消防団日記(1999年度) 

 
 
これは、私が地元のボランティアとして従事している「消防団」に入団してからの日記です。 
意外と知られていない消防の内容を知ることが出来ます。 
一年を通じて、イベント、行事、火災出動等々、奮戦記を楽しんで下さい。 

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1999.4.1  平成11年度スタートです  1999.9.27 秋期点検の訓練開始
1999.4.19 研修旅行に行きました 1999.10.17 秋期点検
1999.4.24 歓送迎会です  1999.11.12 秋の火災予防運動
1999.5.23 水出し訓練です 1999.11.13 毎戸査察です
1999.6.10 特別(養蚕)火防です 1999.12.1 冬用タイヤ交換
1999.6.18 お葬式参列 1999.12.4 忘年会です
1999.6.20 無線のテスト 1999.12.11 小火でした
1999.7.17 暑気払いin伊香保 1999.12.29 歳末夜警です
1999.7.25 箕郷祭りです、でも・・・ 2000.1.9 出初め式です
1999.8.10 消火栓の場所 2000.1.16 どんど焼き警備
1999.9.1 防災の日です 2000.2.13 ボーリング大会
1999.9.10 消火栓確認巡回 2000.2.27 野火火災です
1999.9.22 秋の特別火防です 2000.3.26 慌ただしい日曜日



1999.4.1(木)  平成11年度スタートです 1999.4.18(日)〜19(月)  研修旅行に行きました
朝6時に、箕郷町役場に集合です。
小さな荷物を持って、集合場所に行くと既に大勢の分団員が集まっています。
箕郷町所有の大型バスを使い、総勢22名+2名(添乗員と運転手さん)で
研修旅行のスタートです。
本部の役員の方もお見送りに来ていただき、差し入れまで戴きました。
ありがたいことですが、本部の役員も大変な役割ですね。

定刻から少し遅れて出発しました。行く先は「佐渡」です。
上信越高速道路を利用し、直江津からフェリーで小木港に渡り、島内を見学して
相川で一泊、翌日は両津から新潟に渡り、関越高速道で前橋まで戻ってきます。
バスが出発すると、形通りの挨拶があり、ビール、焼酎などが配られ早速酒盛り開始です。
毎年恒例ですが、バスの中の過ごし方も「割り箸競馬」という第一分団で
編み出したのか、全員参加のゲームを延々と行います。
最初は、各自の持ち点として、20点が配布されました。

一回で1点ずつを掛けます。運転手さんを除く23名が強制的に参加させられます。
ゲームは、24本の割り箸に、1〜24番の番号が書いてあります。
一人一点ずつを出し、割り箸を一本ずつ引いて行きます。
最後に残った割り箸に書いてある番号の次の番号が、一等賞です。
一等賞には、5点が配当され、次の番号毎に4,3,2,1点と配当されます。
それを繰り返します。単純なゲームですが、単純だけに面白いのです。
フェリーに乗っている間だけは、皆さん眠っていましたが、バスで移動している間は
ずぅっーーーーーと、やりっぱなしです。
ついている人は、勝ちますが付きがない人は、あっという間に20点を使い果たして
しまいます。

初日は、小木港でたらい船に乗り、次に真野町にある「佐渡歴史伝説館」で
巧妙なロボットによる説明を受け、満開の桜を見物し、造り酒屋で試飲をし
「ホテル大佐渡」で一泊です。
朝からずっと飲み続けていながら、温泉に入った後、宴会では更に飲みかつ食べました。
一次会がお開きになった後は、それぞれ各部屋に分かれ、麻雀をする人、
部屋で飲み直す人、直ぐ寝てしまう人と色々でした。

明けて19日は、8時出発で金山の見学、妙宣寺五重塔見物、両津での昼食、
フェリーで新潟へ、新潟ではお土産を購入し、関越自動車道で帰還しました。
箕郷に着いたのは、6時半頃でしたが夕食を食べて解散と言うことで、
近くの焼き肉屋にて更に飲み、食べた。少々食傷気味である。
いずれにしても、8時頃には出発地である箕郷町役場前に戻り、解散となった。
運転手さん、幹事さん、お世話を戴いた大勢のみなさま大変お疲れさまでした。

帰宅したら、お土産を渡しそのまま深い眠りにつきました。

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1999.4.24(土) 歓送迎会です
年度の切り替わりで毎年数名の方が交代します。
今年は、3名の方が退団され、3名の方が入団されました。
特に昨年度分団長だった「石川さん」が退団されるのは、非常に残念です。
今までの第一分団の良い纏め役として活躍していただいたのは感謝しています。
会社の転勤のためやむなく退団する方もおり、2年間の約束期限で退団される方と
それぞれですが、何となく寂しいものを感じます。

夕方6時半に、我が家の近場の寿司屋に集合し、入退団される方たちの挨拶が済み
乾杯の音頭と共に、宴会の始まりです。
新人の方たちも、是非早く雰囲気になれて一緒に活動できることを期待します。
「山口さん」「荒川さん」「鈴木さん」の三名は、年齢もそれぞれ違いますが、
活躍してくれそうです。

2時間ほどの宴の後、恒例により中締めを行い散会しました。
そのあと、我々数人はタクシーを呼んで町に繰り出し、二次会を楽しみました。
帰宅は深夜、明日が日曜日だから良しとしましょう。火災が発生しないことを
祈りながら、深い眠りにつきました。

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1999.5.23(日) 水出し訓練です
例年新人が入ると、所作の訓練と消防機器の取り扱い訓練が行われます。
所作の訓練は、新人のみが参加し、5月19日と20日の2日間、夜8時から
2時間ずつ行われました。第一分団は、3名が参加し訓練を行いました。

機器の取り扱い訓練は、私も何回か教えて貰うのですが、実際に操作する
機会がないため、何回聞いても忘れてしまいます。
今年も、参加して覚えようとしたのですが、残念ながら22日〜23日に掛けて
友人が群馬県を訪問してくれる予定があり、欠席となりました。

道具の扱い、機器の操作など本当は実践で扱えれば、覚えるのも早いのですが
火災がないことの方がもっと大切なことです。

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1999.6.10(木)  特別(養蚕)火防です
昨日のお昼頃、太田市方面で養蚕の為に使用していた炭火から火災になり
一軒が全焼したとのニュースが出ていました。
我が箕郷町でも、以前は盛んに養蚕を行っておりました。
その時には、部屋の中の温度を一定に保つために炭火で部屋の暖房を
行っていました。一晩中、火を起こしておりちょっとした不注意で火災になる
事もあったそうです。

その当時の火災予防を「養蚕火防」と称して、各家庭に呼びかけていましたが
現在では、養蚕農家も殆ど無くなり、名称がそぐわなくなったため「特別火防」と
名前を改め実施しています。

夜、9時少し前に2台の消防車に分乗し、町内巡視を行いながら、スピーカーで
「箕郷町消防団第一分団、特別火防の実施中、各家庭で火の元に注意」という
アナウンスをします。
特別変わったこともなく、約30分程度で詰め所に戻り、巡回日誌を書いて終了です。
今年入団した新人は、とまどいながらも一緒に回りました。
次回は、新人たちがウグイス嬢になりアナウンスして欲しいものです。
2班に分かれて、行うので今日出席できなかった人たちは、明後日(6/12)に
同じようにして巡回します。

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1999.6.18(金) お葬式参列
昨日、消防団の連絡網を使って「分団員の小沢さんのお父さんが亡くなったので、
参加できる人は告別式に参加して下さい」との連絡が入った。
小沢さんは、私にとっては、入団したときに色々と声を掛けてくれたり、真面目に分団の活動に
取り組んでおり最初に名前を覚えた人であった。
そんなこともあり、午後1時からの告別式には、勤務を抜け出して参列させて貰いました。

当然、黒服に黒ネクタイという出で立ちで参列したのですが、分団長以下数名の分団員は
消防の夏服で参列していました。普段出動時に着ている制服は、正装になる様です。
残念ながら、そのことについて知らなかったため、黒服で参列と言うことになりましたが
仲間内の葬儀に、消防団員として出席させて貰う場合、消防団員の制服制帽で
良さそうです。私にとっては、始めての経験でした。次回からは、そのようにさせて貰います。

最近、あまり顔を見かけなかったのも、お父上が原因だったようです。
落ち着いたら、又元気に復帰して貰いたいものです。

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1999.6.20(日) 無線のテスト
休みの日には大抵「消防無線」のスイッチを一日中入れておきます。
そうすると、朝9時頃でしょうか、「消防高崎(広域消防本部)」から、無線の感度を
チェックする合図があります。
「こちら消防高崎、これより無線のテストを行います。各消防分署は応答願います」
とアナウンスし、高崎市、安中市、群馬郡群馬町、箕郷町、榛名町の各分署に
感度の程度を応答させます。

大体が、「こちら高崎北、メリット5」等のように応答します。
全部が応答を終了すると、次は各分署からのハンディ無線でしょうか、幾つかの
分署からお互いに感度の確認をしているようです。

こうして、毎日なのか毎週なのか判りませんが、道具の点検を行い、いざというときの
為に準備しているのを聞くと頭が下がります。
我々も、道具を大切にすることや日頃の訓練もやらねばと感じました。

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1999.7.17(土)〜18(日) 暑気払いin伊香保
今年もやってきました「暑気払い」が、例年はもう少し後で行うのですが、今年は
色々な行事が立て込んでいるとのことで少し早めの暑気払いです。
夕方6時に、それぞれが伊香保の「美松旅館」に集合し、会費¥5,000円を
支払って部屋で着替えます。先ずは、温泉に入り飲む準備をします。
あまりゆっくりしている暇もなく、午後6時半の宴会開始時刻になりました。

最初に分団長の挨拶、そして副分団長の乾杯の音頭、そして宴会の開始です。
料理は、かなりボリュームもあり飲み物も「ビール」「日本酒」「焼酎」と多彩です。
少し飲んでいると、恒例のギャル軍団(と言っても4名ですが)のお出ましです。
若い!!! 20歳から25歳くらいでしょうか、前橋から伊香保へ出張サービスを
するコンパニオンです。

もっとも私は、色気よりも飲み気でしたが。
約2時間、飲み、食べ、しゃべり、歌い賑やかな宴会を中締めすると、後は
それぞれのグループに分かれ夜を楽しみました。
私は、何故か麻雀グループへ。 普段殆どやっていないので、勝てる自信は
無いのですが、4人揃わないと出来ないので参加しました。
ゲームが開始されても、全然付きがありません。上がれないのです。
ところが、途中で一回だけそれも「役満(大三元)」を上がりました。
これで何とか一回目はプラスになりましたが、後はマイナスばっかり。
午前3時頃になると、少し疲れも出てきてリタイアしましたが、合計ではマイナスでした。

別なところで飲んで騒いでいた一人が麻雀をしている部屋に入り込み、でかい
いびきをかいて寝込んでしまいました。
麻雀が終わってから布団が足りません。やむなく一人が一緒に寝ました。
別のグループは、コンパニオンに延長を申し込み、部屋で一緒に飲んでいたそうです。
いずれにしても、賑やかな夜は更けて翌朝6時頃に目を覚ますまで
ぐっすりと眠りました。

朝8時から先に帰った数人を除き朝食を食べました。不思議なもので、こう言うときの
朝飯は結構食べられます。
分団員同士の懇親の意味が大きいと思うので、今度は麻雀以外で楽しみたいものである。

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1999.7.25(日) 箕郷祭りです、でも・・・
いよいよやってきました、例年開催される「箕郷ふるさと祭り」が。
毎年、消防団による御輿は祭りを盛り立てるための大切な行事です。
今年は特に、群馬テレビの撮影があったり、賑やかに行いたいとの要請があり
期待していたのですが、残念ながら「蕎麦教室」の講師を予定していたため、
欠席となってしまいました。

御輿を担ぐ他、纏を振り回したそうですが、纏そのものは大変重いので、交代で
振り上げたそうです。 各分団がそれぞれ一簣ずつ持っていますので交代要員を
出して賑やかに行ったそうです。
見たかったです。来年は、消防団員として参加できるかどうか微妙なところです。

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1999.8.10(火) 消火栓の場所
一年の内で一番予定の無いのが今月8月である。
月に三回の町内巡視以外には、特別な行事は予定されていません。
きょう10日は、久しぶりに大勢の分団員が集まり、集会場所である2階が一杯になった。
巡回の前に、分団長から新しい提案がされた。
我々消防団員は、町内の全ての消火栓・防火用水の場所を覚えて入られない。
万が一、自分の区内で火災が発生した場合は、地元の団員が駆けつけた消防車に
消火栓・防火用水の場所を案内しなければならない。
そこで、箕郷町の地図で自分の区内の消火栓・防火用水の場所を確認し、覚えておいて
ほしい。 担当分のコピーを渡す」とのことである。

これは、大変良いことだと思う。
私も、下芝内の消火栓の位置は全て覚えていない。
定期巡回の時に位置を確認することと、使えるように保全されていることをチェックする
必要があるだろう。
普段からの訓練やチェックはやっておくべきだと感ずる。

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1999.9.1(水) 防災の日です
1923(大正2)年9月1日、マグニチュード8規模の関東大震災が発生し、大勢の方たちが
亡くなった。これに因み、昭和26年に制定された。
しかし、阪神大震災では又も大きな被害を出し、教訓は生かされていなかったことになる。

早朝5時、各市町村のサイレンが一斉に鳴り響き「防災の日」をアピールした。
各地で防災訓練が執り行われるが、箕郷町は次の日曜日(9月5日)に訓練を行う。
今年は、水害が多発しているので、箕郷町でも水害を想定した訓練が行われる予定である。
恒例によって、早朝5時に町のサイレンを鳴らし、各分団員が連絡のあった場所へ
駆けつけ、対処するものである。今年は、白川の河川敷が予定されているようである。
残念ながら、私は当日会社の旅行で駆けつけられないが、皆さんには頑張っていただきたい。

前回、各地域の地図に消火栓、防火用水などの印を付けたものを配布すると
言っていたが、本日私の担当である「下芝地区の地図」を受け取った。
随分と沢山の数がある。
万が一の時、消防車が来たときに、地元の消防団員が消火栓などの案内を出来るように
しておく必要があるので、覚えなくては成らない。

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1999.9.10(金) 消火栓確認巡回
先日来全員で作成した「町内消火栓位置図」を全員に配布し、2台の消防車に分乗し、
消火栓の位置を確認するための巡回に出発した。
今回は、我々の地域(下芝、群バス団地、南平団地など)を巡回し、地図上の消火栓・
防火用水の位置と現場との突合をして廻った。

思った以上に消火栓の数もある。又、ホースや開栓棒、ノズルなどが格納してある
消化ボックスの中味も確認して廻った。中には、開栓棒の無いボックスもあったので
メモをして後ほど区長を通じて補充して置かねばならない。
普段、何となく記憶していても、いざというときに役立たねば意味がないので、しっかりと
覚えておきたい。

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1999.9.22(水) 秋の特別火防です
毎年恒例の秋の特別火防がやってきました。
今月の16日から、衣替えでも有りますが、概ね夏服のままで集まります。
流石に分団長以下役員の方たちは冬服に着替えて参集しました。
生憎、台風18号が沖縄に上陸し雨が降り止みません。
普段の町内巡視では、雨天中止となっていましたが、今回は特別火防と言うことで
予定通り二班に分かれて町内巡回に出発です。

例によって、ポンプ車、タンク車に分乗して町内を巡回しながら、マイクで
「こちらは箕郷町消防団第一分団、只今秋の特別火防実施中、火の元に注意」などを
呼びかけます。
詰め所に戻ると、分団長から今後の予定などについて連絡がありました。
毎年恒例の「操法訓練」が実施されます。出場する第一分団のメンバーも確定し
今月27日から夜間訓練に入ります。選抜された団員は、消防署員からの指導を受け
概ね10日間の訓練が行われ、10月17日(日)が晴の舞台となります。
他の団員も、部隊訓練と称して団体の訓練が行われます。

いよいよ忙しくなってきました。

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1999.9.27(月) 秋期点検の訓練開始
いよいよ今晩から「秋期点検」へ向けての操法訓練が始まりました。
指揮者と4人の選抜メンバーが、消火活動を模擬的に行い、町民を始めとした皆さんに
見学していただき、箕郷町の防災への備えをアピールするのです。
毎年のこととはいえ、訓練に参加する選抜メンバーは覚えることが沢山あって
とても大変です。
箕郷町分署の方たちが、指導をしてくれますが、最初に何がどうなっているか
何にも判らない内に一日が過ぎてしまうはずです。

式典は、10月の17日(日)に開催されますが、それまでの間に7回の夜間訓練が
行われます。 勿論、選抜メンバー以外も「部隊訓練」と称して全員での隊列を
組んで行進する訓練が行われます。
毎年の事ながら、結構難しいんです。全員がキビキビと揃って歩くのは・・・。
軍隊なら毎日訓練しているので、比較的かっこよく出来ますが、我々は
このことが仕事ではないので、なかなか思うようには行きません。
でも、何回かやっているとそれとなく格好が付いてくるから不思議です。

今日は初日と言うこともあり、教える方も熱が入ったために終了が10時半頃に
成りました。
頑張って下さい、選手の皆さん。

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1999.10.17(日) 秋期点検
9月27日から始まった秋期点検の訓練も、天候にも恵まれ7回の予定全てを
実施できた。 最初とまどっていた選手も回を追う毎にそれらしくなってきた。
訓練の最後の方では、それ以外の出し物のメンバーも確定してきた。
私も突然総合操法のメンバーに指名された。 一番員である。
以前、操法の一番員をやった経験があるので、特別に難しいことはないが
流れを上手く掴めば何とか出来るであろう。当日は、実際に放水して小さな建物の
火災を消火する。

【予習】
前日、16日(土)は秋期点検の予習である。
箕郷町から、町長、助役、収入役その他関係者が出席し、明日の本番と同じ事を
やってみた。 部隊訓練、操法訓練、総合操法、分列行進、機械器具点検、
ラッパ吹奏等我々団員の行う事は、概ね2時間弱で終了するが、挨拶、祝辞、
表彰などは大勢居るだけに沢山時間が必要である。
予習では、それらは割愛し何とか明日の本番に臨めそうである。
予習終了後は、各分団とも消防車を磨き上げ準備を整えた。
準備完了後、明日の鋭気を養うために夕食を振る舞われたようであるが
私は所用で先に失礼させて貰った。

【本番】
10月17日、朝若干雲間の多かった空も開始時刻にはすっかり晴れ上がり
汗をかくような気候になった。
定刻前に集合し、軽い準備体操を済ますと、来賓の方々も参集し、いよいよ
平成11年箕郷町消防団秋期点検の始まりである。
9時丁度に、箕郷町小学校の校庭で開式である。

プログラムとしては、開式宣言、来賓への挨拶、国旗掲揚、服装点検などを行ったあと
いよいよ「機械器具点検」「ポンプ操法(操法訓練)」「ラッパ吹奏」「総合操法」と
次々と行われていった。
ポンプ操法は、若干のバラツキがあったものの見事に完了。
総合操法も、無事に消火でき最後の報告を行おうとしたら、我々の担当した
タンク車から「しょいこ」が落下して置き去られたらしく、分団長から人員機材に
以上ありだと囁かれた。 結果、儀礼として「人員機材異常なし」との報告を
行ったが、大目に見てください。
部隊訓練、分列行進ともまずまずの出来で終了し、会場に全員が勢揃いして
並んだあと、恐怖の「表彰」「挨拶」「祝辞」が約1時間近く行われた。
腰は痛くなり、苦痛であったが何とか乗り切れた。

全てのプログラムが終了し、解散となったあと全員が詰め所に戻り、使用した
ホース、機器の点検と清掃を行った。そのあと、近くの食堂で簡単な昼食を取り
夕方伊香保の宴会に向けて各自自宅で休憩となった。

【宴会】
夕方6時集合であるが、6時前には殆どの団員が旅館に集合し一風呂浴びたあと
宴会までの時間を適当に過ごした。
宴会が始まったのは、定刻通り6時半。
分団長の挨拶、副分団長の乾杯の音頭、そして会食へとなだれ込んだ。
昨年も同じであったが、地元の消防団も秋期点検のあと同じ旅館で慰労会を
開催していた。彼らの平均年齢は若く、宴会の盛り上がり方も尋常ではない。
我々も負けじと盛り上げたが、所定の時間になるとそれぞれ二次会へと
お開きになった。
二次会は、それぞれが適当に飲み、歌い、外へ出かけ深夜過ぎまで賑わった。
私も、例年麻雀に駆り出されていたが、今年はせいぜいラーメンを食べに
外へ出かけた程度で休んだ。何せ、明日は通常勤務だから。

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1999.11.12(金) 秋の火災予防運動
毎年恒例の秋の火災予防運動が、9日から15日まで展開されます。
各消防団もそれぞれ日を決めて2〜3回くらいに分けて、町内を巡回して
火災予防の広報を行います。
第一分団も、10日、12日、14日の3班に分けて夜間広報を行いました。
私は、12日の班に割り当てられました。

流石に3班に分かれると人数も少なくなります。勿論、役員の方たちも
交代で2回ずつくらい出席するようです、ご苦労様です。
いつもの巡回と同じように、2台の消防車に分乗し上と下方向に分かれて
拡声器で火の用心の言葉を放送します。
今回は、助手席に座り、カンカンという鐘の音の合間に「こちらは箕郷町消防団、
第一分団です。只今秋の火災予防運動を実施しております。どちらのご家庭でも
火の元には十分注意して下さい」と言う役割を受け持ちました。

丁度、詰め所に集まって話をしていると高崎市では、8時頃と9時頃に
建物火災があったようです。
乾燥している時期なので、我々の受け持ち区域に火災が発生しないのは
本当に有り難いと感じます。

今日、新しいジャンパーが支給されました。勿論、我々も幾らかを負担して
着用するのですが、今までのジャンパーは真冬用で、ちょっと上に羽織りたいと
言う時期には熱すぎたので、薄手のジャンパーを作ったのです。
背中には、桜の花をかたどった文様、左袖には「第一分団」と刺繍をしてあります。
なかなか感じの良いジャンパーです。
早速、袖を通して来てみました。新しいものは何故か嬉しいものです。

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1999.11.13(土) 毎戸査察です
例年秋の火災予防運動を実施中に、各分団毎に広報を行うと同時に
町内の各家庭を一軒一軒訪問して、「火の用心」の貼りビラと消防新聞を
配布します。
本当は、明日(11/14)に一斉に行うのですが、私の都合で自分の受け持ち区域は
今日廻りました。

制服を着用して、各家庭を訪問し「ビラと新聞」を手渡すと同時に火の元に
注意して下さいと呼びかけを行います。
又、申し出が有れば各家庭に置いてある「消化器」の有効期限の切れた
内容の詰め替えを引き受けます。勿論大きさに依りますが、有料です。
私が巡回した、110軒の中では1軒だけ「有効期限が過ぎているかも
知れないので、詰め替えをして下さい」と声を掛けられました。
消化器を見ると、製造から丁度丸5年経過していました。
しかし、一般的には7年くらいまでは大丈夫なので、有料になる旨と
後1〜2年は大丈夫との話をして、そのままとなりました。

正味、2時間強で受け持ち区域を廻り終えましたが、結構大変でした。
でも、各家庭の人と触れあえる数少ないチャンスなので、良い経験です。
今年の標語は
「あぶないよ ひとりぼっちにした その火」
です。

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1999.12.1(水)  冬用タイヤ交換
アッという間に季節は移り変わり、もう寒い冬がやってきます。
恒例になっている「冬用タイヤへの交換」を行いました。
タンク車、ポンプ車両方を行いますが、タンク車は水が積んであるため重くて
持ち上がりません。そこで、先ず水抜きを行い、近場のガソリンスタンドの機器を
借りて交換します。
例によって、作業は団員の中から手際よくできる人にお願いし、我々はその周りで
指示された「タイヤを持って行く」とか「空気圧を測って入れる」とかの作業を
行いました。

今日は、早めに集まる予定だったのですが仕事の都合で、私がガソリンスタンドに
行ったときは、半分くらい終わっていました。
タイヤは、タンク車・ポンプ車ともそれぞれ8本ずつ付いています。
冬用のタイヤは、スパイクタイヤです。緊急車輌には特別許可されています。
外したタイヤを詰め所の棚に収め、タンク車の水を詰め直して本日の作業は
無事完了でした。
本日の町内巡回は無しでした。

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1999.12.4(土) 忘年会です
一足早い「忘年会」です。
通常ですと、もう少し年の瀬が押し迫ってから開催するのでしょうが、今年は特に
2000年問題で何が起こるか判りません。
そこで、年末年始の出動も考え早めの忘年会となりました。
開始予定の6時半に集合した殆どのメンバーは、会費を支払い、奥から席に着きます。
定刻になっても数名が現れません。 そこで、開始時刻を少しずらしました。
10分後、未だ全員では無いですが殆どが揃ったので、先ず分団長の挨拶、
副分団長の乾杯の音頭が済み、いよいよ開始です。

例年、我々が出動したり詰め所に集まり町内巡視をすると、国から補助金が出されます。
それを分団の積立金として蓄えておき、これら行事の折りに使います。
我々の都度の会費は安くて済みます。

例によって、騒ぎ、飲み、歓談後2時間程で散会となりました。
私は、家から歩いて5分ほどの所だったので、そのままほろ酔い機嫌で帰宅しました。
年末に向けては、歳末夜警で泊まり込みが待っています。

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1999.12.11(土)  小火(ぼや)でした
夕方、6時半頃テレビを見ながら早めの夕飯を食べようとしていたら、サイレンが鳴りました。
早速、無線のスイッチを入れ火災現場が何処かを確認しました。
「只今より火災無線開局、現場箕郷町柏木沢、一般火災第一出場」とのアナウンスです。
箕郷町の火災だっ、慌てて着替えて長靴と手袋(軍手)を持って、詰め所へ急ぎました。
途中信号で何回か止まりながら、早く早くと気が焦ります。
もう少しで詰め所、と言うところで「鎮火、向かっている消防車は旋回帰署せよ」との
無線です。

あらら、もう鎮火したのか。
しかし、折角着替えて出てきたのだからと思い、詰め所の前に来ると我が分団の消防車が
出動して行くでは無いですか。 早速、その後を付いて現場へ向かいました。
現場に着くと、確かに鎮火していました。
近くに車を止め、火災現場へとんで行くと結構大勢の分団員が集まっていました。

花の栽培をしている温室の近くにある「塩ビのパイプ数十本」が燃えていたようです。
鼻を付く匂いがしていました。
幾らもしない内に「集合!」の合図が掛かり、分団別に整列しました。
先ずは、副団長から一部始終の説明、区長さんからねぎらいの言葉、そして本部から
「別れ」の指示。
全員が来たときに乗った車でそれぞれ散会しました。

時間が中途半端だったために、風呂に入ろうとしていた分団員や食事中の分団員が
何名か居ました。 私もその一人です。 夜は冷えます。
それにしても、大した火災に成らず何よりでした。

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1999.12.29(水)   歳末夜警です
今年も恒例の歳末夜警がやってきました。
12月25日から31日まで、交替で詰め所に泊り込み、夜間広報と非常事態に備えるのです。
分団員37名が一週間の間に、各々2回ほど泊り込みます。
一回の泊り込みは、概ね10名ほどになります。
私は、25日と29日の2日を選びました。29日は、町長の慰問兼視察です。

最初の日、25日は泊り込みの準備も行います。
布団の運び込みがされていますが、沢山のゴミが出ますので焼却作業です。
これから一週間の間に発生する「生ゴミ」を埋める穴掘り、食器の洗浄等など。
差し入れのみかんを食べ、談笑をしながら時間を過ごします。
本来であれば、10時と12時の2回町内巡回をするのですが、最近は1回で済ます様です。
9時半頃、2台の消防車に乗り込み、町内巡回に出ました。
「こちらは箕郷町消防団第一分団です、只今歳末夜警を実施しております、どちら様も
火の元・戸締まりに注意してお休み下さい」と言うような事を広報しながら、約30分位で
詰め所に戻ります。
詰め所の前には「歳末夜警実施中」と言う立て看板が立ててありました。
その後、全員で一杯飲みながら夜食を食べ、12時過ぎまで起きています。
それぞれ適当に消防服のまま布団に入り眠ります。
私も早めに休みました。翌朝は6時以降、各自適当に散会します。

29日も同じ様に8時少し前に詰め所に集まりました。
今日は、町長の視察が有ると言うことで分団長も出てきています。
町長は、それぞれの詰め所を順番に視察しますので、我々第一分団の詰め所には
概ね9時半頃と予定されていました。
更に、我々の詰め所に向かう直前に電話連絡が入りますので、一階の消防車の前で
全員が集合・整列して待っています。
予定通りに、電話があり、整列して待っていると来ました。ぞろぞろと随分大勢です。
気を付けをして挨拶を行うと、町長から慰労の言葉があり、その間我々は
ジャンパーを脱ぎ、寒さの中で拝聴します。 町長もそのことは判っていて、手短な
挨拶で済ませます。
町長から、お礼の金子が手渡され、次の視察場所へ移動しました。

我々も早速広報巡回に出発です。
2班に分かれて30〜40分程度で詰め所に戻りました。
普通は、その後談笑しながら12時過ぎまで起きているのですが、今日は麻雀の
好きな連中がいて、無理矢理誘われました。
結局、朝4時半頃までやり続けました。勝負には勝ちましたが、眠いです。
私は、翌日30日は、年越し蕎麦を打ち始めなければ成りません。
ちょっと辛かったです。

でも、何とか2回の夜警当番は済みました。
泊り込んでいる間には、何事も無く過ぎました。年末までこのままで有って欲しいものです。
31日の夜は、分団長を始めとする役付きの方達が泊り込みます。
ご苦労様です。

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2000.1.9(日) 出初め式です
新年明けましておめでとう御座います。
今年は、2000年問題がどうなるか心配されていましたが、幸いにもそれほどの問題も起こらず
無事に過ぎそうです。災害の方も発生しないことを祈ります。

さて、各市町村で開催される「出初め式典」は、様々な形で開催されたようですが、
箕郷町の場合、例年と同じ様なスタイルで催されました。
朝8時に詰め所に集合し、2台の消防車で式典の会場、箕郷小学校の校庭に行きました。
いつもと同じメンバーがそれぞれ、式典用に着飾って居ります。勿論、私も制服・制帽に
長靴を履き整列しました。

式典は、開式宣言、町長の挨拶、国旗掲揚の後、自警団と婦人消防隊による操法訓練、
その後部隊訓練(隊列を組んでの行進)、全員整列での来賓挨拶と続きます。
この挨拶が長いため、整列している我々は足の爪先が寒さで痺れてきます。
当然、備えもしてきますが、寒さにはかないません。私も靴下一枚だったので
相当痺れました。
9時から始まった式典も、挨拶と国旗降納、団長挨拶、閉式宣言と続き、10時半過ぎには
何とか無事終了しました。

後片付けをしたあと、全員詰め所に戻り、寄贈されたみかんやジュースを分配して
帰宅しました。
後は、夕方4時から予定されている「新年会」まで家で待機です。

楽しみの新年会は、高崎市に有る「サンピア」と言う場所で行いました。
4時丁度に詰め所に集合すると、サンピアのバスが迎えに来ていました。
それに乗り込み、会場に到着すると先ずはお風呂に入ります。
しばらく寛いだあと、いよいよ6時から宴会の開始です。
先ずは型通りの「分団長挨拶」「副分団長の乾杯の音頭」が済むと、会食の始まりです。
今年は、何故か分団長の隣りに座り込み、色々と話をさせて貰いました。
料理も次々と運ばれ、注しつ注されつが進み、宴会もあっと言う間に
お開きの時間になってしまいました。

8時過ぎには、帰りのバスに乗り込み、自宅の近くで降ろしてもらいました。
他のメンバーは、詰め所まで戻った様ですが、その後近くの飲み屋に行くとか
と言う話も有ったようです。
少なくとも、私は気分よく曝睡させてもらいました。

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2000.1.16(日)  どんど焼き警備
朝5時ちょっとすぎ、町内を触れ太鼓を叩きながら巡回する人達が居ます。
「もう朝は明けたよ、・・・・・・・」と30分以上、辺りをスピーカーで触れ回っていました。
毎年、成人の日の朝各家庭にある門松、達磨、魔除け札等を燃やし、その火で焼いた
繭玉(米の粉で作った団子)を食べると、病気にならないという言い伝えがあります。
今年から、成人の日と体育の日が第2月曜日になったため、日曜日の朝に
成ったようです。成人の日に行う行事がずれるのは、少し変な感じです。
ハッピーマンデーも善し悪しです。

各地区で大きな竹を編んで根元に燃え易い物を積み上げ一斉に火を付けます。
今年は、箕郷町全体で24個所有ったそうです。
坦当地区ごとに各分団の消防車で巡回しますが、第一分団担当は10個所です。
分団長以下役員は、消防車に乗り点火時期毎に廻ります。
各地区で燃やすところは、区長さんの要請で地区毎の分団員が付き添います。

私の居る地区も、7時点火と言うことで、6時40分頃指定された場所へ行くと
既に20名以上の人が集まり、近くの場所で火を燃やしていました。
大きな空き地に10メートルは有る竹の塔を作り、四方から紐で支えて有りました。
7時になると、いよいよ点火です。
側に燃えているたき火から種火を子供に渡し、四方から火を付けました。
あっと言う間に燃え上がり、側に居ると顔が熱さで焼けるようです。
中に組まれている大きな竹が「バァーン」と音を出して爆発します。

10分もしない内に四方を支えていた紐が焼けきれてしまいました。
例年ですと大きな一本の柱とそれを支える竹が有りましたが、今年は支えになる
竹だけで作って有ったため燃え尽きて倒れるときもそれ程危なくなく倒れました。
その後、1時間ほどの間に分団の消防車が2台到着し、暫く一緒に居ました。
大勢の親子達は、スルメを焼いたり繭玉を焼いたりして食べていました。
育成会の人達が中心になって開催しているので、ボランティアで甘酒を振る舞ったり
みかん、菓子を分配していました。

8時を過ぎると、火勢も衰え殆どの人が帰りはじめました。
下芝地区からは、私ともう一人が出ていましたが、開催の役員に挨拶して帰りました。
本当は最後の火の始末まで見届けることが必要なのだと感じましたが、分団長からは
適当に引き上げるよう言われていましたので、先に引き上げました。

場所の問題もあり、都会では年々こういった行事の開催が難しくなっています。
それなりに意味の有るこのような行事も出来れば続けていって欲しいものです。

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2000.2.13(日)  ボーリング大会
数年前から始まった団員相互の懇親を深めるための行事「ボーリング大会」が
今年もやってきました。
私もそうであるように、団員の殆どが一年に一回だけプレイする様な状況です。

夕方5時に集合場所である高崎市内の「パークレーン」に集まりました。
日曜日と言うことも有って、混んでいます。
ボーリングそのものも、一時期ほどの加熱状態ではなく下火になったとはいえ
それなりのファンが居るようです。
何と言っても、老若男女誰でも手軽にプレイ出来ることが廃れない原因なのでしょう。

ボーリング用の靴に履き替え、4人ずつの組になってそれぞれのレーンに行き、
探してきたボールを定位置に置きます。
ハイテクの波もここまで押し寄せてきています。
プレイの記録、途中経過、全て自動です。
総勢27名の団体が一斉にプレイ開始です。

殆どの団員が一年ぶりと言うことも有って、最初は中々上手く行きません。
私もおっかなびっくり投げている感じでした。
それでも慣れてくると、ストライクも時々でます。
2ゲームの結果で順位が出されますが、私自身は合計249点でした。
驚いたことに、全ての経過、結果が個人別に印刷されて配布されました。

表彰式は、地元の焼き肉屋に集まって行いました。
優勝は「石川さん」、準優勝は「橋爪さん」。
私は、真ん中辺りの13位。まぁ、こんなものでしょう。
賞品は、各々が持ちよったものを再配分する形で渡されました。
それなりに良いものを出し合います。
私も日本酒、タオルセットを戴きました。
ビール、焼き肉を食べながら懇親会も和気あいあいと進み、2時間ほどで
散会しました。

最近は火災もほとんど無く、我々の活躍もありませんが、町民にとっては
有り難い話です。

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2000.2.27(日)   野火火災です
さくじつの土曜日は、所用で前橋市へ出かけていました。
午後3時頃帰宅したら、妻から「今日箕郷で火事が有ったわよ」と聞かされました。
暫くぶりの火災でしたが、残念ながら駆け付けることは出来ませんでした。

そして今日、11時半頃消防車のサイレンが聞こえました。
無線のスイッチを入れてみると「箕郷2現着」とのこと。
これは昨日に引き続き火災発生かと急いで制服に着替えました。
無線を聞いていると、我が家から近い所で「野火火災」の様です。
慌てて飛び出すと、田んぼの中に消防車が2台見えました。
無線では、箕郷町と群馬町の境界辺りだが、どちらかはハッキリしないとのこと。

現場に到着すると、高崎北署と箕郷町分署の消防車が2台で消火作業を
行っていましたが、殆ど消えていました。
田んぼの中の枯れ草が燃えたあとだけでした。
操作員に確認すると、ここは群馬町の管轄との話です。
特別に手伝うことも有りませんし、パトカーも来て状況調べを始めましたので、
私も帰りました。

広い場所なので、燃え移ることも無かったでしょうが、発生原因が気になります。
強風の場合には、燃え広がる可能性もあります。

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2000.3.26(日)   慌ただしい日曜日
今日は箕郷町主催「第2回箕郷梅マラソン」の開催予定日である。
我々消防団も沿道の警備要員として、コースのあちこちに配置される予定である。
朝8時45分に詰め所に集合と言う事になっていた。

ところが、朝4時半頃箕郷町のサイレンがけたたましく鳴り響いたのである。
火災発生。
サイレンの音で目が覚めると、無線にスイッチを入れ火災現場の確認をしながら、
同時に着替えた。火災現場は箕郷町松の沢である。
結構山に近い方である。
車に乗り、詰め所に向かう。
詰め所には、既に赤色灯を回転させたポンプ車が出発しそうである。
私は手前の赤信号でストップし、出発する消防車を見送った。

そのまま消防車の後について火災現場に向かった。
現場の少し手前で駐車し、駆け付けると既に火勢は衰え消火寸前であった。
民家に並べて建てられている納屋から出火し中の藁、タイヤ等が燃えた。
原因は不明であるが、民家には燃え移らずに済んだ。

1時間程度で鎮火したが、我々の受け持ち区域なので残火処理に
我々が残った。
結局、詰め所に戻ったのは6時半過ぎである。
その後、使用したホースの水洗いと乾燥のためにホースを吊るす作業が
全て完了し、自宅へ戻ったのは7時であった。

約束の梅マラソンの沿道警備の為の集合まで、ちょこっとした用事を済ませて
詰め所に向かった。
火災現場と殆ど同じメンバーが集合し、マラソンが行われる沿道に
消防車に分乗して向かい、所々に1〜2名ずつ降ろされた。
待つこと1時間ほどで、マラソン選手が先導者にリードされてやってきた。
流石に先頭集団は早い。

今年は参加人数も多いのか、先頭から最後尾までおよそ1KM位は
有りそうだった。
私が配備されたのは、スタート地点から5KM位のところであったが
これだけの差が付いてしまった。
最後尾の車両が通過すると、消防車が我々を拾い上げて詰め所に戻った。

既に11時である。
その後、恒例のバーベキュー大会である。
いつもの場所に肉、野菜などをたっぷり買込んで向かった。
ガスコンロで火をおこし、鉄板を載せた上に肉、野菜を載せジュージューと
焼き、ビール、ワインなどを飲みながらたらふく食べた。

それにしても今日は長い一日になった。
火災の出動も久しぶりであったが、今年度も無事終わろうとしている。
来年度は、交替要員が1名だそうである。
私も、迷っていたが後1年継続させて貰うことにする。

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