消防団日記(1998年度) 

 

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1998.4.10  新年度スタートです  1998.12.13 建物火災です
1998.4.20 研修旅行です 1998.12.20 後片付けです
1998.4.26 タイヤ交換と水だし訓練、そして送別会  1998.12.27 歳末夜警です
1998.6.10 特別火防、町内巡視 1999.1.10 出初め式です
1998.6.20 夏服に衣替えです 1999.1.15 どんど焼きです
1998.7.26 夏祭りです 1999.1.17 昼火事です
1998.8.28 台風です 1999.2.10 グラフ群馬に掲載   記事の中味
1998.9.6 防災訓練です 1999.2.14 ボーリング大会です
1998.10.9 冬服への衣替えです 1999.2.19 未明の火事です
1998.10.18 操法訓練ですが 1999.3.3 春の火災予防
1998.11.8 毎戸査察 1999.3.14 車両火災発生
1998.11.10 野火火災! 1999.3.28 箕郷梅マラソン大会
1998.12.10 冬支度です



1998.4.10(金)  新年度スタートです 1998.4.19(日)-20(月)   研修旅行です
   1998.4.26(日) タイヤ交換と水だし訓練、そして送別会
  1998.6.10(水)  特別火防、町内巡視 1998.6.20(土)  夏服に衣替えです 1998.7.26(日)  夏祭りです
今年もやってきた「箕郷夏祭り」です。
現在の町長になってから、毎年開催と成った夏祭りが今年も盛大に行われました。
朝9時に、詰め所に集合し、子供御輿などと一緒に、消防団が御輿を担ぐのです。
昨日の天気予報では、曇りだったのですが、土砂降りです。
多分、中止になるのかと思いましたが、詰め所に行ってみると、殆ど全員が
集まっていました。
夏祭りの実行委員から、待機するようにと言う連絡です。
その間にも、雨は止む気配もなく降り続いておりました。

伝令が入り、30分遅れで御輿の開始とのこと。
今年は、御輿の練り歩く距離が大分縮小されて、精々200m程度です。
これは楽だ、と思っていると、会場に入ってから相当練り歩くとのことです。
雨は止みそうに有りませんが、覚悟を決めて全員で出発です。
右肩にタオルを2枚折り畳み、そっと入れます。
御輿の上には、恒例の高崎信用金庫箕郷町支店の美女が二人、
はっぴを着込み、威勢をつけます。

子供御輿、群馬銀行御輿かつぎ部御輿、そして我々消防団の御輿が連なり
繰り出しました。会場までは、それ程騒ぐこともなく元気に入場です。
入り口で、一旦休憩し、女性を2名追加して乗せます。
(合計4名=200Kg以上)外人です。
箕郷町と姉妹都市と成っているドイツから、10名の可愛い女性使節が来ています。
その中から、2名を御輿に乗せ、会場で練り歩いたのです。
いや、重いこと、重いこと!

一旦、終わると次は、別のドイツ人が二人ずつ入れ替わり立ち替わり
乗ります。乗る人は、はるばるドイツから来てくれたのだから、記念になる
でしょうが、担ぐ我々はへとへと!
でも、まあ、親善に役立つなら良しとしますか!?
10人は、14才〜16才で一週間程度、ホームステイをするそうです。
一巡して、記念の御輿担ぎは終わりましたが、雨中の御輿担ぎは
疲れました。午前中で、我々の役割も終わりです。

御輿を片づけた後、恒例のバーベキューパーティです。
雨は相変わらず降り続いていましたので、橋の下で雨を避けながら
魚介類、肉類をたらふく食べ、ビール、焼酎を飲みました。
昼間の酒は、頭が痛くなります。その日は一日中、頭が痛かった。

夕方、箕輪城幻想と銘打った芝居が行われ、その後花火が打ち上げられて
箕郷夏祭りもお仕舞いです。
本当は、花火の打ち上げに警備として出るのですが、今年は役員のみで
行うらしく、我々は自宅でのんびりと出来ました。

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1998.8.28(金)  台風です
今年は異常気象と言うことで、今頃台風4号です。
東日本、南関東、特に栃木県、福島県が相当酷い被害を受けています。
台風の影響なのか、前線の雨雲のせいなのか判りませんが、大雨の
被害を与えています。群馬県も、大雨警報が発令されています。

幸いなことに、ここ数ヶ月我々消防団の出動命令は出ていません。
火災も災害も有りませんが、テレビのニュースで各地の消防団が
活躍しているのを見ると、「地元は大丈夫かな?」と気になります。

10月に開催される「操法訓練」の日程が決まり、各消防団も
その日に向けて、選手を選抜し10月の初めから訓練に入ります。
今年も、第一分団は、新人を中心に選抜しました。
指揮者は、新しく班長に成ったひとが担当します。
概ね、7日間くらいの訓練日を設定し、2時間程度の訓練を行います。
昼間は会社勤務が有るので、夜8時から10時くらいまで行います。
選手以外の団員も、訓練に立ち会い、彼らの応援をします。

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1998.9.6(日)  防災訓練です
毎年、9月1日は防災訓練の火です。
大正12年のこの日に、関東大震災が発生し、大勢の犠牲者がでました。
これを記念して、防災をキチンとやろうと言うことで、設定されました。
各地で防災訓練が行われていますが、我が箕郷町でも小さいながら
今日9月6日に防災訓練を行いました。
今年は、山林火災を想定しての訓練でした。
朝、5時15分、箕郷町のサイレンが鳴り響き、消防無線で、山林火災の
発生した現場を知らせます。
我々は、5時少し前に詰め所に集合し、サイレンの鳴る時を今や遅しと
待ちかまえていました。

鳴りました! サイレンの音と同時に、無線で「山林火災発生!現場は
城山、各消防団は現場に急行せよ!」との内容です。
直ちに、全員が2台の消防車に分乗し、城山(昔の箕輪城跡)へと
向かいました。 現場に到着すると、側を流れている小川をせき止め
吸管を中に差し込み、水を吸い上げます。同時に放水用のホースを
3本ほど連結し、火災現場へ放水します。
山林火災を想定しているので、数名が背中に大きな水筒(ビニール製、
20リッターくらいの水が入る)を背負い、現場で水鉄砲の親分みたいなもので
放水します。

開始から15〜20分ほどで、鎮火。使用済みの器具を片づけ、一旦
箕郷町役場へ集結します。 全員が揃うと、型どおりの「人員機材異常なし」
と言う報告を行い、その後町長、議会議長、消防団長等々が挨拶を
行った後、箕郷町から、災害時に食べられる保存食が配布され、それを
食べた後、解散です。

詰め所に戻ってから、使用したホースを水洗いし、物干しにぶら下げます。
乾いたら、直ぐ使えるように巻き取っておきます。
火災の現場に行くと判りますが、興奮していると器具の使い方や、操作の
仕方はなかなかスムースには出来ません。ましてや、火災などは夜間が
多いのです。やはり、訓練は必要だと感じます。

その後、一旦家に戻った後、再度集合し、消防隊同士の懇親を深める
意味で、親善ソフトボール大会が開催されました。
我が第一分団は、A、B二班が出場しましたが、今年はどちらも優賞には
手が届かず、参加賞で終わりました。
商品を貰った後、今度は第一分団内の懇親会という事で、河原での
バーベキュー大会です。これでもか、と言うくらい「肉」と「酒」を用意し、
分団所有のバーベキューセットで懇親会の始まりです。
気が付いてみると、夕方4時です。
長ーーーーい、一日が終わりました。

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1998.10.8(木)  冬服への衣替えです
例年、9月21日からネズミ色の制服から紺色の制服へ衣替えをします。
丁度、その頃に10月の中旬から下旬に行われる「操法訓練」が予定
されます。
今年の訓練は、10月18日(日)に決まりました。各分団から、5名の
選手が選抜され、その日のために訓練に励みます。
勿論、他の団員も部隊訓練と称して、分団毎に隊列行進の訓練を
行います。
今年は、10月1日から、10日間の夜間訓練が予定されています。
夜8時から10時過ぎまで、箕郷分署の人達が手取り足取りして、
各員の作業を教えてくれます。
5名は、それぞれ「指揮者」「一番員」「二番員」「三番員」四番員」と
役割分担がされ、全員が連携して消火活動の手順を手際よく行います。

一日目、二日目と進むに従って、上手くなってきますが最初は何を
どうすれば良いか皆目見当もつかないと思います。
彼らが訓練を重ねているときに、別の団員も部隊訓練を行います。
只単に隊列を組んで歩くだけでなく、四列縦隊から二列横隊に
成ったり、進行方向を180度変えたり、直角に曲がったりと結構
揃いません。
早く慣れて上手くやりたいものです。

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1998.10.18(日)  操法訓練ですが
いよいよ10日間の訓練の成果を見て貰う日がやってきました。
この日のために、選抜メンバーは連日特訓を受けて頑張ってきました。
私も、昨年と同様に晴のお披露目に参画する予定だったのですが、
生憎と「情報処理試験」と重なってしまい、今年は残念ながら欠席と
言うことになりました。

今年は、雨が多く訓練も延期続きと成りましたが、何とか上手く出来るよう
祈っています。その後の、慰労会は伊香保温泉一泊で行われました。
こちらにも参加できず、残念でしたが、来年は是非参加したいと
思っております。
1998.12.25 お陰様で合格の通知が来ました。
「初級アドミニストレイター」です。

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1998.11.8(日)  毎戸査察
秋の全国火災予防運動が、11月9日から15日迄行われます。
今年の標語は「気を付けて、はじめはすべて小さな火」です。
開始の日、朝7時と終了の日、夕方7時にサイレンを鳴らします。
我々消防団は、火の用心のステッカーと消防団からのお知らせ文を
持って、受け持ち地区の各家庭を巡回し、火の用心を伝えます。

私も、約100戸を分担し、朝9時半から巡回を始め、約1時間半で
受け持ちの家を巡回しました。
日曜日という事で留守の家も何軒かありましたが、概ね在宅して
ビラとステッカーを受け取ってくれました。
時には、家庭内の消火器の点検も行いますが、今年は一軒も
申し入れがありませんでした。
今年の標語「気を付けて、最初はみんな小さな火」を
かみしめて火災シーズンを乗り切りましょう。

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1998.11.10(火)  野火火災!
全国火災予防運動が始まると、何回かに分けて町内に広報を
して火災予防を訴えるために、消防車で巡回します。
今年は3班に分かれて、3回行います。
私の当番は、14日だったのですが、間違って今日10日に
詰め所に行きました。

夜9時に、広報のために2台の消防車に分乗し、上方と下方に
分けて巡回しました。
「こちらは、箕郷町消防団第一分団です。只今、秋の火災予防
運動を実施しております。どちら様も火の元には充分ご注意
下さい」という趣旨の内容で、広報をしながら巡回しました。
約30分程度で巡回を終わり、分団長からいくつかの連絡を
聞き終わった時、サイレンが聞こえました。
早速、無線のスイッチを入れると「箕郷町で野火火災発生!」
と、言ってます。
早速出動です。但し、足元は長靴ではなく運動靴(スニーカー)です。

サイレンを鳴らし、現場まで急行すると、既に鎮火していて
ホースを出すこともありませんでした。
道沿いの枯れ草が少し燃えた程度でした。
長居もせずに詰め所にとって返し、そのまま解散しました。
人騒がせな通報だったようです。
いずれにしても、大したことも無くホッとしました。

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1998.12.10(木)  冬支度です
早くも師走です。
毎年、今頃になると消防車のタイヤを冬用に入れ替えます。
一般では許可されない「スパイクタイヤ」に履き替えるのです。
箕郷町は、榛名山を後ろに控え山道を出動するケースも有りますし、
夜間の火災は、道路の凍結などにより大変危険です。
その為に、緊急車両のみ許可されているようです。

消防車は、前輪(2本)、後輪(4本)の合計6本有ります。
タイヤ交換は、元分団長が経営するガソリンスタンドの工具を好意で
拝借し行いました。
夜8時から開始したタイヤ交換作業は、団員の中の慣れたメンバーが
ごつい工具でさっさっとやりました、それでも何やかやと約1時間くらい
掛けて2台の全タイヤを交換しました。
私などは、側で見ているだけでちょっとした工具の運搬や、取り外した
タイヤの移動程度をお手伝いしただけでした。

タイヤ交換が終わった後、丁度9時頃になりましたので、町内巡視に
出掛けました。交換したタイヤがキチンとセットされて居るかの試しでも
あります。
巡視後、年末の宿直などについての注意があり解散しました。
いずれにしても、一年は早いものです。

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1998.12.13(日)  建物火災です
日曜日、夕方4時頃、庭木の手入れを終わり部屋に入ると
スイッチを入れ放して有った「消防無線」から、「こちら消防高崎、只今
火災通信開局中、現場箕郷町西明屋せんだん幼稚園北側」と聞こえます。
すわっ、出動。
直ぐに着替えて、車で道路に出ると、見えました黒煙が。
片側2車線の道路ですが、混んでいます。でも、違反は出来ません。
進むに任せて、手前の交差点に差し掛かると、進行中の車両は全て
左右に迂回させられています。
「消防団です」と言い、直進し手前のスーパーの駐車場に車を止め、
そこからは駆け足で現場に向かいました。

燃えてます。
平屋ですが、窓から火炎が吹きだし、内部はほぼ燃え尽きている様子。
高崎消防署のポンプ車から中継ホースを受け取り、第一分団の消防車に
中継し放水をしました。
放水口へ行くと、元消防団員(近くに住んでいる)が筒先を持っていたので
交代し筒先を持って放水をしました。
水の勢いは強く、1人だと後ろへ飛ばされてしまいます。そこで、2人で
筒先を持ち、火の付いている部分に放水します。
徐々に火勢も衰え、1時間位でほぼ鎮火しました。

消防車は、7台くらい集合したのでしょうか、警察も交通整理を行い、
何とか消し止めた頃は、もう真っ暗でした。
鎮火したとは言っても、我々第一分団の受け持ち区域なので、最後の
最後まで完全に鎮火するまで残っていなければ成りません。
これを残火処理と言います。

6時頃、完全鎮火を確認し、近くの広場へ全員集合です。
参加した消防団員が整列し、人員器材の状況報告を団長に行い、
その後、町会議長、区長の順で慰労の言葉を掛けてくれます。
(でも、寒い中でびしょぬれに成っている我々は言葉よりも、早く
引き上げて、着替えたいのですが手順は手順です)
解散した後、詰め所に戻り、今回の火災で使用したホース(今回は
12〜13本有りました)を、水で洗い干しておきます。
当然、消防車に乾いているホースを積み込み、次の火災に備えます。

幸いなことに、死傷者は出なかった様ですが、年末になっての火災は
他人事では有りません。
6時半頃、分団長からの「ご苦労さん、帰って温かい風呂でも入って下さい」
との言葉で、本当の解散です。
帰りに現場近くを通ると、警察と消防署が火災の原因調査や後処理を
行っていました。本当にご苦労様です。

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1998.12.20(日)  後片付けです
先日(12月13日)発生した火災消火のために使用したホースが
洗って干して有りました。
当然、次に使うために二重巻きにして保管しなければ成りません。
分団員の中でも、とても熱心な人が居て、いつもの集合時刻より
一時間も早く、詰め所に来て干して有るホースを取り込んでくれたようです。

高いところに干して有るので、先ずは下に下ろし、次に一本一本、二重巻きに
しなければ成りません。
これが結構大変なんです。我々が入団したてのころは、全て手で巻いて
居ましたが、今はかなり簡単に巻き取れる道具があります。
しかし、これを使っても、約12〜13本あるホースを巻き取って、所定の位置に
片づけるのは時間が掛かります。
私が詰め所に行ったときは、既に殆どが巻き取られ、あと数本を残すだけと
成っていました。ご苦労様です。

注)二重巻きというのは、火災現場でホースを広げるときに、さっと伸びるように
  巻き取る方法です。丁度ホースの真ん中辺りから二重に巻き取ってゆく
  為に、この名前が付いています。
  慣れないと、最後の部分が上手く揃いません。

これで、今年の出番が無いことを祈ります。
例によって、9時頃から町内の巡視に出掛け、30分程で戻ると、早めの
解散となりました。
後は、25日から大晦日までの宿直を残すのみとなりました。

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1998.12.27(日)  歳末夜警です
今年も、アッという間に大晦日がやってきます。
例年通り、25日から31日迄、全員が交代で宿直をします。
今年は、私の勤務の都合で、26日と27日の二回を当番に割り振って貰いました。
26日、8時頃に詰め所に行くと、既に全員が詰め所の前に集合していました。
今日は、議会議長さんが慰問に来る日なのです。例年ですと、9時頃に来る
予定なのですが、何でも今年は8時頃に来るとのことです。
あわてて、列に加わり到着を待ちます。

8時15分頃、来ました3台の車に分乗し、総勢12〜13人が議長、議員、分団長、
等と降り立ちました。
我々は、整列、気を付けの姿勢の儘出迎え、休めの姿勢で約5分程の議長からの
メッセージを受け取り、同時に慰問の品々を戴きました。
その後、慰問団は車に分乗し、次の慰問場所(第三、第二、ラッパ)へ向かいました。

今度は、我々の作業です。二台の消防車に乗り込み、歳末夜警の為に町内巡視に
出掛けました。昨日と今日は、9時と11時の二回巡視を行いました。
巡視が終わると、後は詰め所内で軽い飲酒と食事を行い、夜中の2次頃まで
話をしています。

所が、今年は違いました。 無線に「箕郷町生原で火災の通報有り」と入ったのです。
高崎市か箕郷町のサイレンが鳴る前は、緊急出動が出来ませんので、取りあえず
サイレンを鳴らさずに、二台で現場に急行しました。と言っても、詰め所から
ほんの2〜3分の場所です。到着すると、既に火は無く、「鎮火の報告有り」と
無線で連絡していました。結局、火災扱いには成らなかったので、そのまま
詰め所に戻りました。

27日、今日は特別に何もなく、巡視も一回で終了でした。
夜食に、班長お手製の「煮込みうどん」がでましたが、量が多くとても食べ切れません
ごちそうさまでした。深夜も、12時頃には、先に休ませて戴き、朝6時半には
失礼をさせて貰いました。
これで、今年の当番は終わりです。 分団長及び役員は、大晦日に全員が
泊まり込みです。大変ご苦労様です。
火災もなく、無事に新しい年を迎えられますよう。

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1999.1.10(日)  出初め式です
いよいよ、新しい一年のスタートです。
恒例により、各地で出初め式典が行われています。
箕郷町も小規模ながら出初め式を行いました。

式典は、朝9時から開式ですが、我々分団員は朝8時半に詰め所に集合し、
消防車に分乗して会場に向かいました。
風はそれほどでも無かったのですが、毎年の事ながら寒さは相変わらずです。
式次第は、全員でのラジオ体操、自警団と婦人消防隊による模範演技(操法訓練)、
隊列観閲式、町長挨拶、来賓祝辞、最後に団長挨拶で締めくくります。

我々分団員の役割は、模範演技の拍手と町長、来賓の方々の挨拶を受けることです。
只、寒いところにジャンパーを脱いで、長時間整列させられ寒さに耐えなければ
成らないことは、ちょっと辛いところです。
模範演技では、実際に放水して標的に当てます。地元の5名の方による放水
操作は、見事に行われ来賓の方々もホッとしたことでしょう。
その後、150名全員による部隊行進を行い、来賓席に居られる皆さんに対して
敬意を払う動作とともに行進して、所定の位置に着きます。
第一分団は、先頭に位置していますが、行進しているとウグイス嬢が我々分団を
来賓者に紹介してくれます。
第二分団、第三分団、箕郷町分署、ラッパ隊、自警団、婦人消防隊と次々に進み
「全体止まれ」「左向け、左」の合図で、正面に向かって整列します。

そこから、国旗掲揚、開式宣言と進み、町長挨拶、来賓祝辞(群馬県知事、箕郷出身
県会議員、高崎警察署長、箕郷町議会議長)、団長挨拶、国旗降納、閉式宣言と
約1時間以上に渡って、式典が行われました。
正直言って、足の感覚は麻痺して、しびれたままです。
終わった後は、詰め所に戻り解散です。今年も、一年何事もなく良いとしに成りますよう。

夕方、恒例の第一分団新年会が催されました。高崎市にある「サンピア」まで
バスが送迎してくれますので、ゆっくりと風呂に入った後、飲み放題食べ放題の
楽しい宴会をやらせて貰いました。

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1999.1.15(金)  どんど焼きです
毎年恒例の「どんど焼き」が今年も開催されました。昨年は、大雪の中で燃したので
なかなか火が付かなかったり、寒かったりしましたが、今年は風もなく絶好の天候です。
朝、6時ころ現地に行くと誰もいません。はてなと思い、暫く待つと2〜3人が荷物を
運んでいます。
「何時からですか?」と聞くと「7時に火を付けます」とのこと。
ありゃりゃ、早く来すぎた。 でも、遠方を見ると暗い中で、あちこちの空が赤く染まり
既に火を付けている所も有る様子です。

7時に出直してくると、もう20人以上の人が高く立てた竹竿と廻りに積んである門松の
廻りに集まっていました。 区長さんから、「そろそろ火を付けます」との合図で
着火です。乾燥しているせいで、アッという間に燃え上がり側にいると顔が火照って
熱くなってきます。
10メーター以上の高さに立てて有る太い竹も、アッという間に燃え始め支えて有る
綱も持ちません。どどっと倒れると、廻りに居た人達もそれぞれが持ち寄った「まゆだま」を
枝に刺し、火の側にあぶります。
子供も含め、約100人以上の人がスルメ、まゆだまなどをあぶって食べていました。
これで、今年一年健康で過ごせるとの迷信ですが、とても良い事だと感じました。

7時半頃、第一分団の消防車が廻ってきましたが、最後の火を消すために、8時半頃
再度来てくれるよう依頼しました。
8時を過ぎると、流石に火勢も衰えましたが、まだまだ残り火が沢山残っています。
8時半、約束通り「ポンプ車」がやってきました。 未だ燃えていないものが沢山あるのですが
全部燃え切るには、午後まで掛かってしまいそうです。
区長さんの判断で、ポンプ車から放水して完全に消火しました。
これで、我々の役割も終わりです。でも、どんど焼きの役員の方たちは最後まで残り
火の始末と灰の始末を行ってから解散だそうです。ご苦労様です。

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1999.1.17(日)  昼火事です
日曜日の午前中、のんびりと新聞を読んでいたら、無線から「箕郷町柏沢にて火災通報」と
流れ、あわてて着替え出動しました。
車に乗り、先ずは詰め所へ向かいます。詰め所に着くと、既にポンプ車が出動済みです。
タンク車は有りましたが、誰も居ません。そこで、自分の車で現地へ行きます。
途中で、「鎮火」の無線が入りましたが、一応現場へ向かいます。
現場に着くと、既に高崎消防署の消防車が一台で消し止めた様子でした。
第一分団のポンプ車も、ホースを全く使っていません。

何でも、ゲートボール場の廻りの枯れ草を燃やしていたら、小さな物置に燃え移り
全焼してしまったようです。 人身にも影響無く無事鎮火しました。
例によって、出動した人員・器材の報告を行い、それぞれ散会しました。
他に燃え移ることもなく、物置だけで済んだのは、不幸中の幸いでした。
まだまだ、乾燥期間は続きます。
火災には、気を付けましょう。

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1999.2.10(水)  グラフ群馬に掲載
昨年末に地域の新聞社「上毛新聞社」から突然、自宅に電話が掛かってきて
「1999年1月号に消防団の特集をするのですが、おおのさんのホームページを
一部掲載してもよろしいですか?」との問い合わせでした。
一瞬、迷いましたが、了解をしました。その時に、「何故消防団員に成ったのか?」
とか「消防団員の感想は?」等と、幾つかのやり取りがありました。
消防団の訓練風景の写真が入手したいとの事だったので、箕郷町役場の方に
お願いして、私の写真と訓練風景の写真を送りました。

そのご、年が明けて1月の中旬頃、上毛新聞社から大きな封筒が送付されてきました。
忘れていた頃に、「グラフ群馬・新年号」が送付されてきたのでした。
表紙は、昨年平幕で2度目の優勝をした「琴錦」です。彼も、箕郷町出身なので
私にとっても記念になります。中を見ると、13〜14頁に消防特集が掲載されています。
私の写真、訓練の写真、そしてホームページに掲載して有る「箕郷町消防団の
一年間の予定表」が掲載されていました。
記事も、電話でのやり取りが上手く纏めて有りました。
→ グラフ群馬の記事はここをクリック

今日、詰め所に行くと、分団長から他の団員に紹介があり、何だか気恥ずかしい感じでした。
でも、この様な活動が一般の方に知って貰えるのは、悪いことではないと思います。

仲間が、自宅にインターネットを接続してメール交換やネットサーフィンを始めたそうです。
様々な人達と交流のチャンスが生まれ、新しい出会いが有るのは、とても素晴らしいと
思います。是非、一緒に続けましょう。

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1999.2.14(日)  ボーリング大会です
毎年恒例の「ボーリング大会」が今年も開催されました。
この行事は、3年ほど前から開催されるように、行事役員が計画してくれました。
参加人数も多く、結構楽しませて貰っています。
今年は、7組28名が参加して、華々しく開催されました。
個人戦で、順位を争うのですが、賞品は各自が持ち寄ったものを分配します。
今年は、偶然にも懇親会を開催する焼き肉屋(什々:じゅうじゅう)さんから
1万円相当の食事券が寄付されました。

その他にも、各自が持ちきれないほどの賞品が分配されます、順位が上だから
良い賞品とは言えない場合も有りますので、最後まで楽しみです。
今年は、N自動車に勤めている「石川さん」が優勝でした。
わたし? 私は、ビリから数えて3番目という情けない成績でした。
でも、競技も、その後の懇親会も楽しく和気藹々と過ごさせて貰い、とても楽しい
一日でした。
来年こそは、もう少し上位に顔を出せるよう足腰を鍛えます。

↑ 日記インデックスヘ   

1999.2.19(金)  未明の火事です
朝、何となく目が覚めて時計をみると、5時ちょっと前です。
もう少し、寝られるかなと、うとうとしていたら突然サイレンが鳴り目が覚めました。
慌てて、飛び起き無線のスイッチを入れると「こちら消防高崎、只今火災通信開局中、
現場箕郷町中善地、建物火災」と言うではありませんか。

制服に着替え、ゴム長靴を履いて詰め所に駆けつけると、既に消防車のエンジンが
掛かっており、サイレンを鳴らして出動状態です。
早速、タンク車に飛び乗り現場へ向かいました。中善地は山の上です。
未だ真っ暗ですが、火の手は見えません。でも、地理に明るい人が居たので、何とか
現場へ到着しました。

既に数台の消防車が放水をしており、ほとんど鎮火状態でした。
但し、山の上で水利が悪く、我々のタンク車の水を中継して使い果たし、一旦途中まで
戻り、再度タンク車を満水にして現場へUターンです。
現場は、鶏糞を処理する建物で、送風機の過熱で屋根に火が移り、屋根だけが
燃えたとのことでした。

丁度、第一分団の管轄区域だったので、我々が最後まで残り残火処理を担当
せねばならなかったのですが、途中で箕郷分署の方が対応してくれるとのことで
詰め所に戻り、ホースを洗ったり使った水を補充したりして、帰宅したのは7時でした。
死傷者はでず、何よりでしたが、乾燥している時期の火災は怖いものです。

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1999.3.3(水)  春の火災予防
いよいよ3月、春です。1日〜7日まで「春の火災予防」の為に、夜間広報を行います。
各分団が、日にちを分けて町内の巡視と広報を行います。
第一分団も、全体を3班に分けて、1日、3日、5日に行います。
私は、3日担当です。いつものように詰め所に行くと、誰もいません。
あれ、日にちを間違えたかなと思いながらも、ガレージのシャッターを開け、詰め所の
ストーブに火をつけ、テーブルの上を拭いていると、やっと団員が来ました。

いつも集まる日は1日なので、3班に分けては見たものの、大勢の人が1日に
来てしまったので、今日は人数が少なかった様です。
それでも8人集まり、9時少し前に「タンク車」と「ポンプ者」に分乗し町内の巡視と
広報に出かけました。留守番も必要なので、それぞれ3人ずつ乗り、運転者と
ウグイス嬢(?)が前の座席に乗り、「春の火災予防運動」をスピーカーで
流しながら回ってきました。
久しぶりにマイクを握り、火災予防を呼びかけました。ちょっと緊張しました。
その後、所定通り10時まで詰め所で雑談をしながら過ごし、10時に解散しました。
箕郷町では火災も少なく我々の活動も啓蒙が主体です。

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1999.3.14(日)  車両火災発生
日曜日の夕方、のんびりとしていたら、電源を入れておいた消防無線から
「車両火災発生、現状箕郷町富岡、第一出場」と流れてきました。
おっ、火災だ! 出動しなきゃ。
急いで着替えて、車に飛び乗り詰め所方面へ向かいました。
しかし、富岡と言えば直接向かった方が近い、そこで現地へ向かいました。

途中で、「高崎北署と分団で対処可能、現場に向かっている車両は反転帰署せよ」
との連絡です。 あまり大きな火災には成らなかった様子です。
しかし、途中まで来たからには何とか現場へ駆けつけなければと思い
そのまま向かいました。
現場へ到着したときには、既に鎮火しており煙も何も有りません。
ボンネットが少し焼けこげたM社の乗用車が道の脇に寄せられ、検分を受けて
居りました。
現場に集まった消防団の面々も特にすることもなく、流れ解散です。

辺りを見回すと、梅の花が満開です。
思わぬ花見が出来ました。

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1999.3.28(日)  箕郷梅マラソン大会
数年前から、箕郷町の名産として「梅」が注目を集めています。
現在の町長になってから、次々とイベントが開催されるようになりました。
これも、その一つですが箕郷梅林祭りの一環として、「第一回箕郷梅マラソン」が
開催されました。 消防団員も全員出動して、マラソンコースの走路の節々にたって
警備を担当しました。
走ってくるランナーが経路を間違わないように誘導したり、事故などが起こらないように
見張っていたり、選手の応援をしたりと言った事を行います。

朝8時半前に詰め所に集合し、担当する場所毎に団員を一人一人消防車で
回ります。私は、辻々に立つのではなく、消防車で担当者を降ろした後、選手全員が
通り過ぎるのを待って、逆回りで団員を拾って行く役割です。
配置に付いたのは、9時ちょっと過ぎでしたが、マラソンのスタートは丁度10時です。
我々の受け持ち区域を通過したのは、15〜30分の間でした。
やはり、かなりの差が付いています。登り道の連続ですから選手にとっては
辛い道のりでしょう。
それでも、全員が額に汗をかきながら元気よく通過して行きました。

最後の選手、後尾車、救護車が通過した後、それぞれの持ち場に立っている団員を
消防車に乗せ、詰め所に戻りました。
本来なら4月に行う「タイヤの履き替え」を行いました。
冬用のスパイクタイヤから普通タイヤへの履き替えです。
作業も、丁度正午には完了し、用事のある何人かの人を除き、いつもの場所で
バーベキュー大会を行いました。
沢山食べ、沢山飲みました。昼間の酒は効きます。
桜の蕾も大きくなり、とても清々しい一日を過ごしました。

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