消防団日記(2001年度) |
|
これは、私が地元の「消防団第一分団」に入団してからの日記です。 |
1997年度(1997年4月〜1998年3月)分は、ここをクリック!
1998年度(1998年4月〜1999年3月)分は、此処をクリック
1999年度(1999年4月〜2000年3月)分は、こちらをクリック
2000年度(2000年4月〜2001年3月)分は、これをクリック
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
| ||
|
|
|
|
|
9月26日から始まった秋季点検訓練も4回目、中日を迎え
徐々に形が出来てきました。
選抜された選手もそれぞれの分担を少しずつ覚え、細かい部分を
指導してもらっています。
我々も隊列行進の訓練を行っています。
毎年同じ事をやるのですが、暫くぶりに行うと中々上手く出来ません。
しかし、何回か行うとそこそこ揃ってきます。
上手く出来ない部分も毎年同じです。
後数回、本番までには何とかなりそうです。
それにしても全員に近い人数が訓練に参加しています。
↑ 日記インデックスへ
訓練も今日で6回目、選手も点検動作の内容を理解しかなりスムースに
行っている。
今日は総合操法の訓練。
実際に火災現場を想定し、それぞれの消防車に分乗、放水して火災を鎮火する。
毎年の事ながら、詳細の動作については少しずつ変わっている。
選手以外は部隊訓練を主体に行うが、相変わらず同じ部分が上手く出来ない。
後半では、通しで訓練を行った。
予定の時刻になる頃、天気予報の通り雨が降り出し解散となった。
残すところあと一日で訓練は終了。
土曜日の予習を行った後、消防車の清掃・お化粧をして日曜日の本番である。
選手の皆さんには是非素晴らしい演技を見せて欲しいものである。
↑ 日記インデックスへ
昨日の予習も含め8回の訓練を行った成果を今日発揮する。
朝8時までに詰め所に集合、点呼をとった後会場に。
来賓の方も数名が見えている。
ラジオ体操からスタート、開式の宣言・挨拶などが続き、姿勢服装点検、部隊訓練、
各分団による操法、実際に水を出して火災を鎮火する総合操法、隊列行進など
一通りの実技を行った後、大勢の表彰式、町長挨拶、来賓挨拶、そして閉式宣言
最後に団長からの挨拶があり全てが終了した。
会場の後片付け、記念撮影、詰め所でのホース洗浄、そして軽い昼食後解散となった。
夕方には伊香保で慰労会が行われる。
幾つもの会場で秋季点検が行われるので、慰労会の会場もぶつかることがある。
秋の最大のイベントが終了し、残るは毎戸査察と年末の泊り込みだけとなった。
↑ 日記インデックスへ
例年歳末夜警と言う事で、25日から31日まで団員が詰め所に泊り込み
夜間の巡回を行う。
今年も各団員が2回ずつ詰め所に泊り込み、深夜まで過ごす時期になった。
私も25日と26日の連続で詰め所に泊り込んだ。
何回も経験しているので、それ程大したことも無いが夜9時頃と11時頃の2回
消防車に乗り込み町内巡回を行う。
それ以外の時間は暖を取りながらテレビを見たり、夜食を取ったり、談笑しながら
時間を過ごす。
2回目の巡回を終わると、酒も入り話しも弾む。
1時から2時頃には床に入り寝る。
今回も特別に変わったことも無く、無事に過ぎた。25日は、町議会議長が各分団を激励に回り挨拶をしていった。
我々は寒い中で詰め所前に整列し激励を受けるが、ジャンパーを脱ぎ
制服で整列、挨拶される。
最近はそのことを理解して短い激励の言葉に成っているのは助かる。
↑ 日記インデックスへ
夕方、サイレンと伴に「松の沢にて林野火災発生」との放送。
私は残念ながら出場できなかったが、後で聞くと放火のようだ。
先日3日にも同じ松の沢地区で林野火災が発生した。
乾燥している時季だけに火災の発生と広がりが心配である。
幸なことに燃え広がる前に鎮火したらしいが、放火犯人はどの様な
輩なのか今後のことが心配である。
↑ 日記インデックスへ
深夜2時、サイレンと伴に「下芝にて林野火災発生」の防災無線。
地元である。
慌てて制服に着替え、自宅を出ようとしたら「鎮火」の放送。
直ぐその後で、今度は第2報「生原にて火災発生」との放送。
自宅の前を一分団の消防車が通り過ぎて行く。
早速その後を追いかけ現場に行くと、林野火災ではなく自動販売機が
燃えていた。
先ほどの下芝の火災も林野火災ではなく自動販売機が燃えたそうである。
どう見ても放火である。
幸いにも火災は燃え広がらずに直ぐ鎮火したが、酷いものである。
30分ほどで解散したが、警察、消防署、消防団、自警団などが
夜間巡回を行っている隙を狙って放火をしている様子。
物騒なことである。
↑ 日記インデックスへ
新聞報道で放火犯人が逮捕されたとあった。
これで一安心である。
ごくごく普通の会社員らしいが、むしゃくしゃしたので放火したとか。
そんなことで放火をされたらたまったものではない。
全く困ったものである。
いずれにしても私服警察の張り込み、消防署、消防団、町役場など
総出で警戒をしていたので、ご苦労様と言いたい。
↑ 日記インデックスへ
犯人が逮捕されたが、別の放火犯がいることが判明した。
逮捕後に別の場所で山林火災が発生したのである。
今回の場合、林野火災の発生場所に駆けつけるとき、たまたま
回り道をして現場に急行していたら、その途中で燃えている場所に
遭遇した。
全くの偶然である。
無線で連絡を取り、早めの消火活動が出来たので大事に至らずに済んだ。
それにしても憎たらしい犯人である。
↑ 日記インデックスへ
3月1日から一週間全国春の火災予防運動が始まった。
例年と同じに第一分団も3班に分かれて町内の巡回を行っている。
私も第2班に振り分けられ今日が担当になった。
長年、と言っても7年間であるが「蕎麦屋」を開業したことにより、
緊急時の出動が出来なくなってきたこと、年齢的なもの、などで
消防団を退団させてもらうことにした。
昨年の3月頃に退団させて戴きたい旨を伝えたが、後一年継続して欲しいとの
説得に応じ退団を延長していた。
今年度末で退団する人が私のほかにもう一名いるが、退団願いの書類に
必要事項を記入し、今日分団長宛提出してきた。
↑ 日記インデックスへ
3月7日に引き続き、又林野火災が発生した。
夕方4時半頃自分の店の前を消防車が5〜6台サイレンを鳴らしながら
通過していった。
慌てて店の片付け、戸締りをして現場に駆けつけた。
今日は風も強く火災が広がりそうな気配であった。
私が現場に向かったのは、火災発生から1時間半くらい経ったあとであったが、
榛名湖に抜ける細い道をかなり山奥に入り込んだ地点であった。
到着してみると火災は既に鎮火していたが、消火に取り組んだ団員は
背中に水筒の親分みたいなものを背負い手動の消火器で消火に当たった
との事であった。
幸いにも暗くなる前に鎮火したが、自衛隊のヘリコプターも出動し
空から水を散布した。
幅20m、長さ50mにわたって消失した。
火の気の無いところなので、例の放火犯人が付け火をしたと思われる。
あとで聞いたところによると、昼間も3件ほど発生し、5時頃には
榛名町でも林野火災が発生したとの事である。
本当に神出鬼没で腹の立つ犯人である。
7時頃詰め所に戻り、約10人強が夕食を食べさせてもらい散会した。
↑ 日記インデックスへ
夕方4時頃、サイレンと同時に林野火災の無線。
つい一昨日放火と思われる火災が発生したばかりなのに、
又林野火災が発生した。
場所的にも一連の放火地域である。
早速現場に駆けつけると、今回は道路からかなり入った林の中である。
既に消防車は現場で消火作業を行っており、私も背負子に水を入れ
現場まで上っていった。
あらかたは消えていたが、所々火が燃えており手動の水鉄砲で消火した。
水筒には概ね20kgくらいの水が入るが、少しずつ消火しているとそれなりに持つ。
それにしても放火の頻度が増えてきて、昼夜問わず放火しているのは
どんな人種なのか、どんな理由なのか知りたいものである。
今月一杯で退団する予定なのに、こんなに忙しくなるとは思いも寄らなかった。
火は2時間ほどで鎮火し、ホースを洗うことも無くその場から解散した。
↑ 日記インデックスへ
今度は夜10時頃、サイレンの音で防災無線のスイッチを入れると
「建物火災発生、現場箕郷町善地集会所付近、第一出場」との放送。
早速着替えて外に出ると、山の中腹が真っ赤になっている。
相当大きな火災に思えた。
先日の林野火災の直ぐ近くである。
てっきり林野火災と思ったが、現場についてみると大きな建物が2棟
燃えていた。
2棟とも全焼、火は2時間程度で消火できたが、残火処理のため
煙の出ている場所をかき回し水を掛ける作業が続けられた。
気が付くと深夜1時、作業はまだまだ続いていたが、私は翌日の作業が
ある為、分団長に断って先に帰宅させてもらった。
建物火災は本当に久しぶりであった。
幸いにもけが人も出ず鎮火したのは不幸中の幸いであった。
一緒に作業していた仲間から「連続放火犯人が逮捕されたらしい」との
話を聞いた。
本当なら安心して眠れる。
↑ 日記インデックスへ
● 大野のトップページへ行く ● 消防のトップページヘ行く ● 消防豆知識へ行く
● 消防団の話へ行く ● 消防リンクへ行く ●1997年度の日記へ ●1998年度の日記へ
● 1999年度の日記へ ● 2000年度の日記へ ● 2001年度上期の日記へ