷町役場の駐車場に集合・出発と言う段取りで
定刻通りに全員が集合し、役場のバスに乗り込みました。

箕郷町には第一分団から第三分団、そしてラッパ隊がありますが
このような研修旅行を行っているのは第一分団と第二分団です。
研修費用は我々が夜詰め所に集合し、夜間巡視を行ったり、火災時出動の度に
国から支給される手当てを積み立てておき、不足分を各人が負担しています。
箕郷町からは役場のバスを融通して貰ったりと言う支援も受けています。

バスに乗り込み、分団長の挨拶などが済むと、早速恒例の「割り箸競馬」が
始まります。どうしてこれほど熱中するのか判りませんが、バスに乗っている
間は全員参加でこのゲームを楽しみます。
それゆえ、途中の景色などは殆ど憶えていません。
見学場所は、金沢兼六公園、妙上寺など数箇所でした。

宿泊場所の和倉温泉では「のと楽」と言う豪華なホテルに宿泊しました。
温泉にのんびりと浸かったあと、宴会です。
相変わらず、豪華な食事と飲み放題の酒、楽しい仲間との宴会は
二次会も含めてそれぞれが楽しんでいました。
最近のホテルは宴会後のお客を外に出さない工夫をしていて
ホテル内で安心して遊べるように成っています。
いつもは麻雀を楽しむのですが、今回は声も掛からず、そのまま就寝しました。

翌朝、朝食を済ませ、輪島の朝市を楽しみました。
話には聞いていましたが、予想以上に賑やかで、人出も多かった様に感じました。
おばちゃんたちの楽しい客引き方法に微笑ましさを感じながら、ついつい
買わされました。
その後は、何ヶ所かのお土産屋に立ち寄り、能登のお土産を買い入れました。
帰りのバスの中でも、相変わらず「割り箸競馬」に興じました。

夜7時過ぎに箕郷に到着しましたが、地元の焼き肉屋で夕食を食べ、
解散となりました。
参加人数は22名と、箕郷町役場の消防団窓口に成っている「I原さん」、
添乗員の「K池さん」、そしてずぅっと運転をしてくれた「N村さん」の
総勢25名の楽しい研修旅行でした。

また、明後日からポンプ操法の訓練です。
御世話戴いた関係者の方々、大変有り難う御座いました。

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2000.4.23(日) またもや放火
4月の初めに発生した放火事件は未だ解決していない。
放火の有った翌週から消防団本部役員が早朝の巡回を行っていた。
その為か、9日、16日の日曜日には火災は発生しなかった。
しかし、昨晩は早朝巡回の方達が懇親会で夜遅くまで飲んでおり、
巡回をしなかったのである。

朝5時、私が犬の散歩に出かけようとしていたら、消防車のサイレンが聞こえ
その後、火災発生を知らせるサイレンが鳴り響いた。
早速着替えて詰め所に急行。
丁度、ポンプ車が出動するところだったので、慌てて飛び乗り火災現場へ。
現場まで、ほんの10分位であるが、既に全焼状態で真っ黒い柱だけが
残され、殆ど残り火の消火だけであった。

交差点の角に有る物置に藁束が入っており、それが最後まで燃えていた。
間違いなく、先先週の放火犯の仕業に違いないともっぱらの評判です。
出火場所は、道路沿いらしく「止まれ」の三角表示がペンキが全て燃え、
三角板の一部も熱で溶けていた。
1時間半ほどで鎮火したが、第一分団の受け持ち区域なので恒例の
残火処理を行い、詰め所に戻ったのは7時半頃であった。
詰め所では、次の火災に備えて使用した5本のホースを洗浄し干した。
タンク車に水を充填し、解散した。8時である。

又来週の日曜日から巡回を開始するであろう。
警察の犯人逮捕にも時間が掛かりそうなので、それまで注意をするしか
無いのであろう。 困ったものである。
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2000.5.7(日) 区長からの要請
ゴールデンウィークも明日で終わりと言う日に、分団長、班長、団員のそれぞれから
5月7日朝6時に詰め所に集合して欲しいとの電話連絡があった。
丁度3日から6日まで出かけて居たので、内容も判らず詰め所に向かった。

詰め所には、下芝地区のメンバーだけが集まっており、何でも区長からの要請で
近くにある白川の土手に生えている枯れ草を燃やすとのこと。
燃やしたあと、消防車で消火作業をして欲しいとのことであった。
ま、良いんでしょう。

タンク車で現場に出向き、枯れ草を燃やすのを手伝った。
ある程度燃やしたあと、いよいよ我々の出番である。
放水口に筒先を直接取り付け、ゆっくりと走りながら散水車の様に残り火を消していった。
一往復するとほぼ完全に消火出来、詰め所に引き上げた。
詰め所で使用した水を満タンにして散会した。
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2000.5.12(金) 訓練も中盤
毎週月、水、金の夜8時から行っているポンプ操法訓練も、徐々に効果も出てきて
選ばれたメンバーも動作、発声もさまになってきた。

雨が降った時は、中止になるのであるが、今日は午後4時頃から降り始め
7時頃に止んだ。
判断が難しい。
集合時刻を少し過ぎた時に、班長の家に電話して見ると、「一応訓練場所に行ってみる」との
ことであった。私も着替えて訓練場所に行くと、参加者は少ない。

それでも、折角だから訓練を行うことになり、我々もホース巻きや後片付けを
手伝うことになった。
通しで4回の訓練を行ったが、ビックリするくらい上達していた。
後は、細かい部分の注意とスピードを増すことで完成しそうである。
5人の息もピッタリと合ってきて、期待が持てそうである。
是非、頑張って欲しい。
グラウンドがぬかっていたり、参加者が少ないこともあり、本日は少し早めの上がりであった。
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2000.5.22(月) 事故です
今まで特別の事故も無く、スムースに訓練を継続していたが、ちょっとした油断から事故は起こるものです。
集合時刻に少し遅れて、小学校の校庭に着いたのですが、
何やらワアワアと騒いでいます。

訓練で使用する簡易防火用水池に水を満たすため、タンク車から
放水しようとして、水圧を上げすぎたため、放水口を
持っていた人が振り回されて、1m以上吹っ飛び、
打撲と擦り傷を負ったそうです。

放水の操作をする人が慌てていたのか、水圧を
マックスにしてしまったそうです。
操作盤は消防車の両側面に着いてますが、水圧を調整する
つまみは左右で逆の廻し方になるのです。
左右が連動しているのです。

最初に放水を始めた人が、止めるときに反対側に廻って
操作したため、止めるつもりが更に圧を掛けて放水の
操作になってしまったとか。
幸い、怪我も大したこともなく済みましたが、
用心用心ですね。

筒先を持っていた人は、飛ばされても筒先を離さなかったため
周りの人は怪我をせずに済みました。
離してしまうと、筒先だけがあちこちに暴れ回り、
他の人も怪我をした可能性があります。

その後は、予定通り操法訓練を行い、帰宅は10時半でした。
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2000.6.2(金)  選抜メンバーはやる気

いつものように8時少し前に集合場所へ行ってみると、既に選手は
柔軟体操をやっています。
役員が使用する道具のセットをしています。
私も一緒に設営を手伝いました。

消防車の後方に簡易防火用水を設置し、その中にタンク車から
放水して半分ほど入れます。
ところが最初に設置した場所が間違っていたため、再度タンク車に
水を吸い上げ防火用水を正しい位置に置き直し、再放水です。
その間にも、選手は訓練を続けています。

2度目の訓練で、実際に水を流し的を射ました。
その後、早々と訓練を終了する様子です。
未だ、9時です。
どうしてかなと思っていたら、分団長から「今日午前中から消防学校で
訓練をしてきたので、今日は早めに終わりにします」とのこと。
と言うことは、選手は今日会社を休んで訓練をしていたことになります。

やる気満々です。
訓練場所を引き上げて、詰め所に戻り使用したホースを洗浄し
高いところに干して完了です。
結局、帰宅は10時でしたが、選手の熱気に圧倒されます。
本番まで、残り1ヶ月半。訓練はまだまだ続きます。
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2000.6.10(土)  特別火防
先週の日曜日、例の放火犯らしい火災が隣りの町で2ヶ所発生しました。
関係者の巡回、警備などをかいくぐって未だに逮捕されません。
例年の行事である「特別火防」も今回は各分団とも念入りに行うと言うことで
我々第一分団もポンプ操法訓練の合間を縫って行うことになりました。
特に日曜日早朝に発生していますので、土曜日の夜間に行うことになりました。

詰め所に行くと、未だだれも来ていません。
シャッターを明け、部屋の鍵を明け、干して有るホースの束を降ろそうとしていると
数人が到着しました。
早速、降ろしたホース12本を巻き取ります。2重巻きです。
巻きおわると二階に上がりました。二階に上がるのも2ヶ月ぶりです。

分団長から説明があったので判りましたが、今日は人数が少ないのです。
日曜日の放火に備えて、今日10日と来週の17日の土曜日に
手分けして巡回をするとのことです。
ポンプ操法の選手は免除です、そりゃそうですよね。
9時頃までは、分団長からの説明とテレビの野球中継を見ながら過ごし
その後、ニ台の消防車に分乗して上手と下手に分かれて巡回をしてきました。
特に変わったことも無く、10時少し前に解散しました。
依頼されているのは、11時までとの事ですが、連日の訓練で
疲れているため早めの解散となりました。

明朝雨でなければ、5時から7時までポンプ操法訓練を行うそうです。
選手も燃えています。
大会当日は、7組が競うそうですが、箕郷町代表は3組目の出場とのこと。
選手達は緊張するでしょうが、開会式の後自分達の準備をしていると
他の組の様子を見るまもなく本番の操法開始と成りそうです。
是非、訓練の成果がよい形で出来ることを祈ります。
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2000.6.18(日) 第二出場
ポンプ操法訓練も残すところ1ヶ月程度となった。
先週から日曜日早朝にも訓練を行いたいとの選抜メンバーから申し出があり
日曜日朝5時から訓練を行うことになった。
今朝、4時頃目覚めると昨夜の天気予報(雨)が大外れで快晴です。
少し早いので、床でうとうとしていると、突然サイレンが鳴り響きました。
早速、無線のスイッチを入れると「火災通信開局、現場群馬町足門、建物火災、
第二出場」とのこと。

第二出場!?
慌てて着替えて詰め所に急ぎます。
詰め所に着くと、タンク車が待機しています。飛び乗ると、乗車しているのは
分団長ともう一名、私を含めて3名です。
現場までは、10分程度で到着。既に10台以上の消防車が止まっており、
放水をしています。
建物は、携帯電話や家電製品を販売している量販店の内部です。
もうもうとあがっている黒煙は近づくと、ツンとする刺激臭と目がちかちかする
化学製品の燃えている特徴でした。

我々の役目は、応援なので近場のポンプ車にタンク車の水を中継することで
OKです。
積んであった水が空になったので、現場から退去し詰め所に戻りました。
先週も発生した件の放火かどうか判りませんが、日曜日の早朝と言う状況から
放火の可能性もあります。但し、今回は「わら」が関係していないこと、
建物の内部が燃えていること等から、一連の事件とは関係ないかも知れません。

詰め所に戻ると既に訓練のために集合していたメンバーと合流し、訓練場所で
通しの放水訓練までを行い、散会しました。
今回の訓練は本番と同じ環境で行い、タイムを計りました。
結果、第一線は上手く出来ましたが、第二線がホースの巻きかたが緩かったのか
標準以上の時間が掛かってしまいました。
本番でも一回勝負ですから、念入りな事前チェックを行い対処することにしましょう。
これからは、毎週日曜日、水曜日、金曜日の訓練となります。
選手の皆さんも最後の追い込みです、チームワーク良くやって欲しいものです。
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2000.7.2(日)   夜回りの効果
未だ放火犯は捕まっていません。
先月中頃から消防団の役員達が土曜日の夜遅くまで詰め所に待機し、町内巡回を
やっています。深夜12時頃まで2〜3回行い、その後は警察の巡回を行っているそうです。
今朝も、気になる朝4時頃自然に目が覚めました。
しかし、幸いなことにサイレンの音はしませんでした。

やはり、頻繁に町内巡視を行っている効果が出ているのでしょうか?
それとも朝4時頃といえば薄明るく成ってきているので、犯人が犯行を犯しにくいの
でしょうか?
いずれにしても、暫くは役員を中心にして土曜日の夜の巡回を行わねばならないのでしょう。
我々分団員も、何処かで役割分担をしなければ成らないと感じています。

それにしても憎っくきは放火犯人、防御は大変です。
早い検挙を望みます。
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2000.7.5(水)   パンツまで・・・
いよいよポンプ操法の本番が近づいてきました。
選手にも指導者にも熱が入ってきました。
今日も夜8時に集合し、訓練のための準備を整え、第一回目の訓練を行いました。
節度、タイムとも順調です。流石に、今まで数多くの訓練を重ねてきた甲斐が有ります。
一回目の反省点を指導されている間に、我々は使用したホースなどを片づけ、水を抜いて
一重巻きにして格納しておきます。
その後、休憩時間をとって、しばしのお休みです。用意されたジュースを飲み、
第二回目の訓練を開始する頃、何やら冷たいものが・・・。
雨です。

どうするのかなと、思っていたら指導員から「本番当日が雨と言うケースも考えられるので
このままやりましょう」と言うのです。
本降りにならない内にやろうと言うことになり、スタートしました。
スタートと同時に凄い降りに成ってきました。
見る間にぬかるみ、我々も頭から爪先までびっしょりです。
それでも止めません。
「・・・・・・」ちょっと疑問に思った訓練でした。
万が一、ぬかるみに足を取られて怪我でもしたら、今までの苦労が水の泡です。
誰かが欠けても、代役は出来ません。
その位、選手の息が合っているのです。

何とか無事に訓練を終わり、挨拶もそこそこに片づけに入りました。
ホースの水払い、一本巻き、的の片づけ、水利(大きな水槽)の片づけなど等。
濡れたままで後片付けを行い、詰め所に戻りました。
詰め所では、汚れたホース12本の水洗いと乾し竿への吊るし。
どしゃ降りの雨の中で、作業をしたため、下着までびっしょりです。
解散は10:30。
大変な訓練でした。
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2000.7.16(日)    ポンプ操法大会本番
いよいよやってきました、4月から始めたポンプ操法訓練の成果を
見せる場面が。
集合は、朝7時に箕郷町役場前。選手は既に消防車で会場に向かっています。
我々は、役場の大型バスに乗り込み、会場に向かいました。
心配された天気も、予想外の快晴です。
暑くなりそうなので、選手には余分な負担が掛かりそうです。

会場に着くと、既にテントが張られ、大勢の関係者が忙しそうにしております。
我々もテント内に必要なものを運び込み、準備を整えました。

2年毎に開催される「ポンプ操法大会」は、高崎市広域消防団の中から
7チームが選抜されて訓練の成果を競います。
高崎市、安中市、群馬町、箕郷町、榛名町、松井田町、倉淵村の代表です。
それぞれの地区毎に選抜方法は異なるようです。
分団毎の予備選を行い代表が決まる地区、交替で出場する地区など。
箕郷町は1〜3分団が交替で出場します。
丁度6年に一回、出場のチャンスが巡ってきます。

会場の準備が整うと、各地区の代表選手、分団長、補助員が
会場に並び、大会委員長を始めとする各市長・町長・村長の
挨拶が有り、審判団の紹介、国旗掲揚などの一連のセレモニーが
続けられました。
その間、選手達は炎天下で立ちっぱなしです。
我々はテントの中に居ますが、日陰でじっとしていても汗が出ます。

何とか長いセレモニーも終わり、競技の開始です。
高崎市、松井田町と続き、いよいよ我々箕郷町の番です。
事前に計測しておいたホースを消防車の周りにセットして、集合の合図で
競技開始です。
指揮者による、集合、操作開始前の報告、消防車への乗車、まずまずの
出来です。
いよいよ、スピードを競う操法開始です。
第一線延長。
筒先を持った一番員が軽快にダッシュ。二番員も消防車にホースを繋ぎ
一番員の所へ走ってきて、ホースの接続を行います。順調です。
「放水始め」の言葉で、消防車の放水が始まり、前方に設けられた
的を水で倒します。
そこまでの時間を計ると、54秒。
訓練よりも早くできました。しかし、高崎市よりも遅かったです。

次に第二線延長、合図と共にそれぞれの選手がホースを繋ぎ、
同じように放水して2番目の的を倒しました。
67秒、これもまあまあの数値です。
最後の仕上げです。
「放水止め」を四番員(消防車の操作員)に伝達し、撤収する
最終です。
火点から消防車まで引き返し操作員に伝達します。
伝達するとき「伝達終わり」、「あ、放水止めっ」と言ってしまいました。
慌てていたのでしょう、間違ってしまったのです。
しかし、その後は冷静に作業を進め、無事作業が完了しました。

減点はどの程度か判りませんが、他の分団の操作方法と比べても
それ程の違いは見いだせませんでした。
個人的な感想では、箕郷町は3位くらいには入ったのかなと思いました。

最後のチームが競技を終了し、いよいよ順位の発表です。
最初と同じように、選手達が炎天下に並び、大会委員長から発表されました。
「優勝、高崎市」
「第二位、榛名町」
「第三位、群馬町」
「以外は、全て第四位」
あらら、我々のチームは入賞できなかったのです。残念です。
採点の基準は全く判りませんが、スピード、節度、ホースの繋ぎ方、
ホースの真っ直ぐ度合い、等々を15名くらいの審判員が細かく採点して
その総合点で評価したようです。

優勝と第二位のチームは、一ヶ月後に開催される群馬県大会に出場するとのこと。
その間は、再度訓練、訓練となるのでしょうか。
いずれにしても、長期間に渡り選手の皆さんが厳しい訓練に耐え、立派な
操法を見せてくれたことは素晴らしい事でした。
私たち一般団員も少しでも一緒に応援できたことを誇りに思います。
「指揮者:清水さん、一番員:浅見さん、二番員:根岸さん、
三番員:鈴木さん、四番員:七尾さん」
皆さんに拍手を送ります。

会場の後始末をした後、焼き肉屋で慰労会。
更には、第一分団だけで泊まりの宴会と進み、本当に長い一日が終わりました。
次に第一分団が参加するのは、6年後。
私は退団していると思います。
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2000.7.30(日)  箕郷祭
今年は箕郷祭も迎えて20回目、花火の打ち上げも例年より少し多めに行うそうです。
各地区からの御輿も参加が増え、20以上の御輿がパレードします。
と言っても、殆どが子供御輿。
成人が担ぐのは相変わらず「群馬銀行の御輿」と我々消防団の御輿だけです。
朝8時半に詰め所に集合し、新しいTシャツの支給を受け全員着替えました。
数年前から一般道を練り歩くのを規制され、お祭り広場の周りを50M位
練り歩くだけに成りました。
見物する方は寂しいでしょうが、担ぐ我々にとっては楽チンです。

Tシャツの肩当てにタオルを2枚入れ、それぞれが適当な位置に就きます。
大きな駐車場で待機していると、いよいよアナウンスが有りスタートです。
各地区別に子供御輿が出発します。
我々の御輿は最後です。
出発前に団長が御輿の上に乗り、手拍子をしたあと、うら若き女性を2名乗せ
出発です。
笛に合わせて「せいや、せいや」の掛け声で練り歩きます。
10m位歩いたら、既に肩に食い込んできました。
お祭り広場の入り口で一休みしたあと、会場内に練り込み広い中で
あちらこちらへと練り歩きます。

広い会場を2周くらい廻り、やっと終わりです。
一昨年は、ドイツ人の女性が交替で御輿に乗り、我々が担ぎ上げましたが、
今年は男性が一名、担ぐ側で参加です。
それでも、終わってみれば右肩は大きなあざが出来ました。
これで数日は痛むでしょう。
でも、心地よい痛みです。

終わったあとは、例によってバーベキューです。
ガスボンベで火を付けるため、効率よく肉が焼けます。
ビール、焼酎を飲みながら、たらふく食べました。
2時間ほどで終わると各自適当に散会し、消防団の役割も終わりです。
役員の人達は、夜も花火を打ち上げるために出動するそうです。
ご苦労様です。
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2000.8.15(火)   祭の付録
祭の翌日、いつもの通りに犬の散歩をして、食事の後歯磨きをしていたら
突然腰に痛みが走り、その場に崩れそうになりました。
最初は、原因も判らず、ぎっくり腰かと思っていました。
その日は、何とか我慢しながら会社へ行き仕事をしました。
しかし、あまりにも痛いので、翌日会社を休み、医者へ行き診てもらいました。

レントゲンの結果、骨には異常も無く、患部を冷やして下さいと言うことで
湿布薬を貰い貼り付けておきました。
お風呂に入ると痛みが和らぐのですが、鈍い痛みはずうーーと続いています。
約3週間ほどで、痛みは無くなりましたが、よくよく考えてみたら
どうも祭のときに、御輿を担いだのが腰に来たようです。
程々にしないといけませんね、来年は勘弁して貰います。
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2000.80.16(水)   団員の葬儀

現職の団員が亡くなった。
今日、告別式が行われたが52歳と言う若さであり、仕事も現役だったこともあり
本当に大勢の方が参列してくれた。
過去、団員で居ながら亡くなったのは3人目との事である。
今年の3月頃、肝臓の手術を行い、暫く集まりにも出席していなかったが
様態が相当悪かったらしい。

何とも言えない侘しさがこみ上げてくる。
色々な場所で、お手伝いをしていたらしく、弔辞が6名と言う多さであった。
団員の人柄であろう。
焼香を済ませ、出棺のときに全員で整列し、敬礼を行った。
安らかに眠って欲しい。

そのご、お清めを行い元団員の冥福を祈った。
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2000.9.3(日) 防災訓練
毎年恒例になっている「防災訓練」が行われた。
今年は、火山の爆発、地震等と各地で沢山の災害が発生しているので
多少は大掛かりに行うかと予想していたら、残念ながら例年と同じ規模でした。

早朝5時ちょっと過ぎに詰め所に行くと、殆どのメンバーが支度をして待機していました。
事前の情報では、5時半頃にサイレンが鳴るとのことでした。
5時半きっかり、サイレンが鳴り、消防無線に火災現場の連絡が入りました。
早速2台の消防車に分乗し火災現場に向かいます。
タンク車とポンプ車は、二手に分かれて現場に向かいました。
現場は公園の隣りの小さな河川、あらかじめ準備して有った発煙筒に着火し
赤い色の煙が立っています。

早速、河川から給水し標的に向かって放水です。但し、直接発煙筒に
命中させる訳にも行かず、その近辺に放水を続けました。
朝日が登り、奇麗な虹を見ながらの放水でした。
5分程の放水の後、放水止めのラッパの合図で放水を中止し、撤収しました。
広場に集まり、町長、消防団長の型通りの挨拶を済ませ解散です。
各地の熱の入った防災訓練と比較すると、本当にあっけない訓練でした。

ホースを巻きとり、詰め所に戻ったあと、再度集合する時間を確認し散会しました。
毎年行っているように、訓練の後は全員によるソフトボール大会です。
第一分団は例年2チーム出場するのですが、今年はメンバーが少なく
2チームぎりぎりでした。
2チームとも力が入らず一回戦敗退でした。でも、楽しくプレイ出来ました。
優勝決定戦を応援したあと、参加賞を戴き、解散です。

その後は、分団毎に分かれて懇親会を行ったようです。
第一分団は、恒例によりバーベキュー大会です。
今年は、生ビールのセットを借りてきたので、冷えた生ビールと美味しい刺し身で
大満足のパーティでした。
災害は、訓練のときだけにして欲しいと切に願います。
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2000.9.22(金)   特別火防(秋)
恒例により秋の特別火防が行われました。
各分団も何回かに分けて、広報をしながら町内の巡回を行います。
第一分団も2班に分かれて、20日と22日の2回行うことになりました。
私のグループは22日に割り当てられ、2台の消防車に分乗して巡回しました。
「こちらは箕郷町消防団第一分団です。只今特別火防を実施しております。
どちら様も火の元には充分注意してお休み下さい」と言うような内容の
広報をしながら巡回します。

現在、箕郷町では養蚕を行っている家庭は、ほんの5軒程度との
事でしたが、過去の習慣で火災の予防を行っています。
次回からは、数が少ないと言うことで中止になるかも知れません。
実態に合わせるとすれば、特別に行わなくても良いかとも感じます。

いよいよ来週から「操法訓練」が行われます。
5名の選抜選手が7回ほどの訓練を行います。
広域消防団によるポンプ操法と同じ様な内容ですが、町内だけの
訓練なのでプレッシャーは少ないと思います。
それにしても選手は、大変です。
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2000.10.6(金) 訓練中間慰労
毎年開催される「箕郷町消防隊秋季点検」が、今年も10月15日(日)に
行われます。当然各分団とも7回ほどの夜間訓練を行います。
9月25日から始まった訓練も、今日で4回目。
選抜メンバーもかなりスムースに各自の役割を消化出来る様に成りました。
何故か、今回の訓練が終わったあと、詰め所に戻って軽く一杯やるとのこと。
10時ちょっと過ぎに詰め所に戻ると、缶ビールと刺し身、焼き鳥が
準備されていました。

訓練の成果やこれからの予定などが話され、本番では上手くやろうとの
話の後、11時半頃散会しました。
私も缶ビールを戴いたのですが、そのまま自宅まで自分の車で帰ったことは
秘密です。
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2000.10.15(日) 秋季点検と・・・
昨日(土曜日)の予習に続き、いよいよ本番です。
朝8時半には、全員が箕郷小学校の校庭に集合し軽くラジオ体操を済ませました。
9時、昨日通しで行ったのと同じ順番で点検開始です。

開式宣言、
服装点検(整列している我々の周りを町長始め、来賓の方々が見てまわると言うもの)、
器械機具点検(各分団毎に消防車の動作確認)、
部隊訓練(隊列を組んで行進)、
ポンプ操法(選抜選手による操作)、
ラッパ吹奏(ラッパ手による吹奏)、
応用操法(火事を想定した放水、実際に小屋を燃やし放水、鎮火まで行います)、
隊列行進(来賓に対し敬意を表した行進)、
表彰(永年勤続、5、10、15、20、25、30年表彰)、私も5年表彰でした
来賓祝辞(これが長いのです)、
閉式宣言

と、概ねこんなことを次々に行ってゆきます。
朝9時から始め、12時過ぎに解散となりました。
そのご、詰め所に戻り軽い食事をして解散となりました。

夕方、伊香保温泉に集合し、慰労会を行いました。
お風呂に入り、宴会では選抜選手を中心に飲んで騒いだ事は当然です。
私は例によって「麻雀組」に拉致され、朝方5時頃までやってました。
結果?
ほんの少し勝ちましたが、その日一日がとっても眠かったです。
早めに帰宅して、曝睡しました。
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2000.11.12(日)   毎戸査察
「火を付けたあなたの責任最後まで」
これが今年の秋季全国火災予防週間標語です。
今年も11月9日から15日まで運動が実施されます。
我々も受け持ち区域の各家庭を個別に訪問し、火災の時期と言うことで
火の元を注意して貰えるよう、「標語のシール」と「消防みさと」と言う新聞を
配ります。

最初に配ったときは、不慣れも手伝ってぎこちなかったのですが
6年目の今年は、大分慣れてきました。
分担した数は、80〜90軒です。
多い人は、130軒位あります。午前中一杯は掛かります。
チャイムを押して、出てきたときの顔は本当に千差万別です。
怪訝そうな顔、ご苦労様と言う顔、この忙しいのにと言う顔、
でも「ご苦労様です」と言う一言で安心します。
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2000.12.1(金) 忘年会です
早いものですねぇ、あっと言う間に師走になりました。
いつもは、もう少し遅く開催する「忘年会」は12月の第一日曜日になりました。
今回は、箕郷町に新しくオープンしたフランス料理店で行いました。
何でも、開店3日目だそうです。

6時半から開始だったのですが、会社から帰り大急ぎで着替えて
会場に向かいました。
ちょっと遅刻してしまいました。
分団長の挨拶が始まっていました。
空いている席に座り、挨拶が終わり、副分団長の乾杯の音頭で
開幕です。

いつもは、焼き肉とか焼き鳥などの比較的大衆的なお店が
多かったのですが、今回はフランス料理と言うことで、何となく
場違いな雰囲気でした。
でも、料理は美味しく、ワインも白赤ともに、とっても美味しかったです。
特に、フランス料理で有りながら食材に中華のものを使い、少し
変わった味の料理を楽しめました。
箕郷町の田舎にも、こんな洒落た店が出来たのは嬉しい限りです。

一次会が終わったあと、直ぐ帰宅した人、高崎の繁華街へ繰り出した人、
箕郷町内のスナックへ繰り出した人、それぞれでしたが、私は
体調も思わしくなかったので、帰宅組みと成りました。
この忘年会が終わると、いよいよ年末の歳末夜警に突入です。
火災が起こらないことを祈ります。
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2000.12.6(水) 突然の依頼
夜、自宅で寛いでいると見知らぬ方からの電話です。
「もしもし、消防団の大野さんですか?」
「はい、そうですが・・」
「実は、○○と言いますが、消火器の詰め替えをお願いしたいのですが」
「判りました、取りに伺いますが、場所はどの辺りですか?」
と、説明をしてもらいました。

早速、伺ってみると確かに期限のきれる寸前の消火器でした。
家が新築だったこともあり、心配だったのでしょう。
詰め替えに掛かる時間を気にしていました。
火災予防週間の場合、1〜2日で可能なのですが、期間がずれてしまったため
一週間くらい掛かるかも知れませんと答えると、不安そうな顔になりました。
確認して見ますと、一旦引き取り、分団長に連絡してみると、2日位で
何とか成りそうとの返事を貰いました。
早速、電話で連絡すると、安心した声が伝わってきました。

我々の仕事の一つに、消火器の詰め替え斡旋が有りますが、
正にボランティア作業です。
しかし、安心をお届け出来るなら、何よりです。
2日後に、詰め替えの消火器をお届けしました。
実に嬉しそうな顔をして詰め替え料金を支払って頂きました。
こんな顔をして頂くと、とっても嬉しくなってしまいます。
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2000.12.26(火) 歳末夜警
いよいよ今年も歳末夜警が始まりました。
12月25日から31日の夜まで、分団員が2回ずつ割り振られて
宿泊します。
私も、26日と28日の2回に宿直をします。
一晩に当番が割り振られるのは、10名程度です。

26日は、箕郷町議会議長が激励に訪れます。
29日には、町長がくる予定です。
8時半頃、無線で議長が第一分団に向かう事が発信されました。
早速、詰め所の前に整列して議長を迎える準備をします。
しかし、中々来ません。
整列するときは、ジャンパーを脱ぐので寒さもひとしおです。

来ました、赤色回転灯を光らせながら10名以上がやってきました。
気を付け、敬礼の後、議長から激励の言葉と飲み物の差し入れを
戴きました。
こうやって激励に廻る方も大変だと感じます。
次の分団へ移動してゆくと、今度は我々の巡回の時刻です。
一旦詰め所の2階に上ると、火災の通報があったので、消防署の
メンバーが確認に出かけるとの事であった。

我々もサイレンが鳴ったら、直ぐ出動出来るよう消防車に乗り込み
無線を聞いていました。
幸いな事に、火災ではなく焼却炉の不始末の様でした。
その事が確認出来たあと、通常の巡回に出かけました。
今年は、カセットテープが用意してあり、既に広報の言葉が
女性の声で吹き込んでありました。
早速、スピーカーで外部に流しながら巡回をしてきました。

巡回後は、詰め所の2階で談笑しながら夜食を摂り、深夜まで
待機です。
幸い何事も起こらず、1時過ぎには全員が休みました。
翌朝、6時頃起きだして帰宅しましたが、そのまま会社に
出勤したので、一日中眠かったです。

今年も残りわずか、何事も無く過ぎてくれる事を祈ります。
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2001.1.4(水) 朝火事です
21世紀の初仕事です。
朝風呂に入って着替えていると、消防無線からの呼び出しです。
「只今火災通信開局、現場箕郷町上芝・ベルディ箕輪3階、第一出場」
あらら、私の家から直ぐ近くです。
慌てて着替え、現場へ向かいました。

有料老人ホームの3階が燃えた様ですが、私が着いたときには
既に鎮火していました。
何でも、3階の仏壇の蝋燭から何かに燃え移ったらしいのですが、
スプリンクラーが作動してあっと言う間に鎮火したようです。
但し、スプリンクラーは同じフロアの別の部屋や廊下にも一斉に
放水したため、そこいらじゅうがビッショリになってしまいました。
鎮火しても、水は止まらず暫くは他の家財に水が掛からない様に
大きなブルーシートを架けておいたようです。

外で待っていると、第二分団、第三分団の消防車は次々に到着しましたが
肝心の第一分団の消防車は、一向に現れません。
そこで一緒に居た第一分団員と詰め所に迎えに行きました。
何と、消防自動車(タンク車)のバッテリーがあがってしまい、エンジンが掛からないとの事。
ポンプ車に乗り込み、サイレンを鳴らしながら遅刻して現場に到着しました。

整列したあと、団長の挨拶があり、受け持ちの第一分団員は3階の
廃水処理を手伝う事になりました。
それにしても、非常時にエンジンが掛からないとは情けない話です。
何でも、歳末警戒の最終日に内部の電気を点けっぱなしにして
おいたため、バッテリーがあがってしまったようです。
これからは十分に注意しましょう。
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2001.1.7(日) 寒〜い出初め式
いよいよ新年の事始め、出初め式です。
例年の事乍ら、寒い中での行事なので、例年寒さよけの工夫をします。
今年は、スライディングパンツを着用、防風用としてビニール地のシャツを
着込みました。靴の爪先には、ホッカイロを入れ、準備万端の筈でした。

幸いな事に風も無く、それ程寒さを感じませんでしたが、始まってみると
じんわりと寒さが忍んできました。
朝9時ちょっと前に始まった式典は、開式宣言、主催者(町長)挨拶、
国旗掲揚、婦人消防団・自警団によるポンプ操作、そして分列行進
来賓挨拶へと続きます。
ここが一番つらいところです。
今年は、群馬県知事、箕郷出身県会議員、高崎警察署長、箕郷町議会議長と
少なく、そして短い挨拶文でした。
それでも、途中で足の感覚がなくなり、最後の団長挨拶の時には
ホッカイロは役に立ちませんでした。

この行事に出席してくれる大勢の方々、本当に寒い中をご苦労様でした。
今年一年、何事も起きない事を祈りましょう。
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2001.1.14(日) どんど焼き
朝7時に着火しますので、地元消防団員は現場に来て下さい。
と言う区長からの依頼を受けて、私の地元である下芝を代表して
どんど焼きの現場へ15分ほど前に行った。
既に、太い竹で作られた塔の側で乾いた竹と枯れ草に火を付けて
数名が暖を取っていた。
区長に挨拶をして、暫くすると7時の合図とともに子供たちが
着火した。
火は、見る見るうちに燃え広がり高く立ててあった太い竹竿を
燃え尽くした。

今年は、どんど焼きの会場も少なくなって下芝の会場に他の地区の
達磨や門松が一緒に置かれて有った。
何故か、太い松ノ木が一緒に入っていて中々燃えなかった。
7時半頃になると、ざっと60〜70人位が子供と一緒に
木にさした繭玉を火にかざし、少し焦げて軟らかくなった部分を
食べていた。
これを食べると一年間風邪を引かないと言う言い伝えがある。

子供会の役員の方達が温かい紅茶、甘酒などを振る舞っていたので
私も紅茶をご相伴に預かった。
地元の消防団員は、私ともう一人が参加していたが、第一分団の
タンク車が各地区を巡回して警備を確認していった。
一時間半ほど経過すると、ぞろぞろと帰路につき役員と我々消防団員が
残って火の始末をした。
区長さんも最初から最後まで皆さんの面倒を見て、終わってから
公会堂で慰労会を行うとの事であった。
私は残念ながら、慰労会には出席せずそのまま失礼した。

子供たちが沢山参加して、親子で行事をする機会が少なく成ってきたので
このような催しは継続して欲しいものである。
又、年寄りばかりでなく、子供たちが大勢居る事は大いに勇気づけられた。
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2001.1.20(土) 大雪
今日は午後から底冷えのする日和になった。
案の定、5時頃から知らぬ間に雪が舞いはじめた。
お決まりの町内巡視の為に、詰め所に集合の日である。
夕食後、外に出ると結構積もっている。
こんな日は、危険を避けるために消防車による町内巡視は行われない。
きっと数人しか集合しないであろうと思い、詰め所に行くと
案に相違して30人近くが集まった。
明日は家族連れの慰安旅行が計画されているので、
巡視も中止され、9時ちょっと過ぎには解散となった。
明日の朝までに相当積もりそうな勢いで降り続いていた。
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2001.1.21(日) 慰安旅行
昨日の大雪予想はわずかに外れた。
朝起きると、快晴で有る。
昨晩の雪もせいぜい5〜6cm程度の積雪であった。
8時に役場に集合し、役場のバスに57名が乗り込んだ。
昨晩の雪は未だ道路に積もっており、出来るだけ平らな道路を選んで
草津迄のバス旅行に出た。
途中、相当混雑して時間が掛かると思われたが、案外スムースに進み
予定より30分程度の遅れでホテルに着いた。

ホテルでは、家族とともに昼食を摂り、その後スキーを楽しむ家族と
温泉に浸かって楽しむグループに分かれ、それぞれが楽しんだ。
私は当然温泉組みに入った。
珍しく1時間弱の温泉を楽しみ、身体がホカホカになった。
午後3時頃にそれぞれの場所からホテルに集合し、バスに乗り込んだ。
6時ちょっと過ぎには出発点の役場に到着し、解散した。
途中のお土産屋さんでも、あまり混雑していなかった。
今年は景気が悪いせいもあって、客足が少ないそうである。
混んでいる処は、結構人が居り差が出ている様子であった。
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2001.2.18(日) ボーリング大会
久しぶりの行事である。
一年に一度、ボーリングを楽しみお互いに持ちよった景品を
賞品にするので、案外安く楽しめる。
本部の方からも差し入れが有り、それぞれの持帰る賞品は
結構豪華になる。

夕方5時に現地集合し、参加費とトトカルチョの費用を払い込み
靴を履き替えて、試合開始である。
会場は日曜日のせいもあり、大混雑であった。
一時期ほどではないにしろ、手軽な遊びと運動なのだろう。
なにしろ、一年ぶりと言う感じなので投げかたも忘れてしまいそうな
感じであったが、何とか2ゲームを投げられた。
やはり「ストライク」「スペア」などは殆ど出ない、昔はそれなりに自信も
有ったのだが、気持ちと体力のアンバランスはどうしようもない。
結果的に、122,123と言う低レベルのスコアであった。

終了後、場所を移して表彰式と懇親会を催した。
成績は、14位(27人中)と個人的には納得のものであった。
優勝は、清水さん。 スコアも350点以上とハイスコア。
見事であった。
表彰式、挨拶のあと、懇親会に移り焼き肉を囲みながらの
楽しい一時を過ごした。
早いもので、後1ヶ月少しで今年度も終わりである。
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2001.3.3(土)  春の火災予防運動、そして・・
3月1日朝7時、サイレンが鳴りました。
そうです、春の火災予防運動の開始の合図です。
毎年、分団員が手分けして夜間の町内巡視と広報を行います。
私は「E班」で、3日を担当しました。
第一分団は、分団長を頂点として副分団長、各班長がそれぞれ
担当の班をリードしています。
A〜F班までの6班で構成され、何かことが有ると班長を中心に
電話連絡網が形成されています。

夜8時に集合し、2台の消防車に乗り込み上手、下手に分かれて
巡視に出発しました。
「こちらは箕郷町消防団第一分団です。 只今春の火災予防運動を
実施しております。 どちら様も火の元、戸締まりに充分注意して下さい」と
広報を行いながら、約30分程度で詰め所に戻りました。

巡視が終わったあと、今後の事について話がされます。
今回は、もうすぐ年度替りと言う事も有って人事についてでした。
分団長と団員5名が退団。
後任は、今まで副分団長をしていた清水さんが就任予定です。
又、新たな班長が専任されました。
新年度から新しい体制でスタートします。
私も、本当は今期で退団したかったのですが、どうしてもと
慰留をされあと一年継続する事にしました。
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2001.3.25(日)  梅マラソン
今年で第3回目になる「古城梅の里マラソン大会」が開催された。
箕郷町を挙げての行事なので、我々消防団も警備に駆り出された。
朝8時半に詰め所に集合し、マラソンコースの坦当地区に1〜3名程度が
ランナーの万が一に備えて見守る役割である。
私も途中の19番を一人で担当、小さな横道から車両の出入りを
制御しながらランナーを警備する事になった。
8時半過ぎには、位置に付いたがランナーは中々来ない。
スタート時刻は10時とのこと。
1時間以上待たされて、10時5分頃にやっと第一走者が通過した。
その後には、続々と通過してゆく、招待選手の「浅利純子選手」も
中段グループで走っていた。
余裕の表情で有った。
全員が通過したあと、消防自動車で拾ってもらい詰め所に戻った。
恒例によりバーベキューが行われたが、今回は残念ながら
所用のため欠席させてもらった。
これで、今期の行事は火災発生が無い限り全て終了した。
過ぎてみれば、あっと言う間の一年間であった。


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