日付
タイトル |
日記 |
1997.4.1
新入団員紹介 |
夜8時ちょっと前、いつもの様に「詰め所」に行く。
私服のメンバーが多い、見たことの無い顔が大勢いる。新人の初出動である。
分団長(石川さん)から、団員に地区と氏名の紹介が有り、各々が自己紹介を行う。 |
1997.4.20
消防車操作訓練 |
今日は消防車の操作訓練である。近くの白川の河原へ消防車に分乗し、
他の団員と共に行く。副分団長が、一通りの説明を行い、各自実践である。
消防車で火災現場に到着したところから操作開始である。
先ず、エンジンの動力を放水の操作パネルへ切り替え、
(クラッチペダルを踏まずに切り替えレバーを引っ張り、ガリガリっという音でビックリ、やり直し。まいったな)
次に、吸水管のバルブを開き、真空ポンプを始動させる。
(これで川の中に放り投げた吸水管から水を消防車に吸い上げる)
今度は、放水管のバルブを開き、放水圧力を徐々に上げる。
(通常3〜4に設定するが、吸水の高さ、連結ホースの本数などによって適宜圧力を調整する)
「放水止め」の合図で、先ほどと逆の操作を行い、一通り完了である。
実際の火事場で、手際よく出来るかどうか?
その後、箕郷町内の「消火栓」と「防火用水」の位置を確認する為に2台の消防車
(タンク車、ポンプ車)に分乗し、巡回。 ながーーーい一日が終了した。 |
1997.5.20
定例夜間巡視 |
恒例の夜間見回りである。
今日から新入団員が支給された制服で出勤した。胸に氏名の刺繍がされ、中々凛々しい感じである。
今年から消防団員の帽子の形がNASAと同じ様なつばの広いものに変わるそうであるが
全員に支給するには数が多すぎて、取りあえず新入団員からという事に成っていた。
今回は新入団員にも間に合わず、古いままの帽子が支給されていた。
それも夏用の薄いねずみ色の帽子が・・・・
8時50分頃になると、団員による町内巡視を行う。第一分団の管轄地域を2台の
消防車に分譲し、山の手と町の手に分かれ見回りに出発した。
見回りは概ねルートが決まっており、赤色回転灯をつけ不審火などを注意しながら
巡視を行う。比較的ゆっくりと走るため20〜30分位で巡回が終わる。
本日も特に変わったことも無く、無事帰還した。
戻ると運転者が巡視結果を日誌に記録せねばならない。
殆ど毎回運転する人は決まっている。私は2年間の間にたった1回だけ経験した。 |
1997.5.22(木曜日)
新入団員訓練と辞令交付 |
新入団員の訓練と辞令の交付である。
生憎の雨模様であるが、夜8時に集合して消防団員としての基礎的な訓練を行う。
(1)気を付け、休めの姿勢
(2)敬礼の仕方
(3)整列の仕方
(4)隊列を組んでの行進、早足、止まりかた等
(5)廻れ右、廻れ左、右向け右、左向け左の足運びなど
(6)頭なか、別れなどの意味と対処
正直、軍隊みたいな訓練なので少々驚きであった。このことは何処かで役に立つのであろう
そう思っておくしかない。
いよいよ辞令の交付である。
箕郷消防団長(関口さん)から一人一人に手渡された。
丁度私も2年前に緊張した気持ちで受け取った。 |
1997.6.10(火曜日)
特別火災予防 |
特別火防によるパトロールである。
ずーーーーっと昔、箕郷町で養蚕が盛んだった頃、養蚕火災防止週間を
設定して夜間見回りを行っていた。
当時は、おかいこ(蚕)さまと言って大切に家の中で飼われていました。
まだ寒さも残るので、家の中に火鉢などを使い火を24時間絶やさず
つけていたのですが、時々そこから火が燃え移り火災が発生していました。
そこで、養蚕火災予防(養蚕火防と言っていた)を行っていたのですが、
現在では殆ど養蚕も少なくなり「養蚕火防」もそぐわなくなり「特別火防」と
成ったのです。
夜8時頃詰め所に集まり、分団長からの注意事項を聞いた後、9時頃
二台の消防車に分乗し、夜間パトロールに出掛けました。
赤色回転灯をつけ、マイクで火災に気を付けるよう広報を行うのです。
「こちらは、箕郷町消防団・第一分団です。
只今、特別火防を行っております。どちらのご家庭でも火の元には
充分ご注意下さい」
約30分位で町内を一周し、詰め所に戻り報告を行うのです。
当然、パトロールに行った団員名、乗車キロ数、回った場所などを
巡回ノートに記録することも忘れては成りません。 |
1997.7.27(日曜日)
夏祭りと御輿担ぎ |
年に一度の箕郷祭の日である。
消防団は箕郷町の中で、御輿を担ぐ団体の2つの内の一つである。もう一つは群馬銀行箕郷町支店であり、この2つが祭の主役と言っても良いであろう。
勿論、子ども会の主宰する子ども御輿も沢山有るが、若い女性が片肌脱いで御輿の上で団扇を振るなどと言う色っぽい御輿は大人の御輿で有る。
しかし、御輿は重い!
大人4人が上に乗り、それを30人ほどで担ぎ、約1.7KMを練り歩くのである。
肩にタオルを2〜3枚、折りたたんで入れるが、終わってみると肩が赤く腫れている。
しかし、気持ちは最高である。
スタート地点からメイン会場までの途中で、水を浴びせ掛けられるが、その気持ちの良いこと!
約2時間ほどで、御輿担ぎは終わり、その後は恒例により「焼き肉バーベキュー」で有る。
たっぷりと仕入れた焼き肉、野菜その他をビールとともに腹一杯食べ、飲んだ。 |
1997.8.1(金曜日)
帽子が新しく |
消防団が組織されてから早50年が経とうとしています。
今日から新しい帽子が支給された。
今までの帽子は、丁度日本陸軍がかぶっていた様な帽子で、夏用(グレイ色)と冬用(紺色)が
支給されていた。
今回支給されたのは、全国的に同じ物であるが、米国の航空隊やNASAが使用しているのと同じ
感じの帽子である。ひさしが大きく、前には「Fire
Volunteer」「MISATO」の刺繍が
縫い込まれている。なかなか良い感じである。
高崎市や前橋市、安中市も同じ物を使用するそうである。 |
1997.8.31(日曜日)
防災訓練&親善ソフトボール |
毎年、9月1日は防災訓練の日です。
阪神大震災が引き金となり、全国で防災訓練が行われた。
本来は、9月1日に訓練を行うが、箕郷町は消防団を中心に
日曜日(8/31)に行うこととなった。
朝5時にサイレンが鳴り、我々消防団員も無線機から流れる訓練場所へ急行する予定であった。
私も、4時30分頃起き出し、着替えを済ませ無線のスイッチを入れ待機していた。
5時丁度!
サイレンは鳴らない。去年もそうだったように、支度をしたまま詰め所に行く。
既に団員の半数以上が集合し、サイレンの音を待っていた。
5時15分、鳴りました。
消防車に分乗し、無線で伝えられた火災現場へ急行した。当然、赤色灯を点滅させ、
サイレンをけたたましく鳴らし、各分団から駆けつけた。
現場では、町役場の人達が準備した模擬火災の回りにタンク車が放水を始めており
我々の車両も中継注水の役割で、吸水場所に位置した。
慌ただしくホースを連結し、放水を行うとものの数分で鎮火した。
その後、ホースの巻き取りなどを行い、箕郷町役場へ集合した。
定例の偉い方の挨拶が済み、解散となった。
一旦参会した後、消防団同士の親善ソフトボール大会が行われた。
第一分団は、人数が多いためA,B二チームに分かれ、私もAチームに参加した。
今年の優勝賞品は「エアコン」と言うことで、Aチームに上手い連中を集め
「エアコン」を狙って参加した。
以前、優勝したのは平成4年との事、箕郷分署と第二分団が強く優勝は難しい状況だった。
しかし、一回戦(本部)14vs6、二回戦(第三分団)13vs8、で勝ち進み
決勝戦は分署を相手に、何と18vs15で勝ってしまったのです。
優勝です!エアコンです!
私も全試合レフトで出場し、打つほうはあまり活躍出来ませんでしたが、守りでは
そこそこ貢献出来たのではと自負しております。
優勝祝賀会は、河原でのバーベキュー大会!
ビールの掛け合いは無かったものの、食べ放題、飲み放題の楽しい一時を過ごしました。
やはり、勝つことは嬉しいものです。 |
1997.9.15(月曜日)
秋の衣更えです |
一年に二回、衣更えが有ります。今日は、夏服から冬服への切り替えです。
今までは、グレーの制服でしたが、これからは濃紺の制服です。
もし、今日以降サイレンが鳴り出動要請があれば、冬服で出動です。
当然、全員が熟知している訳ではありません、一年に二回の事ですから
忘れてしまうこともまま有ります。
夜間巡回の時も、この時期は夏服と冬服の団員が混在します。 |
1997.10.8(水曜日)
操法訓練(秋の点検) |
いよいよ、消防団のメインイベントの一つ「秋の点検・操法訓練」が始まります。
これは、全国の消防団が秋の火災予防週間に向けて、地元の消防団の
点検(いわば顔見せ)を行う儀式です。
今年も、10月12日(日)に箕郷町小学校校庭で、沢山の来賓を招き
模範演技を行います。
その為の訓練が、約7日間行われます。昼間は勤務している人が大勢居ますので
夜8時から10時過ぎまでの間に夜間照明の基で行います。
訓練の内容は、概ね以下のものがあります。
「操法訓練」・・・消火までの消防隊員の動作を形式的に行うもの
いわば剣道の型の様なものでしょうか。
「応用操法」・・・実際に火を燃やして、放水して鎮火させるもの
「部隊訓練」・・・消防団員の行進、整列等を一糸乱れずに見せる。
何と言ってもメインは「操法訓練」です。
第一、第二、第三各分団の消防車に、選ばれた選手が5名ずつ乗り込み
きびきびした動作で消火作業の模範演技を行います。
但し、動作の手順、応答、動作そのもの、スピード、技術等々が
そう簡単には会得出来ません。
毎年行われますが、第一分団の場合は団員数が多いので、毎年新人が
選抜され訓練を受けます。
今日は、個別の訓練の最終日です。来る11日(土)に予行演習を行い
本番に臨みます。
私は、2年前に一番目立つ「一番員」という役割を演じました。
昨年は、機器点検の操作者を、今年は、火災現場の怪我人の役割を担います。
一つ一つの動作は、実際の火災現場でどれほど役立つかは判りませんが
式典の目玉として、様々な方々に見て貰うことは善いと思います。 |
1997.10.12(日曜日)
秋季点検 |
今までの訓練の結果をご披露する「箕郷町秋季点検」が開催されました。
朝8時20分、式典が挙行される箕郷町小学校に集合すると、既に校庭には
点検用の各種の位置決めが白線で記されていました。
9時10分前、来賓の方々も準備された椅子席に着席し、我々の演技を待っています。
本日のプログラムは、以下の手順で進められました。
1.町長による箕郷町秋季点検式典の開式宣言
2.「君が代」の演奏と共に「国旗掲揚」
3.消防団の団旗掲揚
4.町長及び来賓の方々による「各部隊服装点検」
5.町長及び来賓の方々による「消防機械器具点検」
6.消防団全員による「部隊訓練」
7.一番華やかな「操法訓練」
8.喇叭団によるラッパ吹奏
9.実際に火災を想定した「応用操法」
10.消防団全員による「分列行進」
11.永年勤続者、功労者等の表彰式(5年、10年、15年、20年等)
12.来賓による祝辞(群馬県知事、消防本部長、高崎警察署長等)
13.「君が代」の演奏と共に「国旗降納」
14.消防団長からの答辞
15.箕郷町秋季点検式典の閉式宣言
開始から3時間以上経って、どうにか無事終了しました。
一年に一回という消防団最大のイベントも終わってみるとあっけないものです。
例年の事ながら、操法訓練に選ばれた選手5名が消防車の前で記念撮影、
そして全員による記念撮影を終わると式典の終了です。
仕様済みのホースを詰め所に持ち帰り、水洗い後乾し場につるし上げ、昨日
使用した乾いたホースを二重巻きにして元の位置に格納します。
これで本当に作業は終了です。
今晩は「伊香保」で慰労会です。たっぷりと飲みそして食べます。
5名の選手をねぎらう意味でも、楽しく騒ぎます。毎年、同じ日に各地で
この式典が開催されますので、慰労会も同じ伊香保で行います。
今年は同じホテルに「群馬町消防団」と「伊香保消防団」が、慰労会を
開催していました。 |
1997.11.1(土曜日)
火事です!出動です! |
ウーウーウー、ジャンジャンジャン!!!
昨夜、会社の人間と一杯飲んでぐっすりと寝込んでいた深夜に目を覚まされた。
寝間着姿の儘、外に飛び出してみると、消防車の走っていった方向が真っ赤です。
「間違いなく火事だ!」家の中に飛び戻り、時計を見ると2時45分!
消防の制服に着替え、ジャンパーと携帯無線機を掴むと自分の車で火事の方向へ
向かう。無線機のスイッチを入れると「放水開始」「中継放水開始」などの
言葉が聞こえる。
自宅から、15分くらいの民家が燃えている。近場まで直行すると、交通整理の
人が車を誘導している。「消防団です」と言うと、通してくれた。
車を道路沿いに止め、火災現場へ向かうと既に火勢は衰え、鎮火の方向へ
向かっていた。それでも班長から「ホースと筒先を持って現場へ!」と指示され
火災現場へ到着すると延長ホースが有った。そこに筒先を接続し、放水開始で有る。
二階建ての家が燃えているが、二階部分は殆ど燃え、柱だけに成っている。
一階部分の屋内を集中的に放水し、勢いを止める。
放水開始から約1時間、残り火も殆ど消え、鎮火である。
一旦鎮火が確認されると、全員が集められ、消防団長、区長、町長(今回は代役)が
我々消火活動に従事したメンバーをねぎらい、担当する分団だけが残火処理のため
残され、他のメンバーは帰還する。
我々の分担区域のため、第一分団が残り、最後の火種が確認できるまで水を掛け
消防署の現場検証員に引き渡して、詰め所に引き上げた。
全員が詰め所に戻ったのが4時ちょっと過ぎ、それから使用したホースを洗い
直後に火災が発生しても直ちに出動出来る体制を整えておくのである。
たまたま、前回のホース利用で干して有ったホースを巻き取り、消防車に
積み込み終わったのが、5時頃である。
使用したホースは、今晩の集合時に洗って干す作業を行うことで、帰った。
寒い中での消火活動で、風邪をこじらせた人も居るようであった。
自宅に帰って、着替えていると、何と無線機のアンテナが無い!
放水作業中に紛失した様である。大変だーー!
後日、分団長に相談して修復せねば。(結果については、又日記で) |
1997.11.9(日曜日)
毎戸査察です |
今日から「全国秋季火災予防週間」です。
朝、7時丁度に箕郷町のサイレンが鳴り響き、火災予防週間の開始を告げました。
この日、消防団員は「消防新聞」と「火の用心」のシールを持って各地区の家庭を
訪問し、火災予防週間の告知と火の用心をお願いして廻ります。
私も100枚以上の用紙を預かり、一軒一軒訪問しました。
指示では、午前中に各家庭を訪問し、終了後結果報告も兼ねて昼食を摂る予定でしたが
私自身は午前中別の用事があり、午後2時から回り始めました。
制服、制帽で各家庭を訪問しますが、各家庭の応対には実に様々な変化があります。
実に丁寧に「ご苦労様」と言って貰える家庭も有れば、怪訝そうな顔で見られる
場合も有ります。いくらチャイムを鳴らしても出てこない家庭も有りますが、その
場合には「新聞受け」に丸めて入れてきます。
全家庭に配布し終わったのは、3時半過ぎでした。
そうそう、前回の出動で紛失した無線機のアンテナが詰め所に落ちていたそうです。
助かりました。 |
1997.11.12(水)
詰め所が修理されました |
11月9日から始まった「全国秋季火災予防週間」で、3班に分けて夜間広報を行います。
今日は、我々の班が夜間巡回する順番です。いつものように詰め所に行くと、今まで
車庫の内側にあった2階への階段が建物の外側に付いていました。
そうか、先日来工事をしていたのが完成したのか!?
階段の下にトイレも作られている様子である。今までは、トイレが無かったので
小の方は、詰め所の回りに立ち××をしていましたが、大の方は家まで帰り用をたして
いたのです。
これから年末に掛けて宿直が有りますが、その時にはとても困ります。
今度は、大丈夫のようだ。トイレのドアを開けると未だ便座が付いてない!!!!
未だ完成していないのか?
でも年内には何とか完成するという話なので楽しみである。
全員が集まって話をする場所にも「エアコン」が設置されるとの事であり、徐々に
待遇改善が進んでいる感じである。
階段が建物の外側に付いたお陰で、消防車の出し入れは大分楽になった。
|
1997.12.7(日)
冬用にお化粧直しです |
毎年、春と秋に消防車のタイヤ交換を行います。
今年も今までのタイヤから冬用のタイヤ、何故かスパイクタイヤに交換です。
数年前にスパイクタイヤは禁止されましたが、緊急車両だけは未だOKです。
たまたま、第一分団長の仕事が「ガソリンスタンド」ということも有り、詰め所から
スタンドまで消防車ニ台(ポンプ車、タンク車)を移動させ、タイヤ交換です。
私は乗用車のタイヤ交換程度しかやったことは有りませんが、消防車は後輪が
ダブルタイヤなので、交換の手順が少々厄介です。
でも、団員にはその道のプロが大勢居るため、手際良く交換をしてくれます。
我々は近くで、消防車を水洗いしたり、マットを洗ったりとそれなりにやることは
あります。
念願の詰め所も修繕が終わり、トイレの便座もキチンと付いておりました。
この際だからと言うことで、ホースやヘルメット、防火服、背負子(ホースよう)、
タイヤ、泡消火機、山火事よう消火器、ホース巻きとり機等を整理・整頓し
新しく棚を作り直してキチンと並べ直した。
ここでも、大勢の団員の中には「大工」「溶接」「ペンキ塗り」などの技術を持った
職人が居り、全部ボランティアで仕上がって仕舞ったのである。
朝8時30分から始まった作業も、午後1時には焼却するものも含め全て完了した。
今までの、古い制服(過去の団員が着服していた)、帽子も全て焼却した。
少しもったいない感じもしたが、名前の刺繍がされているのでやむを得ないのであろう。
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1997.12.30(火)
歳末夜警です |
いよいよ今年も年末となり、歳末夜警の時期がやってきました。
毎年、12月の25日から31日の大晦日まで、詰め所に集まり夜間の広報と宿直を
行うのです。延べで7日間、毎日11名が詰め所に泊り込みをします。
第一分団は全員で37名居りますので、一人二回の宿直と成ります。
不足部分は、分団長、副分団長、班長が3回泊り込みます。
当然、広域で同じ事を行っていますので、別の市町村も同様だと思います。
7日の内、町長と議会議長の見回り、慰問が2回有ります。
今年は、26日が「議会議長」、29日が「町長」の巡視でした。
私の宿直当番は、27日と29日、丁度町長巡視の日とぶつかりました。
事前の連絡では、8時頃詰め所に町長と消防団長、箕郷分署長他数名が
立ち寄るとの事で、8時少し前に全員が支度をして待っておりました。
しかし、待てども来ません。
9時、10時、来ません。
通常であれば、10時には夜間広報に出かけなければいけないのですが、
巡視が来てから広報に出かけるという事で、更に待ちました。
10時10分、ついにやってきました。赤色灯を付けた司令車が4〜5台
詰め所前に止まると、全員が詰め所前で整列し、挨拶をします。
今日は、分団長が指揮をとり、町長のお言葉を頂きました。
外に出るときに着用しているコートを脱ぎ、制服制帽で気を付けをしている
訳ですが、寒さがじんわりと効いてきます。
最後に町長から、ご苦労料として金一封が分団長に手渡され、次の場所へと
移動してゆきました。
町長一行が移動した後、町内の見まわりです。
2台の消防車に分乗し、「歳末夜警、火の用心、戸締まりの用心」などを
スピーカーで広報しながら、半分ずつ巡回してきます。
巡回は一回で終わりです。
巡回が終わると、夜食を食べ、一杯入ります。我々の分団は、町からの
補助金を全員で蓄えておき、このような時に全員で使います。
つまみも町内の分団員である肉屋さんから、すき焼き風ごった煮を
届けて貰い、するめイカをあぶり、ビール、焼酎、日本酒、烏龍茶などを
飲みます。もっとも、宴会をする程は飲みません。万が一と言うことも
有りますし、翌日は自宅の年末の仕事が沢山待っていますので・・・。
12時を過ぎる頃には、一人又一人と狭い場所に布団を敷いて制服の侭で
床に就きます。
翌朝、8時には全員解散です。早く帰る人は、5時過ぎには帰ります。
その辺りは、比較的自由です。
こうして、年末の宿直が行われますが、この時にそれぞれが色んな情報を
交換し合い親しみを増してゆきます。
今年は、山林火災や住宅火災など沢山の出動が有りましたが、何とか一年が
暮れようとしています。
来年は、我々があまり活躍しない静かな一年で有って欲しいと祈ります。
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1998.1.11(日)
大雪の出初め式です |
新年明けましておめでとう御座います。
歳末に泊まり込みの夜警を済ませた後、群馬県知事、高崎警察署長、箕郷町長等から
新年の挨拶を受けます。
今年も1月11日(日)朝9時から開式です。
但し、今年は例年と違い、正月の8日未明から降り続いた雪が31センチの積雪となり
今日の会場である「箕郷小学校」の校庭でも、殆ど溶けていません。
例年ですと、公式の式典なので、長革靴と言う正装で参集するのですが、今年はゴム長靴で
集合という事になりました。
式典は、例年通り「開式宣言」「国旗掲揚」「自警団、婦人消防団によるポンプ操法」
「来賓挨拶」「国旗降納」「閉式宣言」と続き、来賓の方が帰られたのが、約1時間半後
通常ですと、その後全員で町内を巡回するのですが、今年は足場が悪いことで
巡回は中止と成りました。
式典の中で、各位からの挨拶を聞いている間、足が冷たくなり感覚が麻痺してきます。
これが一番辛い事です。
(独り言)毎年々々同じ様な事を言うのだから、適当に時間を短く切り上げて
整列している我々を早く解放する事に気を使って欲しいものです。
この様な式典にも、それなりに意味は有ると思うのですが、あまりその意味が
良く判らない今日この頃です。
夕方、集合すると「第一分団の新年会」です。
今年も、去年と同じ「サンピア」という場所で、会費制で大いに飲み、食べました。
今年一年大きな災害もなく無事に過ぎて欲しいと思います。
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1998.1.15(木)
どんど焼きです |
小正月、成人式といろいろな行事が各地で催されていますが、我々の地元でも
「どんど焼き」という行事が催されます。
これは、正月に飾った門松や昨年一年間家や家族を守ってくれたお札等を
感謝しながら燃やします。更にその火で「まゆだま」や「イカ」を焼いて食べると
一年間病気に成らない、と言うような言い伝えがあり、家族総出で火の回りに集まって
焼いたものを食べるのです。
(注:まゆだまとは、米の粉で直径2〜3センチの団子を作り、枝の沢山ある木にさして
あるものを言います)
燃やす素は、地区毎に担当者が居り、太い青竹で骨組みを作りその回りに松の枝で
覆いをします。高さは10メーター以上に成りますが、それに一斉に火を付け
全部を燃やします。その時に青竹がパーーン、バーーンと大きな音を立てて
燃えて行きます。
今年は、8〜9日に降った大雪(31センチ)と、それが溶ける前に12日に
又雪が降り、更に今日15日の未明から大雪警報が出されるほど降り続きました。
当然、着火はなかなか上手く行きませんでしたが、午前7時には何とか火が付き
ごうごうと燃え始めました。
私は地区の担当として、どんど焼きの現場に直接行って側に居りましたが、
団長、副団長、班長などは、消防車に乗り、各地区を巡回して廻ります。
我々も最後の火の始末まで側に居なければいけないのですが、私は1時間ほどで
後始末をお願いして帰宅しました。
今日の成人式は、大雪の中で行われ、折角の晴れ着が大変だったろうと思います。
夕方、雪が止んだ後、戦後1月に降った積雪量が最高の33センチとのこと。
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1998.2.22
ボーリング大会です |
1997年度もあと僅か、一般の会社では人事異動が気になる時期です。
消防団第一分団も、分団長の任期は2年ごとに改選されます。
一応、以前の分団長の内規で、2期4年が交代の目安ということで、 丁度今年の3月で、現在の分団長の任期が4年経過し、交代に成るそうです。
私にとっては、入団してから現在の分団長の基活動を続けさせて貰い、とても気持ちよく過ごさせて貰いました。
そう言う意味では、このまま継続して貰うことが最良の選択かと思いますが2期4年という内規にもそれなりの意味があると思いますので、
やむを得ないのかと感じます。
実は、今日消防団の久しぶりの行事として、標記のボウリング大会が 開催されましたが、終了後地元の焼き肉屋で賞品授与式を行うことに
成っており、最初の分団長の挨拶で、役員改選の話がされたのです。
次期分団長も内定しているのですが、正式には4月からです。
新しい分団長には、新しい方針がありいずれ発表されると思います。
是非、期待したいものです。
さて、本題のボウリング大会ですが、昨年に続き今年も、30名が参加し 盛大に行われました。
各々が賞品を数点づつ持ち寄り、再配分するような感じです。
私も優賞目指して、張り切ったもののいかんせん一年振りのボウリングで
感が戻る前に競技が終了してしまうと言う状況で、残念ながら8位でした。
(でも、内心そこそこだったと思っています)
賞品は、化粧箱に入った「醤油」「うどん」「お菓子」といったものでした。
ボウリング人口は、今どの位居るのか検討もつきませんが、ボウリング場は
大変混雑しておりました。
家族連れ、2〜3名の若者達が大勢いましたが、待ち時間に様々なゲームを
楽しんでいる人が沢山いました。
話は変わりますが、長野で開催された冬季オリンピックは実に予想外の 展開で日本選手が大活躍をし、金メダル5個、銀メダル1個、銅メダル4個
という素晴らしい結果と成りました。 嬉しい限りです。
(1998.2.9 〜 2.22 日まで、本当に選手の皆さんに感謝します) |
1998.3.3
春季火災予防週間です |
毎年恒例の「春季火災予防週間」がやって参りました。
今年も、3月1日朝7時丁度に、各市町村のサイレンが高らかに鳴り渡り
スタートです。この時期は何故か火災発生が増えるそうですが、その原因は
判りません。
箕郷町の各分団もそれぞれどうするかはバラバラのようですが、第一分団は
1、3、5日に町内広報を行います。
そうです、夜9時頃に消防車に分乗し、担当地区を二手に分かれて巡回
しながら、「火災予防週間」「火の元に注意」などの言葉を拡声器で言います。
私は、グループEなので、3日(火)の分担です。
夜8時に詰め所に集合すると、何故か全員で6名です。
仕方なく、3名づつ分乗し町内広報に出掛けました。約30分位で戻り
報告書の記載が終わると、いくつかの報告事項の伝達があり、早めの解散でした。
この、火災予防週間は3月7日迄続きます。7日の夕方7時にサイレンが鳴り
火災予防週間の終わりを告げます。 |
1998.3.20
役員交代です |
来月から新年度に入ります。
消防関係の役員も、2年毎に改選されます。我々第一分団の分団長、
班長なども丁度4年経ち、2期4年以上はとどまらないと言う不文律が
有るようで、分団長と各班長が改選された。
分団長は、いままで副分団長だった「田口さん」が就任することとなった。
今日の見回り時に、現在の分団長から正式に発表が有った。
役員は、分団長(1名)、副分団長(1名)、班長(4名)と言う陣容である。
どこでも、今の時期は人事異動の季節ですが、箕郷町全体の消防団を
束ねる消防団長も交代するとの事である。 |